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#97 石井貴



97 石井貴 - Takashi Ishii

投手、右投右打
1993年ドラフト1位
藤嶺学園藤沢高~三菱重工横浜~埼玉西武ライオンズ
神奈川県綾瀬市出身、1971年8月25日生、180cm / 85kg
2007年を限りに現役を退いた石井貴投手は、翌2008年からライオンズの2軍投手コーチに就任した。そして2012年からは、ついに1軍投手コーチ(ブルペン担当)へと異動となる。筆者は、ライオンズのこのような人事は非常に好きだ。渡辺久信監督が監督に就任した際もそうだったが、まず2軍投手コーチとなり、2軍監督を経て、1軍監督に就任した。その流れを汲むように石井貴コーチも来季から1軍に異動となるわけだが、このような流れは簡単に作れそうでなかなか作れるものではない。

他球団の一部には毎年コーチ組閣で苦労しているチームがあるが、それは指導者育成を長年怠ってきたことが唯一の原因だ。球団は選手を育てることも重要だが、それに次いで指導者を育成することもまた、常勝球団を作り上げるためには必要なことなのだ。このような観点から見ていくと、4年間2軍でコーチ経験を積んだ石井貴コーチは、まさにライオンズが育てた指導者と呼ぶことができるだろう。そして石井貴コーチの厚い人望を考えれば、1軍のチーフ投手コーチとなる日もそう遠くはないはずだ。

現役時代の石井貴投手を知るファンは今なお多いと思うが、しかし全盛期の石井貴投手を知るファンはもう多くはないのではないだろうか。石井貴投手を一人前に育て上げたのは時の東尾修監督だ。東尾監督は石井貴投手の責任感の強さを活かし、責任を与えることで石井貴投手を1軍のローテーション投手へと順序立てて育てていった。つまりリリーフを経て、クローサーを経て、満を持して先発ローテ入りしたのだ。

石井貴投手の最初のターニングポイントは97年だったのではないだろうか。東尾監督が監督就任3年目にしてリーグ優勝を成し遂げた年だ。この年の石井貴投手は59試合に投げて10勝をマークしている。しかし先発をしたのはわずかに2試合のみ。残りの57試合はすべてリリーフでの登板だった。それでも10勝8敗9Sという素晴しい数字を残した。まるで先発に抑えにフル回転をした、若き日の渡辺久信投手のようだった。

97年の活躍をきっかけに、翌98年からは先発ローテーションに加わった。そして1997~2000年の4年間に42勝をマークした。この時期は西口文也投手もまだ全盛で、松坂大輔投手や豊田清投手もいた。とにかく石井貴投手が活躍したこの時期の投手陣は、本当に素晴しかった。その中に割って入った石井貴投手は、今更ながら立派だったと改めて実感できる。ちなみにこの強力な投手陣を預けられていたのが、来季から1軍の投手コーチとなる杉本正コーチだった。つまり杉本コーチは、これだけの投手陣を育て上げたという大きな実績があるコーチなのだ。

石井貴投手の全盛は長くは続かなかった。2000年代は長らく肩痛に悩まされ、高価な治療機器を自宅に購入し、必死のリハビリに取り組んでいた。だがその肩痛が完全に治ることはなかったようだ。そんな中、2004年、石井貴投手はレギュラーシーズンをわずか1勝という数字で終えた。だがその石井貴投手が日本シリーズで蘇ることとなる。

中日を相手にした2004年の日本シリーズ、石井貴投手は2試合に先発をして、計13イニングを無失点で投げ抜き、日本シリーズのMVPに輝いた。しかもその2勝は第1戦と、最終戦となる第7戦で挙げた勝利なだけに、その価値には2勝以上のものがあった。この活躍で石井貴投手も完全復活かと思われたが、しかし2005年は際立った活躍を見せることはできなかった。

だが2006年は違った。肩はまだ痛かったと思う。先発では厳しいものの、1イニングしか投げないリリーバーとして活路を見出した。なんと46試合に登板し23ホールドを記録したのだ。だがこの活躍が石井貴投手の現役最後の活躍となってしまう。現役最後の年となった2007年はわずか8試合の登板に終わってしまった。石井貴投手の西武ドームでの引退試合は、筆者もライトスタンドで見ていた。闘志溢れる大好きな投手の引退試合だっただけに、本当に寂しい思いで胸はいっぱいだった。

「もう、私の肩は上がりません」
引退セレモニーで涙ながらに語ったこの台詞は、筆者の耳には今なお鮮明に残っている。

引退翌年から石井貴投手は、2軍投手コーチに就任した。そして若き才能ある投手たちを着実に成長させ、1軍に送り続けた。筆者も一度石井貴コーチの投球指導を受けたことがあるのだが、本当に優しい方だった。手取り足取り体の使い方を教えてくださり、難しいことも分かりやすく伝えてくれるコーチだった。筆者も野球指導者の端くれであるわけだが、石井貴コーチには本当に大きな影響を受けた。石井貴コーチに指導をしていただいた時、手のひらを見せてもらったのだが、その指には大きな投球胼胝(タコ)が出来ていた。「これが長年150kmものボールを投げ続けた証なんだなぁ」と筆者は感動したのをよく覚えている。指にあれだけ大きな胼胝ができるほど練習を続けたからこそ、きっと野球の神様も2004年の日本シリーズでの勲章を与えてくださったのだろう。

野球の楽しさ、野球の苦しみ、その酸いも甘いもすべてを知る石井貴コーチだからこそできる指導があると思う。石井貴コーチといえば現役時代からテレビでは「レクター・ハンニバル」に重ねられたり、ラジオでは投げる金剛力士像と呼ばれたりと、どちらかといえば強面のキャラクターとして人気だった。しかしその実態はとても温かく、優しく、今なおチームで一番の紳士でもある。こんな時代だからこそ選手に対し厳しく接することができ、野球以外の常識も教えることができる石井貴コーチのような存在が必要なのではないかと、筆者は強く実感している。

石井貴コーチには来季、ぜひともチームを日本一に導くための指導を頑張ってもらいたいと思っている。特に石井貴コーチを兄貴として慕う星野智樹投手涌井秀章投手をもう一段上のレベルに押し上げてあげて欲しい。そして筆者は来季、ブルペンサイドシートに初めて座ってみようと今から心に決めているのだった。

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2011年11月18日 15:37