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小岩ジェッツ

#10 高木大成



#10 高木大成 - Taisei Takagi

内野手(ファースト)、右投左打
1995年ドラフト1位
桐蔭学園~慶応大~埼玉西武ライオンズ
東京都八王子市出身、1973年12月7日生、179cm / 79kg


高木大成、引退してなおこれだけ人気の高い選手も稀だと思う。本人曰く、引退後は現役時代よりも多くサインをしているらしい。筆者も本当に大好きな選手だった。夢は怪我に叶わなかったが、筆者が桐蔭~慶応の野球部を目指したのは高木大成さんの影響が絶大だった。当時中学1年生だった筆者は桐蔭学園の大成選手のプレーを見て、この人の後輩になりたいと強く思ったものだった。

高校時代の大成さんは神奈川県下ナンバー1キャッチャーと評され、人望も厚く、アメリカ遠征では高校選抜チームのキャプテンとして松井秀喜選手らと共に活躍した。直後のドラフトでは多数の球団が上位指名を検討していたが、しかし大成さんが選んだ道はプロ野球ではなく、慶応大学総合政策学部だった。

慶応野球部でも1年生の頃からすでに主戦選手として活躍した。背番号も27を背負い、キャッチャーとしてもバッターとしても高い期待が寄せられていた。そしてその期待に背くことなくその後、大成さんは桐蔭学園2学年後輩の高橋由伸選手らと共に慶応大学をリーグ優勝に導いた。

大学3年生になった94年、44年振りに行われた天覧試合では、早稲田を相手にホームランを放つなど、大舞台での勝負強さも見せ付けた。4年生になるとキャプテンに就任し、名実共にチームを引っ張る存在となる。ベストナインには3回選出され、27二塁打は歴代最多だった。

大学野球を代表する中距離ヒッターとして、さらには好守備を幾度も披露したキャッチャーとしてプロからの注目は益々上がっていった。複数球団が獲得を目指した中、大成さんが選んだのは西武ライオンズだった。八王子出身の大成さんは子どもの頃から大のライオンズファンで、西武球場にも頻繁に通っていた。まさに相思相愛でのドラフト1位指名だった。

新人選手の単独入団会見は西武では清原和博選手以来だった。大成さんはそれだけ注目度が高く、期待の新人だったわけだ。そしてもらった背番号も10。大学ではいわゆるキャプテンナンバーで、ライオンズからも将来はリーダーとしてチームを引っ張ってもらいたいという期待をされていた。

しかしプロの壁は厚かった。1年目は伊東勤捕手との正捕手争いに加わったが、結果としては敗れてしまった。大成さんはキャッチャーとしては決してレベルは低くなかった。いや、むしろルーキーとしては上出来とも言えた。だが伊東勤というキャッチャーは、それ以上に素晴らしいキャッチャーだったのだ。

2年目からは大成さんのバッティングを活かすため、当時の東尾修監督はファーストへコンバートさせた。するとこれが見事に成功し、1番松井稼頭央、2番大友進、3番高木大成の俊足トリオは三羽カラスと呼ばれ他球団の脅威となった。まさに当時のスローガン「Hit!Foot!Get!」の象徴的存在だった。

今でこそ「レオのプリンス」は岸投手の呼び名となったが、97・98年に西武がパ・リーグを連覇した頃は、この称号はまだ大成さんのものだった。甘いマスクは女性ファンを虜にし、反面闘志溢れるプレーは男性ファンを魅了した。

大成さんは非常に温厚に見えるが、ユニフォームを着ると常に温厚というわけではない。甲子園出場時にはファールの判定で審判に詰め寄ったこともあるし、プロ入り後も不甲斐ないバッティングをしてしまうとダグアウトに戻り、バットでダグアウト前のボール避けフェンスを叩き壊すこともあった。つまり言い換えると、大成さんはそれだけ野球に対し本気だったというわけだ。

彼のそういうプレーを見続けていた解説者たちは口々に言っていた。「早く彼に3割を打たせてあげたい」と。

入団3年目までは順調すぎる野球人生を歩んでいた。しかし99年以降は怪我に泣かされた。最初は怪我ではなかったが、98年のオフに右肘遊離軟骨の除去手術を受け、99年2月2日にはキャンプ開始早々守備練習時に右足首を捻って関節外側側副靭帯を断裂し、1週間後に手術。この時はシーズン中盤での復帰が予想されていたが、しかし大成さんは4月27日早々1軍に戻ってきてくれた。

だがその後も左ひざ痛や肘痛に悩まされ、出場試合数は年々減少していった。それでも2003年には4試合連続ホームランを放ち復活を印象付けた。だが好調をキープすることは出来ず、翌2004年は右腕手術の影響でプロ入り初の1軍未出場に終わる。

そして2005年は13試合に出場するも、千葉マリンで行われたプレーオフ初戦の前夜、戦力外通告を受けることとなった。この時大成さんは他球団でのプレーに挑戦することも考えたようだが、大好きなライオンズのユニフォームを着て野球を辞めたいという思いから、10月31日、現役引退を発表した。

数字以上にファンに印象を残した素晴らしい選手だった。通算ホームラン56本のうち、5本が満塁ホームラン。チャンスでは必ず打ってくれる印象を回りに与えてくれる選手だった。

筆者にとっては97年オフ、渡辺久信投手の戦力外同様に悲しいニュースとなった。久信投手にしろ大成選手にしろ、筆者は彼らが高校時代から応援し続けていた。そして「ライオンズに入って欲しい!」という願いも通じ、2人ともライオンズに入団し、主力として活躍。大ファンだったし、野球選手として尊敬し、憧れていた。そういう選手が戦力外通告を受けたと知ると、胸が張り裂けそうになる。

その後同じく、中学・高校時代から応援し続けライオンズに入団したのは松坂大輔投手と涌井秀章投手だ。特に松坂投手は中学時代のプレーからよく知っている。この2人にはぜひ自らの意思によって引退できるまで、怪我なくプレーを続けて欲しいと思う。

引退後の大成さんは西武の球団職員として、事業部マーケティンググループ課長というポストに就いた。主にファンサービスを向上させる部署だ。ホームページ上で行った「大成ラボ」は多くのファンから反響があり、現在のファンサービス向上の礎となっている。

アマチュア選手への金銭供与問題で放送取りやめになってしまったが、球団初のテレビコマーシャルを制作したのは誰でもなく高木大成さんだった。テレビでは流れなかったが、西武ドームでは流されていた。1人の少年の夢を選手たちがボールで繋いでいく、本当に素晴らしく、実に印象的なCMだった。この作品が電波に乗ることなく、本当に残念でならない。

西武ライオンズという球団が変わり始めた切っ掛けは、大成さんが内側に加わってくれたことが大きかったと思う。西武グループからの出向組が多くを占める西武球団にとって、大成さんのような新しい血がカンフル剤となったのだろう。金銭供与問題で膿みも出し尽くされ、変わらなくてはならないという背水的状況もプラスに働いた。この時の大成さんの球団イメージ回復への尽力は、きっと計り知れない。

女性ファンに絶大な人気を誇っていた大成さんだったが、結婚をしたのは2006年、つまり引退した翌年のことだった。一般女性との結婚だったらしい。

筆者は大成さんの過去の傷をよく知っている。大成さんは現役時代、ある女性と交際をしていたのだが、その女性は仕事中に転落事故に遭い、骨盤を骨折してしまった。大成さんは試合や練習の前後に足しげく病院に通い、彼女を励ました。また彼女も大成さんが怪我に苦しむとよく励ましていたようだ。

だが彼女は骨盤を骨折してしまった影響で、妊娠できる可能性が限りなく0になってしまったのだ。それを知った親類・知人たちは、大成さんに別れた方がいいと余計な助言を繰り返した。もちろん2人にとっては十分乗り越えられる壁だったと思うが、しかし周囲の余計なお世話が2人の距離を徐々に遠ざけてしまった。

その頃筆者はちょうど、自分の肩の治療のためドクターショッピングを繰り返していた。大成さんと彼女の姿は、その時期に見かけた光景だった。

当時の2人の姿を偶然にも知った筆者は、「この2人には絶対に幸せになってもらいたい」と感じた。だが破局後の彼女は未成年との飲酒問題などを起こしてしまい、結局当時勤めていた会社を去ることになってしまう。

本来なら選手たちの野球以外の話は、正確な情報があっても避け続けて来た日刊埼玉西武ライオンズなのだが、今回だけは悲運の物語として簡単に紹介させていただいた。そのためゴシップとして書いたのではないということをご理解いただければと思う。

選手としても1人の男としても悲運・栄光を知る高木大成さん。そのためだろうか、筆者は現役時代以上に今、大成さんを応援している。今後は大成さんが中心となって球団運営されるようになってもらいたいし、私生活でも幸せな家庭を守り続けてもらいたい(これも余計なお世話だということは筆者も重々承知の上)。

現在大成さんは、12球団ジュニアチームの監督としても活躍されている。いつか高木大成2世がこの大会に出場してくるのだろうか?もしそうなったら、ファンとしては本当に嬉しい。そんな日が来ることを待ち侘びながら、これからも筆者は大成さんを応援し続けたいと思っている。

 打撃成績 Batting Results






























1996 80 251 234 34 65 11 0 4 88 24 3 2 3 1 12 0 1 34 1 .278 .315 .376
1997 130 532 474 75 140 27 4 7 196 64 24 7 6 4 47 2 1 62 11 .295 .357 .414
1998 134 586 504 70 139 26 2 17 220 84 15 13 7 8 66 1 1 68 12 .276 .356 .437
1999 110 413 360 51 98 15 3 7 140 54 13 5 5 2 44 2 2 43 10 .272 .353 .389
2000 94 374 316 47 74 18 2 9 123 44 3 4 9 0 47 1 2 66 3 .234 .337 .389
2001 67 210 192 22 40 13 1 4 67 18 5 4 0 2 15 0 1 29 5 .208 .267 .349
2002 36 72 65 9 13 0 0 2 19 8 2 0 2 0 5 0 0 16 1 .200 .257 .292
2003 56 136 118 16 28 3 2 6 53 20 2 0 0 3 15 0 0 25 1 .237 .316 .449
2005 13 22 17 1 2 1 0 0 3 3 0 1 0 1 4 0 0 5 0 .118 .273 .176
通算 720 2596 2280 325 599 114 14 56 909 319 67 36 32 21 255 6 8 348 44 .263 .336 .399


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2009年12月21日 14:54 




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