前の記事 #51 大島裕行
次の記事 G.G.佐藤選手が中村選手の本塁打数を抜くために

#21 東尾修



#21 東尾修 - Osamu Higashio

祝・野球殿堂入り!
先発投手、右投右打
1968年ドラフト1位、1988年引退
和歌山県立箕島高~西鉄ライオンズ~太平洋クラブライオンズ~クラウンライターライオンズ~西武ライオンズ
和歌山県有田郡吉備町出身、1950年5月18日生、177cm / 79kg
タイトル:MVP(83、87)、最優秀防御率(83)、最多勝利(75、83)、最多奪三振(75)、ベストナイン(83、85)、ゴールデングラブ賞(83~87)、日本シリーズ最高殊勲選手(82)、オールスター出場(72、73、75、76、78、82、84~87)


東尾投手の凄さを今さらここで説明する必要はないと思う。通算251勝を挙げている偉大な投手だ。もし入団当時の西鉄ライオンズがもう少し強ければ、きっともっと勝ち星は増えていただろう。だがその頃のライオンズはいわゆる黒い霧事件があり、エースの池永投手はじめ、ローテーションピッチャーのほとんどが出場停止や球界追放の処分を受けてしまった。そのせいで野手への転向が予定されていた東尾投手は、引き続き投手としてマウンドに立ち続けることになった。

177cmという身長は、投手としては決して恵まれた体格とは言えなかった。それでもコントロールと頭脳的配球、そして闘争本能により着実に勝利数を増やした。東尾投手の代名詞は何と言ってもシュートボールだ。右打者の懐に食い込んでいくシュートは、打者からすると脅威だっただろう。だがこのボールを生命線としていたということもあり、東尾投手の与死球165という数字は、未だ破られない日本記録となっている。

当時まだ子どもだった筆者の脳裏にも強く残っているのだが、近鉄のデービス選手にデッドボールを与え、乱闘になったことがあった。デービス選手は一直線に東尾投手の元に駆け寄り、パンチをお見舞いした。東尾投手も何とかグラブを使ってパンチを避けたのだが、その内の1~2発が見事顔面に命中。その後デービス選手は他の選手よって抑えられたのだが、殴られた怒りの収まらない東尾投手はデービス選手に仕返しをしようと歩み寄った。これも他の選手に抑えられたため事なきは得たが、東尾投手の闘争本能を強く感じられた一場面だった。

東尾投手は大田卓司選手とともに、西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター・西武と、すべてのライオンズのユニフォームに袖を通した選手だった。その東尾投手も88年、日本シリーズを最後にユニフォームを脱いだ。筆者はテレビの前でスコアを付けながら観戦していたが、その年の中日との日本シリーズは強く記憶に残っている。東尾投手が先発として活躍できなかったことが、ファンとしては少し残念だった。

東尾投手は引退をするとその7年後の95年、今度は監督としてライオンズに戻ってきた。常勝時代を指揮した森監督が93・94年と2年続けて日本シリーズで破れ、勇退したその後任として、監督東尾が誕生した。

この頃は工藤投手の移籍が噂されていたので、工藤投手の兄貴分であり師匠でもある東尾監督が戻って来てくれれば、工藤投手は残留する!と思っていた。しかし工藤投手はFA権を行使し、オヤジと呼んで慕う故根本陸夫の後を追うようにホークスに移籍してしまった。

最終的には工藤投手、石毛選手、清原選手、秋山選手(監督就任前に移籍)など、黄金時代を築き上げた選手なしでの采配を余儀なくされた東尾監督は、若い選手を積極的に起用していった。特に松井稼頭央選手・大友進選手・高木大成選手の俊足トリオは他チームの脅威となり、98年にはそこに小関竜也選手が加わり、トリオからカルテットへと進化し、この4人は当時のスローガンである「Hit!Foot!Get!」の象徴的存在になった。

投手陣では西口投手、豊田投手、石井貴投手、森慎二投手らを育て上げ、横浜でくすぶっていたデニー友利投手を獲得して一人前に育てたり、戦力外扱いだった日本ハムの西崎幸広投手を獲得し、クローサーとして蘇らせた。とにかく投手を扱う手腕に関しては、権藤博に並びずば抜けていた。

先発ローテ投手だった豊田清投手が手術したあと、2000年にクローサー転向させたのも東尾監督だった。当時クローサーだった森慎二投手が不調に陥ったための緊急措置だったが、豊田投手は肘を手術して連投が利かないことを理由に最初はリリーバーへの転向を拒んでいた。しかし東尾監督は「1球1球に対する気持ちはクローサー向きで、慎二が復活するまでの間だけ」と言い、何とか豊田投手を説得した。しかし結果的には森投手が復調しても豊田投手はクローサーとして投げ続け、その後は絶対的守護神とまでなった。この豊田投手も、東尾監督を師匠と仰いでいる1人だ。

そして98年秋に行われたドラフト会議では、横浜入りを熱望していた松坂大輔投手との交渉権を獲得し、200勝を挙げた試合のウィニングボールを松坂投手にプレゼントすることで、西武入りを説得した。松坂投手も東尾監督のことを師と仰ぎ、レッドソックスに移籍した後でも不調時、東尾監督のアドバイスで復調したこともあった。

さらに言えばアストロズの松井稼頭央選手もやはり東尾監督を師と仰いでいる。スイッチヒッターに転向させたのも、まだ未熟だった駆け出しの稼頭央選手を我慢して使い続けて日本を代表するショートストッパーに育てたのも東尾監督だった。昨年稼頭央選手が日米2000本安打を達成した瞬間、東尾監督はまさにその場で稼頭央選手を見守っていた。2000本目を打った直後、スタンドからスタンディングオベーションを送る東尾監督の姿を、稼頭央選手は塁上からしっかり見つけていた。

東尾監督は投手采配に関しては超一流と言えるが、打撃采配に関しては批判を浴びることが少なくなかった。だが完璧な采配を揮える監督などいない。東尾監督の場合、奇策に近い戦略を多用したため、1つの采配ミスが余計に目立ってしまったわけだ。全体からすると、打撃采配に関しても優秀だったと筆者は感じている。

特にピッチャーが非常に嫌がる采配は、筆者も見ていてとても勉強になった。ピッチャーが最も嫌なのは、執拗にファールで粘ることと、1塁でランナーにちょこまか動かれることなのだが、東尾監督はピッチャー目線からこのような戦略を多用していた。スラッガータイプのバッターが少なかったということもあるが、東尾監督が俊足巧打タイプのバッターを重用したのは、この考えからだと思う。

東尾修という監督は、人心掌握術に長けた監督だった。東尾監督は、若手選手よりもベテラン選手に対しよくお小遣いを渡していた。しかしそれはただ単にプレゼントするものではなく、「この金で若い選手を飲みに連れてってくれ」というものだった。この監督マネーでベテランが若手選手を飲みに連れて行けば、若手からのベテランへの人望は厚くなり、ベテラン選手を中心にしグラウンド上にも一体感が増してくる。

恐らく一包み10万円20万円と入っていたと思うのだが、合計すると小さな出費ではなかったはずだ。しかしこれにより若手はベテランを信頼し、ベテランは監督を信頼する。そしてベテランが監督を信頼していれば、ベテランを信頼している若手も監督を信頼するようになる。東尾監督はこのようにしてチームの連帯感を作っていた。

そして97年オフ、リーグ制覇を達成した東尾監督は優勝の余韻にも浸れず、胸を痛めることになった。それは黄金時代のエースであり、弟分でもあった渡辺久信投手の戦力外通告だった。球団は複数球団とトレード調整をしていたのだが、当時1億円という高額年俸がネックとなり、受け入れ球団が見つからなかった。そのため他チームの戦力補強がほぼ終わった非常に遅い時期での戦力外通告となった。

この遅い時期での戦力外では移籍先など見つからず、トライアウトもすべて終わっているようなタイミングだった。すると東尾監督はその秋のドラフトで、ヤクルトの野村克也監督の元に歩み寄り、「ナベの受け皿になって欲しい」と頼み込んだ。この時久信投手の戦力外を知っていたのは、まだ東尾監督だけで、この戦力外が公表されたのは翌日のことだった。

東尾監督のこの気遣いのおかげで、久信投手はヤクルトに移籍した。大きな活躍こそはできなかったが、野村監督の下で渡辺監督は帝王学を学んだ。そして久信投手がヤクルトで選んだ背番号は、東尾投手が現役時代に背負っていた21番だった。渡辺監督もまた、東尾監督を兄として、師として仰ぐ1人なのだ。

2010年、ついに野球殿堂入りを果たした東尾修監督だが、実は今回が有資格最終年だったようだ。選出されて本当に良かったと思う。東尾監督は野球人として、殿堂入りするに相応しい人物だと筆者は思う。もちろん過去には色々とやんちゃなこともやってきた人ではあるが、しかしそれは豪傑さのエピソードとして、今では笑って話せるような内容だ。

東尾監督は監督退任後、常々「投手コーチをやってみたい」と言っていた。ライオンズは近い将来、投手陣の世代交代がある。西口投手も石井一久投手も、あと5年投げるのは難しいだろう。この世代交代をスムーズに行かせるためにも、東尾投手コーチ誕生というのは多くのファンが待ち望んでいることだと思う。野球を見る目は確かな人だけに、筆者はいつか東尾投手コーチの姿を見てみたいと願っている。

higashio.jpg
以前筆者が東尾監督にいただいた直筆サインボール

東尾修・投手通算成績(背番号21)
697試合251勝247敗23S 4086回 165与死球 防御率3.50

東尾修・監督通算成績(背番号78)
937試合489勝425敗23分 勝率.525

東尾監督野球殿堂入りへのお祝いメッセージ
豊田清投手
小関竜也
その他の選手(スポニチより)


【お知らせ】
最近、日刊埼玉西武ライオンズの記事をブログやmixi日記などで再利用されている方がいるようです。日刊埼玉西武ライオンズの記事は、筆者が許可していない限り、酷似した文章、コピーした文章を他ブログ、他サイトに掲載することは禁止いたしております。もし何かお気付きの点などございましたら、ぜひメールでお知らせくださいませ。ご協力よろしくお願いいたします。

前の記事 #51 大島裕行
次の記事 G.G.佐藤選手が中村選手の本塁打数を抜くために


日刊埼玉西武ライオンズをフォローしよう!
baseball 記事を楽しんでもらえたら、ランキングに1球の投票をお願いいたします。
にほんブログ村 野球ブログ 埼玉西武ライオンズへ



【関連記事】

2010年01月13日 15:23