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小岩ジェッツ

#18 松坂大輔

#18 松坂大輔 - Daisuke Matsuzaka

先発投手、右投右打
1998年ドラフト1位
横浜高~西武ライオンズ~ボストン・レッドソックス
東京都江東区出身、1980年9月13日生、182cm / 83kg
タイトル:新人王(99)、最多勝(99~01)、最多奪三振(00、01、03、05)、最優秀防御率(03、04)、沢村賞(01)、ベストナイン(99~01)、ゴールデングラブ(99~01、03~06)、オールスター出場(99~01、04~06、02・03は怪我により辞退)、WBC最優秀選手(06、09)

98年春の選抜甲子園大会、松坂大輔投手はマスコミから出場選手に配られるアンケートシートに、プロに行くなら「巨人、西武」と書いていた。しかしそれが夏の甲子園では「巨人、横浜」と変わっていた。アンケートの回答に変化が見られたとは言え、松坂大輔投手は当時、決してライオンズに悪い印象は持っていなかった。また、松坂投手のご両親、横浜高校の渡辺監督も育成に定評のある西武ライオンズというチーム、そして当時の東尾監督に好印象を持っていた。

だが当の松坂投手本人の意中の球団は横浜ベイスターズだった。ドラフトでもし横浜に入団できなければ、松坂投手は社会人野球に進むと公言していた。これはオリンピック出場を視野に入れての選択で、この当時はまだプロ野球選手がオリンピックに出場するという文化が根付いていなかった。日の丸に強いこだわりを持っている松坂投手にとって、意中の球団に行けないのならオリンピックを目指そうという考えは、十分に納得の行くものだったと思う。

そして運命のドラフト会議当日。松坂投手を1位指名したのは西武、横浜、日本ハムの3球団だった。本来ならばもっと多くても良かったのだが、松坂投手自身が横浜入りを熱望していたため、他球団は断られる可能性の高い松坂投手よりも、いわゆる松坂世代と呼ばれる他の選手たちを確実に獲りに行った。

松坂投手を1指名した3球団のうち、クジで交渉権を引き当てたのは西武の東尾監督だった。西武も実は他の選手を1位指名する予定だったのだが、当時の堤オーナーの指示で松坂投手を強行指名しに行っていた。交渉権を引き当てた際の東尾監督は満面の笑みで、まさにしてやったりと言った表情。しかし当の松坂投手本人は「1位指名されて光栄です。でもやっぱり外れちゃいましたね」と浮かない表情を見せていた。

その後数日、東尾監督は悩みに悩んだらしい。何をどう話せば松坂投手が西武入りを決意してくれるかを。そして悩み抜いた末に東尾監督が取った行動は、食事の席で自分の著書『私の真実―わが悔いなき野球人生 』を手渡すことだった。あれこれと話すよりは、自分の野球感を詰め込んだ一冊の本を手渡した方が、自分が考える野球を理解してもらえるはずだと考えたらしい。そしてその効果はてき面で、東尾監督の著書を読み終えた松坂投手は、すっかり東尾“投手”の野球理論、野球感に対し感銘を受けていた。そして例の200勝記念ボールだ。東尾監督は自身の200勝記念ボールを「200勝を目指して頑張って欲しい」というメッセージを込めて松坂投手にプレゼントしていた。この時点で松坂投手自身、「落ちた」と感じていたようだ。

実はこの時、西武は入団の条件としてオリンピックへの出場を認めていた。つまりプロで投げながらもオリンピックを目指せるという現実が、松坂投手の気持ちを入団に向けてさらに前向きにさせていた。また編成担当スタッフも社会人野球チームを奔走し、松坂投手のオリンピック派遣を約束する代わりに、松坂投手の受け入れを見送って欲しい旨を頼みまわっていた。こうした球団側の努力も実り、松坂大輔投手は西武ライオンズというチームで高校時代に次ぐ怪物伝説第2章を歩み出した。


入団1年目、つまり99年の松坂投手は先発第6の男だった。当時は西口投手が絶対的エースとして君臨し、そして石井貴投手との2枚看板は絶大な信頼感を誇った。そして豊田清投手も先発として活躍している頃で、潮崎投手も先発に転向して結果を出していた。

球団側、つまり営業サイドは、松坂投手を開幕第2戦に先発させて欲しいと東尾監督にリクエストを出していた。確かに99年春季キャンプの松坂フィーバーは凄まじかったし、西武ドームでの開幕2連戦の2試合目に先発させれば、かなりの観客動員が望まれただろう。これに関しては、堤オーナーも暗に東尾監督に圧力をかけていた。しかし堤オーナーのお気に入りだった東尾監督は、営業サイドのその期待には応えなかった。

その理由は、先述した実績十分の先発陣に対し示しが付かないからだった。もしこの時東尾監督が営業サイドのリクエストに応え、まだ実績0の松坂投手を開幕第2戦で先発させていたら、チームの士気は開幕の時点で急降下していただろう。しかしそうしなかったためにパ・リーグ2連覇中だったチームは東尾監督の下、開幕から1つにまとまることが出来た。

そして2つ目の理由はマウンドだった。当時の西武ドームのマウンドは、絶対的なエースである西口投手の好みに調整されていた。プロ球場のマウンドのほとんどは、そのチームのエースの好みに合わせてマウンドが調整されている。99年の西武ドームのマウンドは、かなりオーソドックスなマウンド傾斜だった。だが松坂投手のようにストレートを目一杯の力で投げるピッチャーに対しては、西武ドームのマウンドよりも傾斜のきつい東京ドームの方が合っていると東尾監督は判断した。この判断は結果的には正しかった。東京ドームでのプロ初登板では155kmや156kmというストレートを連発し、結果的に日本ハム相手に8回5安打2失点という好投でプロ初勝利を挙げている。

プロ初登板以降も比較的順調にピッチングを続け、ついに99年5月16日という日がやってきた。この日は筆者も西武ドームにいたのだが、外周通路だけではなく、スタンドの階段にも多くの観客が座り込むほどの混雑で、日本シリーズ以上の観客動員数となっていた。そう、この日は松坂投手が西武入りを決める1つの切っ掛けともなった人物、オリックス・イチロー選手との初対決の日だった。松坂投手はこのバッターと対戦することにモチベーションを高め、西武入りを決意したという経緯もあった。

この時の対戦を今さら説明する必要はないかもしれない。4打席対戦し、3連続三振のあと、4連続三振を狙いに行ったフォアボールが1つ。3三振・1四球という対戦結果だった。この試合の直後、松坂投手は「自信が確信に変わりました」という名言を残している。

そして時を経て松坂投手とイチロー選手は海を渡り、片やシアトル、片やボストンへと移籍し、WBCではチームメイトとしてジャパンの連続世界一に大きく貢献した。過去2回のWBCにおいては、松坂投手は両方でMVPを獲得している。

松坂投手のことを本気で書き出したら、きっと本ブログ1記事ではすまないだろう。それこそ1ブログすべてをそのまま松坂投手の話で埋められてしまうほどだ。そのため日刊埼玉西武ライオンズでは、松坂投手が西武入りを決意した経緯のみを簡単に紹介させてもらった。もし今後機会があれば、これ以降の松坂投手のこともじっくり書いてみようと思う。筆者が松坂投手を初めて見たのは、確か93年のことだったと思う(松坂投手中学1年、筆者が中3)。当時の松坂投手は丸々とした顔をしていて、周りからはアンパンマンと呼ばれていた。そのアンパンマンが今や世界を代表する大投手となったのだ。同じグラウンドで野球をしていた身としては、松坂投手は地元の英雄でもある(出身は江東区だが、所属チームは江戸川南という江戸川区のシニアチームだった)。

2009年は股関節痛により不本意なシーズンを送ってしまった松坂投手だったが、今年は復活を遂げてくれると思う。今オフの松坂投手はアリゾナにあるアスリート・パフォーマンス・インスティテュートという、股関節に関する専門トレーナーがいる施設で自主トレを行っていた。股関節というのはピッチングにおいて、肩と同じくらい重要な器官であるため、今オフのトレーニングは必ず2010年におけるさらなる飛躍に繋がると筆者は確信している。松坂投手は股関節だけではなく、指関節なども含めて全般的に関節が固いピッチャーだ。だからこそ部位ごと丁寧に鍛えることで可動域を広げ、パフォーマンス向上を目指して行く必要がある。

体調さえ万全であれば、メジャーリーガー相手に18勝3敗という数字を残せる松坂投手だ。WBCで性急な調整が必要なかった分、今季は万全な状態で開幕を迎えてくれるはずだ。今年も松坂大輔投手の大活躍に期待したいと思う。

 投球成績 Pitching Results



































 西武ライオンズ
1999 25 24 6 2 0 16 5 0 .762 743 180.0 124 14 87 1 8 151 5 2 55 52 2.60
2000 27 24 6 2 0 14 7 1 .667 727 167.2 132 12 95 1 4 144 2 0 85 74 3.97
2001 33 32 12 2 1 15 15 0 .500 1004 240.1 184 27 117 1 8 214 9 1 104 96 3.60
2002 14 11 2 0 0 6 2 0 .750 302 73.1 60 13 15 1 7 78 2 1 30 30 3.68
2003 29 27 8 2 1 16 7 0 .696 801 194.0 165 13 63 2 9 215 4 0 71 61 2.83
2004 23 19 10 5 0 10 6 0 .625 601 146.0 127 7 42 0 6 127 5 0 50 47 2.90
2005 28 28 15 3 3 14 13 0 .519 868 215.0 172 13 49 0 10 226 9 0 63 55 2.30
2006 25 25 13 2 2 17 5 0 .773 722 186.1 138 13 34 0 3 200 5 0 50 44 2.13
 ボストン・レッドソックス
2007 32 32 1 0 1 15 12 0 .555 874 204.2 191 25 80 1 13 201 5 0 100 100 4.40
2008 29 29 0 0 0 18 3 0 .857 716 167.2 128 12 94 1 7 154 5 0 58 54 2.90
2009 12 12 0 0 0 4 6 0 .400 283 59.1 81 10 30 1 2 54 8 0 38 38 5.76
NPB 204 190 72 18 7 108 60 1 .642 5768 1402.2 1102 112 502 6 55 1355 41 4 508 459 2.95
MLB 73 73 1 0 1 37 21 0 .638 1873 431.2 400 47 204 3 22 409 18 0 196 192 4.00
通算 277 263 73 18 8 145 81 1 .642 7641 1834.1 1502 159 706 9 77 1764 59 4 704 651 3.19


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2010年02月11日 21:22 




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