赤田将吾選手、18日朝に伝えられたトレード
赤田選手本人にトレードが通告されたのは、18日の午前9時半のことだった。アーリーワークを終えると球団スタッフに呼ばれ、オリックスへの移籍を告げられた。このニュースは筆者にとっても本当に悲しいものだった。昨年からトレード話が頻繁に浮上していた赤田選手ではあったが、球団はそのたびに「トレードの話はない。これからもライオンズで頑張って欲しい」と赤田選手に伝えていた。だが現実は違い、春季キャンプも終盤に差し掛かるこの時期でのトレードとなった。その背景にあるのは当然小瀬選手の死だ。小瀬選手の穴を埋めるべくオリックスが探していたのが俊足巧打の外野手だった。そして主戦級の選手以外となると若干層が薄くなるライオンズの内野陣。この2チームの思惑が合致し、今回のトレードに至った。
ライオンズのナインに伝えられたのは、18日に行われた韓国斗山との試合後だった。試合中は誰も赤田選手のトレードのことは知らず、知るのは赤田選手のみ。だからこそ赤田選手はこの試合で何が何でもヒットを打ちたかった。すると途中出場した8回での打席、その強い思いが実を結び、ライオンズでの最終打席をライト前ヒットで締めくくった。
試合後、ナインは食堂に集められて赤田選手のトレードの話を聞かされた。誰よりも先に号泣し出したのはエース涌井投手だった。涌井投手は石井貴投手が引退した2007年の西武ドーム最終戦でも号泣している。一見クールに見えるが内面はとても繊細で、感情の豊かな選手なのだ。そしてそんな涌井投手の姿を見てもらい泣きしてしまったのが、当の赤田選手だった。
トレードが知らされるとナインは赤田選手を外野に引っ張り出し、胴上げをした。背番号と同じく9回、赤田選手は宙を舞った。その間も赤田選手はずっと目頭を押さえていた。ライオンズというチームはチームであると同時に、ファミリーでもある。こんなに温かい雰囲気のチームは、他を探しても見つからないはずだ。
11年間まとったライオンズのユニフォーム。ライオンズのコアなファンから、誰よりも愛された選手が赤田将吾だった。そしてライオンズのために、ライオンズファンのために、誰よりも尽力してきたのも赤田将吾だった。度重なる怪我に熾烈な外野争い。赤田選手にとっては必ずしも良い時期ばかりではなかった。2004年にブレイクをするもその後は長い時期を怪我のためにファームで過ごした。
だが赤田選手はライオンズを愛し、ライオンズもまた赤田選手を愛した。だからこそこのトレードには非常に驚いてしまった。筆者としても「まさか」という思いが強かった。近日アップするつもりで赤田選手のコラム記事も書き溜めていただけに、この突然のトレードには本当に驚いてしまった。
怪我さえなければもっと早い時期にレギュラーの座をつかめていたと思う。松井稼頭央選手に憧れているだけに、ファンとしても赤田選手には稼頭央選手のような選手になってもらいたかった。ライオンズのユニフォームを着て。
筆者が初めて赤田選手のプレーを見たのは99年の後半戦だった。松坂大輔投手とともに高卒1年目で、2軍で大活躍をしての1軍昇格だった。当時の東尾監督は松坂投手の話し相手として赤田選手を昇格させたのだったが、しかし赤田選手は昇格後、13試合で14安打放つという活躍を見せた。まだセカンドを守っていた時期だったと思う。
入団時から応援し続けている選手が移籍、引退してしまうのは、ファンとしては本当に悲しい。だが一緒に戦い続けたナインたちはもっと悲しいのだろう。マウンドではあれだけ度胸満点のピッチングをする涌井投手であっても、涙を押し殺すことは出来なかった。そして未だB班にいる親友小野寺投手にとっては、とても悔いが残ったことだろう。本来ならばA班で一緒に胴上げをしてあげたかったはずだ。
ファンとしては本当に悲しいことではあるが、今シーズン赤田選手が西武ドームに帰ってきたら、筆者は心からの拍手を送ってあげたいと思う。
赤田選手、オリックスに行ったら今まで以上に大活躍し、いつか選手・指導者としてまたライオンズに帰ってきてください。大阪でも暴れん坊将吾で頑張れ!!
赤田選手本人のトレードに関するコメント
小野寺力投手のコメント
藤田太陽投手のコメント

2010年02月19日 01:56

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