1  |  2  |  3  | All pages

2009年ファン感謝の集い

23日、筆者は友人たちと埼玉西武ライオンズのファン感謝の集いに行って来た。イベントが開始される11時前には到着していたのだが、西武ドーム周辺にはすでに長蛇の列。西武ファンの多さに去年同様圧倒された。

会場には西武ドーム、第二球場、駐車場、駅前広場を結ぶようにして世界最長960メートルのレッドカーペットが敷かれていた。映画スターのようにゆっくり歩いてファンを楽しませるという場面はなかったが、通っていく選手たちは両手でファンとハイタッチをしながらそれぞれの会場に向かって行った。とにかく選手たちをすごく身近に感じることができる素晴らしい集いだった。

渡辺監督涌井投手栗山選手中村選手G.G.佐藤選手らが次々と売店に立ちフード販売を行ったり、握手に応じてくれたり、ファンにとっても選手にとってもそれぞれを身近に感じることができたと思う。これにより選手たちは益々頑張ってくれると思うし、ファンもさらに熱い応援をしてくれるはず。

トークショーでも色々な本音を聞かせてくれた。渡辺監督の夫人へのプロポーズの言葉や、帆足投手が投球前にボールにキスをしている理由、片岡選手が好みの女性の髪の色などなど。それに捕手陣から見た投手陣に、投手陣から見た捕手陣、タイトルホルダートークなど、文化放送やNACK5、テレビ埼玉でお馴染みのアナウンサーたちが巧みに選手たちの本音を引き出していた。

イベントの最後は選手会長である赤田選手の挨拶と一本締めで綴じられたが、4時間が本当にあっという間に感じられた。しかしファンとしての本音は昨年のファン感謝の集いのようになって欲しいというところ。日本一達成の優勝パレードを終えてからの集い。これこそがファンが望む最高の集いだ。また2階建てオープンバスに乗り、所沢パレードをしてもらいたい。来年は日本一を奪回し、昨年同様の最上級の集いにして欲しいと思う。

オープニングセレモニー


ファン感謝の集い vol.1

2009年11月24日 19:49

菊池雄星投手、西武入団正式決定

本日、岩手県内の雫石プリンスホテルにて前田球団本部長、菊池雄星投手、菊池投手のご両親にて入団交渉が行われ、菊池投手の西武入団が正式に決まった。契約金は1億円+最大5000万円のインセンティヴ、年俸は1500万円、背番号は17に決まった。

契約金・年俸は高卒ルーキーとしては破格の条件だ。西武球団がどれだけ菊池投手に期待しているかが分かる。だが焦らせることはさせないという球団方針があり、これに関しては筆者も大きく賛同している。いくら超高校級投手とは言え、そこはまだ高校生に過ぎない。まだまだ自分をしっかり制御できるほどの人間形成は終わっていない。プロに入り慌てることもあれば、焦ることもあるだろう。

西武球団は雄星投手を決して人寄せパンダにはしないと言う 。10年前に松坂大輔投手が入団した時とは、うってかわっている。10年前は球団は観客動員優先で松坂投手を開幕第2戦の西武ドームで投げさせようとした。しかし東尾監督がそれに大反対し、2カード目の東京ドームでの日本ハム戦にプロ初登板させたという経緯がある。

東尾監督のその理由は、速球派だった松坂投手に東京ドームのマウンド傾斜が合っていたことと、よりプレッシャーの少ない試合でデビューさせてやりたいという親心からだった。だがこの時東尾監督の方針に反対した球団スタッフからはもう一新されており、現西武球団は雄星投手をじっくり育てて行く方針のようだ。そしてこれは比較的注目度の低いパ・リーグだから可能なこと。もしセ・リーグに行っていたら、今回のような育成方針が実践されることはなかっただろう。

とにかく、雄星投手はこれで晴れて埼玉西武ライオンズの一員となったわけだ。 今後最も期待するスポーツ選手は誰かという一般アンケートで、ゴルフの石川遼選手を抜き1位になった雄星投手。その注目度・期待度は尋常ではないが、しかし決して焦ることなく、西武の優秀なコーチングスタッフを信じ、伸び伸び育って行って欲しいと思う。そして2013年の第3回WBCでは、主戦投手としてサムライ入りを果たしてもらいたい。

2009年11月21日 16:49

岸孝之投手のピッチングフォームについて

今回は岸孝之投手のピッチングフォームについて、筆者なりの解説をしてみたいと思う。岸投手のピッチングフォームは非常に美しく、それはライオンズ投手陣の中でも、3本の指に入るほどだろう。だがいくつかのもったいない点もあるため、なかなかエース涌井秀章投手を追い抜くことが出来ない。

まずは線の細さだ。いや、厳密には細い体型は問題ない。問題なのは、その細さの要因だ。一流に名を連ねる選手・指導者のほとんどが食にこだわりを持っている。ライオンズで言えば工藤公康投手中村剛也選手菊池雄星投手が食に対する関心が高い。特に工藤投手は「粗食」に関しての本を何冊か出しているほどで、その本は雄星投手も読破しているようだ。

一方の岸投手は、食に対してはとても弱さを持っている。登板直前には緊張して食べ物が喉を通らなくなることもあるそうだ。ひどい時は吐き気を催すこともあるらしい。そしてもちろん、日々の食事の量も他選手と比べるとかなり少ない。

人間の身体というのはとても面白いもので、空腹感を感じると筋肉を破壊してでもその空腹を満たそうとする(残念ながら脂肪はあまり破壊されない)。つまり岸投手のように食事の量が絶対的に少ない選手は、激しいトレーニングをしても超回復(練習で疲れた筋肉が、パワーアップして回復すること)に必要な栄養が追いつかなくなってしまう。つまり、筋力をキープすることはできても、筋力をアップさせることが非常に難しいのだ。

もし岸投手が今後この点について工藤投手を参考に見直すことが出来れば、被ホームランは大幅に減るだろう。だが今のままでは、身体に疲労が溜まってきた時にベストパフォーマンスを出せなくなってしまう。つまり試合終盤や、シーズン後半と言った場面だ。まだ年齢が若い今は問題ないのだが、25歳を過ぎると筋肉はどんどん硬化していき、野球選手としての身体のピークは平均して27歳で終わりを告げる。「27歳までにメジャーに行く」というイチロー選手のこだわりは、ここから来ていたわけだ。

さて、話を本題に戻しフォームについて語ってみようと思う。岸投手のフォームで1番良い点は、身体の細さだ。もし岸投手のフォームで、体型だけが筋肉で一回り大きくなってしまったとしたら、今までのようなボールは投げられなくなるだろう。岸投手のボールは、あの細身の体型だからこそ投げられるボールなのだ。

身体が細いということは、慣性モーメントが小さくなる。慣性モーメントとは、回旋のしにくさを表すもので、小さければ小さいほど回旋しやすくなる。岸投手の場合は投球時、慣性モーメントが小さいために脊柱(背骨)を軸にして身体をスピンさせやすくなる。ボールのスピードをアップさせるために最も必要な要素が、この脊柱軸の回旋スピードのアップなのだ。岸投手があれだけ細くても145kmのボールを投げられる要因がここにある。

145kmのボールを投げるためには、単純に考えると腕を145kmでスウィングする必要がある。だが肩・腕周りにある約40種類の筋肉を使ってそれをやろうとしても不可能なのだ。いくら筋肉があっても、その筋肉だけで速球を投げることは出来ない。

岸投手の身体には投球時、2つの回旋運動が出現する。1つ目は脊柱、2つ目は投球腕。この2つの関係としては、脊柱軸が回旋してこなければ、投球腕は回旋しない。つまり、投球腕の回旋だけを意識しても、投球腕は回旋しない。脊柱軸が回旋して、初めて回旋してくるのが投球腕なのだ。

岸投手の場合、この2つの回旋運動があるからこそ、あの細い身体でも145kmのボールを投げることが出来ている。もしこの記事をお読みの方で球速を上げたいと頑張っているのなら、ウェイトトレーニング以前に必要なことがある、ということを知っておいてください。筋トレだけでは球速はアップしません。

脊柱、投球腕に回旋が出現しているからこそ、岸投手の腕はしなやかに見える。映像や連続写真などを見ると分かるのだが、スウィング時の岸投手の腕はまるで鞭のようにしなっている。これだけ腕をしならせられるピッチャーは、プロ野球界にもそれほど多くはないだろう。

続いて変化球だが、岸投手のウィニングショットはカーブだ。だがインタビューなどを聞いたり読んだりしていると、岸投手は「手首をひねらないで投げている」とよく口にしている。だがこの岸投手の言葉をそのまま信じてはいけない。これは、岸投手自身にひねっている感覚がないだけで、実際には間違いなくひねられている。

だがそれは他のピッチャーのひねりとは違う。他のピッチャーはリリース時、手首をEXスパイラル(外回旋)させてカーブを投げることがある。この投げ方でカーブを投げるのは非常に危険だ。この投げ方だとリリース後のフォロースルーで、肘が抱えたエネルギーの逃げ場がなくなってしまう。つまり、肘を壊す危険性が非常に高いのだ。そのため近年、少年野球などでは変化球を投げることを禁止するルールも出来ている。筆者としてはこのルールは非常にナンセンスだと考えている。正しい投球モーションを学び、教えられる指導者がいれば、変化球で肘を壊す心配はいらない。もちろん過多となると話は別だが。

しかし岸投手のひねり方であれば、変化球が原因で肘を壊す心配はない。岸投手は確かに手首そのものは単独ではひねっていない。だがリリース時からは、腕全体をINスパイラル(内回旋)させている。分かりやすくいうと、リリース後に手のひらがキャッチャー方向を向いている状態だ。こうすることで肘に余分なエネルギーが残らず、故障の危険性は大幅に下がる。

岸投手のカーブは恐らく、中指だけで投げているのだと筆者は見ている。人差し指はボールから浮かせている状態に近く、親指にもグリップ感はほとんどないはずだ。まさに中指の腹からボールを抜く感覚で投げている。

ストレートとの違いは、人差し指と中指の指先で弾くか、中指の腹から抜くかだけだと思う。この僅かな違いを、18m離れた場所からバッターが見極めることはほぼ不可能だろう。岸投手のストレートとカーブは、バッターからしたらボールが放たれたあとにならないと見極めができないわけだ。

ここまで色々と書いてみたが、岸投手のピッチングフォームは本当にバランス感覚に優れた動きをしている。涌井投手もバランスの良さを高く評価されているが、筆者が見た限りでは、動き全体のバランスは岸投手の方が上だと思う。だがフィジカルの部分で岸投手にはまだ弱さがある。

最後にも1点、左股関節について。よく言われる体重移動というのは、上半身の重さを軸足股関節から、前足股関節に移す作業のこと。右投げの岸投手の場合は右股関節から、左股関節に体重を移動させる。この体重移動に関しても、岸投手は本当に素晴らしい。この体重移動があるからこそ、ボールに強さが増すのだろう。

ちなみに余談ではあるが、筆者は身長が175cmで体重が70kgある。体脂肪率は11%なので、太ってはいない。だが岸投手は180cmもありながら、体重は68kgしかない。筆者の方が5cmも背が低いのに、体重は岸投手の方が2kgも少ない。

スポーツを経験された方なら、筋肉で体重2kg増やすことがどれだけ大変か分かってもらえると思う。岸投手の体脂肪率が何%なのかは筆者には分からないが、13%を超えていないことだけは間違いないだろう。ひょっとしたら10%未満かもしれない(イチロー選手は5%)。

やはり岸投手がもう一段階ステップアップするためには、冒頭に書いた食事量の改善が必要になってくると思う。ちなみによきライバルである涌井投手は横浜高校出身だけあって、プロ野球選手の中でも食事量が多い方らしい。だから僅か5年という短期間であれだけ身体を大きくすることが出来たのだろう。

岸投手が今後食事によって身体をあと少し大きくすることが出来れば、15勝は計算できるだけのピッチャーになれるはずだ。そもそもあのストレートとカーブ、そして切れ味抜群のスライダーにチェンジアップを持っていて、今年13勝しか出来なかったことの方が不思議なのだ。もし途中でスタミナ切れさえ起こさなければ、涌井投手と共に最多勝争いをしていたはず。

今オフ、岸投手自身も自覚している食事に関する問題点を、どうやって克服してくるか。それとも補ってくるのか。筆者はその点にも注目してオフ・春季キャンプを見守って行きたいと思う。

2009年11月17日 16:44

工藤公康投手の背番号が55に決定、その理由

ここのところ連日工藤公康投手の復帰に関する記事ばかりになっているが、喜ばしいことなので今日もまずは工藤投手の話題から入りたいと思う。

今日、西武ドームの隣にある球団事務所で、工藤投手の西武復帰を発表する記者会見が行われた。会見で工藤投手は「僕は強い運を持っていると思う。ライオンズに育ててもらって、今も野球ができている。ライオンズを日本一にできるよう頑張りたい」と語った。

西武復帰が決まった直後、工藤投手と渡辺監督は電話で話をしたそうなのだが、この時からすでに工藤投手のけじめは付いていた。それまでは「ナベ」と呼んでいた2歳下の後輩を「渡辺監督」と呼び、敬語で話をするようになった。ホークス時代の王監督、巨人時代の長嶋監督は工藤投手を扱いにくいと感じていたようだが、渡辺監督に対しては最初から自分の立場を徹底させるというスタンスを取った。プロ・アマ問わず年齢が絶対となる野球界において、なかなかできることではないと思う。

会見での発表によれば背番号は55、年俸3000万円+インセンティヴの1年契約となったようだ。

背番号55には2つの思いが込められている。1つ目はもちろん5月5日という誕生日。そしてもう1つは、ホークス時代の後輩である故藤井将雄投手(享年31歳)の存在だ。西武側から提示された空き番号の中から、「将雄の数字(15)が入った番号がいいな」と家族で話し合い、背番号15の5を2つ並べた55という背番号を選んだ。

工藤投手は野球ができるという喜びをいつも「元気で野球をやっていられる自分が将雄の分まで頑張る」という言葉で表している。2000年に亡くなった炎の中継ぎ・藤井投手の存在が、来季47歳という年齢になるまで工藤投手に野球をやらせているのかもしれない。

来季の工藤投手は必ず、藤井投手のためにも、ライオンズの日本一のためにもやってくれるはずだ。1年契約ではあるが、1年とは言わず2年、3年と少しでも長く野球をやり続けてもらいたい。そして来年5月5日には西武ドームでの楽天戦で、自らの誕生日を祝ってもらいと思う。

2009年11月16日 15:06

工藤公康投手、16年振りの西武復帰が決定!

工藤公康投手入団会見【前編】


工藤公康投手入団会見【後編】


ついに工藤公康投手の16年振りの西武復帰が決まった!12日の交渉後に家族会議を開き、それですぐに心は決まったようだ。14日中にも工藤投手本人が正式なコメントを出す予定らしいので、楽しみに待ちたいと思う。

そして気になる背番号だが、47番に関しては固辞したようだ。帆足投手が47番を工藤投手に返上する意思であることを工藤投手は新聞を通して知り、ずっと心苦しい思いをしていたらしい。「もうその番号のことは、忘れました」と47番との決別も明言しており、空き番号の中から新背番号を選ぶことになりそうだ。

子どもの頃、筆者が最も応援していた選手が渡辺久信投手工藤公康投手だった。工藤投手が94年に、久信投手が97年にライオンズを去り、筆者は本当に寂しい思いをした。だが今また、こうして2人ともライオンズに帰って来てくれた。この事実が本当に嬉しい。

今回は速報として余計なことは一切書かず、筆者はただ感慨に浸ろうと思います。工藤投手の西武復帰、筆者は心から嬉しく思っています。

2009年11月14日 06:12

工藤投手西武復帰に関する続報

工藤公康投手の西武復帰に関する続報だが、トライアウト後になって楽天も獲得の意思を表明した。だがやはり最有力は間違いなく西武になるだろう。情報によれば、工藤投手は横浜から都内のマンションへ引っ越すこともすでに検討しているようだ。となると、仙台に本拠地を置く楽天への移籍は考えづらい。

また、背番号47という意味では、楽天も問題はないだろう。現在は左腕の松崎投手投手が背負っているが、ほとんど実績がないため工藤投手への譲渡に問題はない。だが西武側からすると、1軍で実績十分の帆足投手が早くから47番を工藤投手に返上する意思を示している。これには工藤投手も胸を熱くしたはずだ。

今日、前田球団本部長が12日に工藤投手と交渉の席を持ったことを明らかにした。実績を十分に考慮した上で条件面などの提示も行い、かなりの好感触を得られたようだ。工藤投手本人も「西武は一番最初に話をもらった球団。前田さんからは貴重な左の中継ぎとして評価していると言ってもらった」と好印象を受けているようだ。

現在は工藤投手からの返答待ちという状況で、家族と相談の上で結論を出すとのことらしい。そして注目なのは、楽天と交渉してから結論を出すのか、それとも交渉をせずに結論を出すのか、という点だ。

だが楽天は、高齢ということを理由にチームを2位に押し上げた野村監督を解雇したばかり。来季47歳になる工藤投手にとって楽天のこのチーム方針は、決して良い印象は受けなかったはずだ。一方西武の場合、近年はチーム・球団・ファンが三位一体となりつつある。特に球団は今まで以上に選手・ファンを大切にするようになった。元球団代表の太田氏の尽力もチームを大きく変えたし、現小林代表も太田氏の意思をしっかり引き継いでいる。

現在の埼玉西武ライオンズは1つの家族のような感覚だろう。チーム・球団の双方がそれぞれを理解しようとし、また双方がファンを大切にしている。子沢山で家族を何よりも大切に考える工藤投手にとって、現在のライオンズのあり方は非常に魅力的に映っていると思う。

筆者の予想では、来週の前半辺りまでには結論を出すのではないかと思っている。ストーブリーグでチーム編成の問題もあるため、断るとしたらなるべく早く断りを入れた方が相手チームにも迷惑が掛からない。その辺に関しては工藤投手も十分理解しているだろうから、工藤投手の加入を望む楽天ファンには大変申し訳ないが、やはり近日中に西武復帰が発表されるという予想で間違いはないと思う。そして西武球団もその発表に合わせてすでに、47番のユニフォームを用意しているのではないだろうか。

2009年11月13日 19:45

#15 大沼幸二



#15 大沼幸二 - Koji Ohnuma

投手(先発、リリーフ)、右投右打
2000年ドラフト1位(逆指名)
尽誠学園高~プリンスホテル~埼玉西武ライオンズ
大阪府東大阪市出身、1979年7月3日生、178cm / 81kg
球種:スライダー、カーブ、フォーク、ストレート(152km)

プロ入り9シーズンを終え、2009年は自己最多の54試合に登板した大沼投手。今やライオンズのブルペンには欠かせない存在となった。しかしそれでも年に何度かはファーム行きを命じられている。なぜなのだろうか?これだけの素質を持っていながら、なぜ大沼投手は1軍に完全に定着できずにいるのか。

まず一番のウィークポイントは入団当初からの制球難だろう。数年前と比べると格段に良くなったとは言え、それでもまだコントロールが良いとは言えない。だが筆者は、大沼投手のある日のピッチングをよく覚えている。それは2004年5月7日の日本ハム戦に先発した時のことだ。大沼投手は「愛娘に格好良いパパを見せたい」と言う思いのもとマウンドに立ち、(確か)1軍初先発マウンドで見事な好投を見せてくれた。気持ちのこもった本当に素晴らしいマウンドだった。

この時西武ドームで投げ合った投手は日本ハムのエース・ガンちゃんこと岩本投手だった。名前だけを見ると完全に負けていたのだが、しかしこの日に関しては大沼投手の方がエース並のピッチングを披露してくれた。そして最後は小関選手の決勝打で3-0の快勝。この時筆者は、2~3年後にはこの投手は必ずローテーションに入っていると確信した。

だがこれ以降の大沼投手は好調を維持することが出来ず、制球難により自滅する試合が増えていった。見ていて本当に切なかった。なぜコーチ陣は大沼投手の悪いところを直してあげないのだろうか、と。もちろんプロのピッチャーのフォームやモーションをいじることは大変な勇気がいることなのだが、しかしこの頃の大沼投手はまだ1軍での実績はほとんどなかった。ファームでは素晴らしいピッチングをしていたのだが、1軍に上がってくるとその力を発揮することが出来ずにいた。果たしてプロ野球のピッチングコーチには、どれだけの存在意義があるのだろうか。プロ経験のない筆者には想像もできない。

それでもここ数年の大沼投手は、その頃と比べるとコントロールが非常に良くなって来た。その理由は下半身の強化にある。下半身という土台をしっかりと作り上げたことで、上半身に生じるブレが減ったのだ。その結果、コントロールが良くなったように見えている。そう、見えているだけなのだ。実際はコントロールが向上していることは決してない。

大沼投手の150kmを超す剛速球は、並外れた上半身の強さが生み出している。だがその上半身の強さが、コントロールの邪魔をしてしまっているのだ。大沼投手自身は恐らく、一生懸命腕を振ろう振ろうと考えていると思う。そうすることで球速をキープしている。だがこの意識が強くなりすぎてしまうと、コントロールをポイントではなく、ゾーンで取り扱ってしまうのだ。

筆者は時々、プロを目指しているアマ投手のコーチをすることがあるのだが、彼らには常々こう言っている。「コントロールは肘でつけるものだ」と。コントロールに難があるピッチャーは大沼投手に限らず、指先でボールの行く先を操ろうとしてしまう。だがこれは大きな間違いだ。大沼投手のように腕を縦にまっすぐ振ってしまうと、指の腹は常にキャッチャー方向を向くことになり、これはつまり、いつでもリリースできるという状態と言える。

もっと分かりやすく言うと、大沼投手は的を絞って投げていないのだ。もちろん意識の中では常にキャッチャーミットを目掛けて投げていると思う。だがそれはあくまでも意識だけの話で、フィジカルではそれが出来ていない。もしくは取り入れていない。

コントロールを良くするためには、まずはリリースポイントを1点に限らせる必要がある。つまり腕のスウィングは小指からキャッチャー方向に入り(外回旋)、リリースする瞬間だけ指の腹がキャッチャー方向を向き、リリース後はそのまま内回旋させていく。こうすることで、リリースポイントは常に一定する。(西口投手岸投手星野投手が素晴らしい見本だ)

だが、これだけではコントロールは良くはならない。この前に、もう1つ大切なエッセンシャルモーション(必須動作)が存在する。それはターゲティングだ。大沼投手はこのターゲティングが非常に甘いのだ。

ターゲティングとはボールをリリースする寸前、肘が最も鋭い角度で曲がっている時、その肘の頭を投げたい方向に向ける動作のことだ。つまり射撃で言うところの、スコープを覗いて狙いを定める行動のことだ。大沼投手はこのターゲティングを行っていないためにコントロールが定まらないのだ。

ターゲティングを行い、リリースポイントをゾーンではなくポイントに変えることができれば、大沼投手は少なくともあと10年はピッチングでご飯を食べて行けるだろう。だが今のまま行けば、加齢による筋肉の硬化により、これ以上ピッチングが向上することはないと思う。42歳になってもなお146kmを投げていた工藤投手のようにはなれないだろう。

大沼投手は確かにコントロールは悪い。だが逆を言えば、筆者はそれを武器にするのも良いのでは?と考えている。バッターからするとコントロールが安定したSランクの変化球よりも、どこに来るか分からない剛速球の方がはるかに打ちづらいのだ。それを考えると大沼投手は細かいコントロールなんて気にすることなく、ど真ん中目掛けて力いっぱい投げたら良いと思う。

コントロールが悪いのであれば、ど真ん中を狙ってもど真ん中に入ることは少ないはずだ。そうなってくると、コースを狙って真ん中に入ってしまうよりも、真ん中を狙ってコースに外れる方がバッターは打ちづらい。150km以上の剛速球は、プロのバッターでもそう簡単には打てない。力負けせずに打ち返せるのはせいぜいクリーンアップの3人だけだろう。

今の球威でコントロールが良くなれば、大沼投手にとってはまさに鬼に金棒だ。だがコントロールを気にするあまり球威が落ちてしまうのなら、細かいコントロールなんて気にしない方がむしろ良いと思う。

ピッチャーとしては今まさに曲がり角に立っている大沼投手。31歳となる2010年、どのような成長を遂げて1軍のマウンドに立つのかが今から楽しみだ。

ちなみに大沼投手はストレートだけが素晴らしいピッチャーではない。スライダーとフォークも一級品だ。特にスライダーには自身があるようで、キャッチャーからスライダーのサインが出て大沼投手が首を振ることはまずない。ひょっとしたら大沼投手はストレート以上に、スライダーに自信を持っているのかもしれない。

ピッチャーとしての資質は素晴らしいものを持っている大沼投手だ。その実力を余すことなく1軍のマウンドで発揮できるようになれば、先発ローテーションだってクローサーの座だって狙えるだけの力を持っている。だからこそ秋季キャンプ・春季キャンプではピッチングコーチたちはその資質を存分に引っ張り出してもらいたい。

星野智樹投手は、2007年オフに骨盤を使って腕をスウィングする投法をマスターしている。この投げ方を大沼投手もマスターすることができれば、球速は確実にあと5kmは増すだろう。しかも今のように初速と終速に差がある剛速球ではなく、糸を引くように伸びていく切れのある剛速球が投げられるはずだ。

大沼投手を今のレベルで終わらせてしまうのは非常にもったいない。投げたがりの性格で、「行け」と言われればいつでも喜んでマウンドに向かう性格の大沼投手だ。筆者はこういうピッチャーにこそ大事な場面で投げられるようになってもらいたい。そうすればその選手の背中を見た子どもたちも、大きな夢を持てるはずだ。

 投球成績 Pitching Results








S H























2001 8 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 54 12.1 10 0 7 0 0 6 1 0 4 4 2.92
2002 5 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 43 9.2 9 2 5 0 0 8 1 0 9 7 6.52
2003 14 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 136 29.0 36 4 15 0 0 21 1 0 18 17 5.28
2004 36 11 1 1 1 4 6 3 -- .400 429 95.2 100 14 48 4 1 74 3 0 54 47 4.42
2005 31 7 1 0 0 5 7 1 1 .417 331 69.2 80 15 41 0 2 59 4 1 55 48 6.20
2006 9 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 68 13.0 16 2 15 0 0 9 1 0 11 11 7.62
2007 9 6 0 0 0 1 2 0 0 .333 161 34.2 39 2 19 0 1 24 2 0 28 26 6.75
2008 52 0 0 0 0 2 4 1 7 .333 357 83.0 79 5 36 3 3 64 4 0 34 34 3.69
2009 54 0 0 0 0 4 7 1 15 .364 284 66.0 59 6 30 5 4 45 2 0 26 23 3.14
通算 218 27 2 1 1 16 29 6 24 .356 1863 413.0 428 50 216 12 11 310 19 1 239 217 4.73

2009年11月13日 02:57

工藤公康投手の西武復帰ほぼ確実に

横浜を戦力外になった工藤公康投手の西武復帰がほぼ確実となった。今日は12球団合同トライアウトが行われ戦力外選手への交渉が解禁となったが、今のところ工藤投手に興味を示している球団は西武以外にはない。早ければ前田康介球団本部長が秋季キャンプから戻る12日に、工藤投手との初交渉の席が設けられるようだ。

条件面さえまとまればすぐにでも西武復帰を発表するとのことらしいが、戦力外になった投手とは言え224勝を挙げている工藤投手だ。常識から逸脱した低い条件を提示することはまず考えられないため、合意に至るまでの障害はないと言ってもいいだろう。

224勝のうち、実に113勝を前西武時代の13年間で挙げている。ライオンズの黄金時代は、このピッチャーがいなければありえなかったと言っても過言ではない。若い頃は「隔年エース」と揶揄されたこともあった工藤投手だが、食生活を改善させることで成績を安定させることにも成功している。とにかく野球への順応性が非常に高いピッチャーである。

菊池雄星投手も一番尊敬するピッチャーに工藤投手の名前を挙げているし、現サウスポーエースの帆足投手にしても同じだ。だが工藤投手の西武復帰が決まるとなると、気になるのは背番号だ。工藤投手はダイエーでの最初の2年間以外は、ずっと47番を背負っている。渡辺監督はチーム3番目の9勝を挙げた帆足投手の背番号を変えることには否定的だが、しかし帆足投手本人は47番を工藤投手に返上するつもりのようだ。

こうなると工藤投手の西武復帰に障害は何1つ見当たらない。工藤投手は94年、西武球場のトレーニング設備の老朽化を理由に退団した過去があるが、しかしそれに関しても今はまったく問題ない。昨オフの改修工事により、ここ数年と比べても西武ドームは今まで以上に設備が向上した。我々ファンはあまり見る機会はないが、ダッグアウト裏のロッカールームやトレーニングルーム、マッサージルームなどかなり設備が充実したようだ。

工藤投手が西武に復帰するとなれば、投手陣は大幅に底上げされるだろう。その理由は工藤投手の野球への取り組み方。ヘビースモーカーである点はさておき、食事からトレーニングなどに対する工藤投手の姿勢、考え方は投手陣全体にとって大きな財産となるはずだ。特に帆足投手や菊池雄星投手らサウスポーが工藤投手の身体の使い方・技術を学ぶことができれば、益々レベルアップできるだろう。

「優勝請負人」とまで呼ばれた工藤公康投手。現役最終章では共にライオンズ黄金時代を築き上げた渡辺久信監督を胴上げして、有終の美としてもらいたい。そして後々は指導者として、ライオンズ投手陣の成長を見守っていってくれたらと思う。

2009年11月11日 20:20

12球団合同トライアウト、いよいよ明日

12球団合同トライアウトがいよいよ明日に迫った。現在のルールでは戦力外通告された選手と、他球団との直接交渉はトライアウト後と定められている。そのため他球団で戦力外にされた選手に興味を持っていても、トライアウト後までは獲得意思を示すことは出来ない。

今オフ、ライオンズが関心を持っている戦力外にされた選手は、前横浜ベイスターズの工藤公康投手と、前阪神タイガースの今岡誠選手だ。ただこの2選手を本当に獲得するかは明日になってみないと分からない。

だが工藤投手に関しては獲得する可能性は非常に高いと筆者は見ている。渡辺監督も工藤投手に関して、戦力として非常に魅力があると評価しているし、球団側も興行面での工藤投手の集客力には期待しているはずだ。確かに年齢的な問題はあるが、プレー以外でもプラスが望める工藤投手を2000万円前後で獲得できるなら、チームにとって損はないだろう。そしてファンの多くもそれを強く望んでいる。

一方の今岡選手に関しては、引退した江藤選手の穴埋めを期待しているようだが、こちらはどうなるかは分からない。トライアウトは11日と25日で2回行われるのだが、11日から参加するという情報や、25日しか参加しないという情報が錯綜している。ただ内野ならショート以外の3ポジションを守れる点や、打撃力を考えると非常に魅力的な選手だ。打撃に関しては、デーブ大久保コーチの指導を受ければ何か切っ掛けを掴むことはできるだろう。

また、可能性としては三井浩二投手、岡本慎也投手の再獲得もないとは限らない。日本ハムが坪井選手を戦力外にして、トライアウト後に再獲得した例もあるし、一概には言えない。日本ハムのこの再獲得には賛否両論あったが、筆者としてはありだと思っている。選手は一度クビを味わうと、ハングリー精神に火が付く。これを呼び起こすためには戦力外後の再獲得は、球団にとっては1つの戦略と言えるだろう。

しかもただ選手のハングリー精神を呼び起こすだけではなく、戦力外にされた選手であれば、非常に安い年俸で再獲得することができる。球団経営的にも決して悪くはないと思う。

選手の年俸というのは、基本的には過去の実績に対して与えられるものだ。だから筆者としては、大幅な減俸は球団経営を健全化させるためにも必要だと思う。もちろん選手からすればたまったものではないが、一度戦力外にして、1億円近い年俸を1000万円前後まで落として再獲得するというのは、決して悪い判断ではないと思う。もしその選手に1000万円以上の価値があるのなら、他球団がもっと高額な年俸を提示してくるはずだ。

今年ライオンズを戦力外になったのは三井投手(5700万円)、岡本投手(8100万円)、山本歩投手(800万円)、三浦貴選手(800万円)の4人だ。このうち三井・岡本両投手に関してはすでにトライアウト参加を明言している。2投手とも現役続行に自信を持っているようだが、しかし今シーズンは2人共に年俸に見合うピッチングはできなかった。

三井投手は2008年が防御率7.50、2009年が6.23。岡本投手は2008年が3.83、2009年が3.97だった。三井投手は2008年から急激に数字が悪化した。だが筆者としては2投手共に戦力外は予想していなかった。大減俸をして来季への奮起を促すと思っていた。

西武復帰があり得ないとしても、この2投手には他球団で頑張ってもらいたいと思う。三井投手は長年に渡り西武投手陣を支えたリリーバーだし、岡本投手も社会人を含めると7球団を渡り歩いた苦労人だ。だからこそここで終わることなく、2人には少しでも長く野球選手でいてもらいたいと思う。

戦力外通告された選手にとっては、明日はまさに運命を左右する1日となる。プロ野球という世界は非常に厳しい。例えば子どもが生まれたばかりの20代中ごろのドラフト1位選手であっても、成績を残せなければ容赦なくクビを切られる。「高い年俸をもらっているんだから見合う活躍をしろ」と言うファンもいるだろう。しかし短い選手人生においての年俸数千万円は、決して高くはないと思う。

グローブだってプロ仕様のものは10万円前後するし、バットやスパイクだって1本・1足は2~3万円する。トッププレイヤーであればメーカー側が提供してくれるが、成績を出せていない選手は道具はすべて自分で購入しなければならない。さらにはサプリメント費用だってプロ選手の場合は毎月数万円かかる。

プロ野球選手は、子どもの頃から野球しかしてこなかった人がほとんどだ。長嶋茂雄監督だって大学入試は、答案用紙に自分の名前しか書けなかったほどだ。だが長嶋監督のようにスターになれれば引退後の活路も多々ある。だがそうじゃない選手は引退など許されず、クビを通告されるのみ。そして野球しか知らない選手たちが一般企業に再就職することは非常に困難なことだ。

野球界もJリーグを見習って、数年前からセカンドキャリアに対して考えるようになったものの、まだまだそれは不十分だと思う。もっと日本各地に野球アカデミーを設立するなど、国技としての野球をもっと底上げする活動が必要だ。そうすれば戦力外になった選手たちの活路も広がっていく。

プロ選手である以上甘い考えは通用しないが、しかし努力だけで生き残れる世界でもない。だから明日のトライアウトではライオンズを戦力外になった選手だけではなく、1人でも多くの選手が再契約してもらえることを一野球ファンとして祈りたいと思う。

2009年11月10日 22:08

野球選手と食と結婚

野球のことをいろいろと学んでいくと、結論として最も大切なことは「食べる」ことだということがよく分かる。松坂大輔投手や涌井秀章投手を育てた横浜高校の渡辺元智監督は、「食は、人を良くすると書く」とまで言っている。ちなみに横浜高校の野球部寮の食事は、渡辺監督の妹さんの渡辺元美さんに一任されている。

松坂投手も涌井投手もこの寮で野球選手として育ったわけだが、野球だけではなく、食への関心もここで培われたようだ。涌井投手に関して言えば、高校入学前までは野菜が嫌いだったのが、この寮での食事のおかげで野菜を食べられるようになった。

渡辺元美さんは栄養士としてではなく、選手たちのよき姉としても慕われている。そのため選手たちも気軽に夜食のおにぎりなどを頼めるのだそうだ。野球選手は早めに結婚した方が伸びると言われる所以は、ここにあるのかもしれない。安心した食生活を営めることで、高校球児・プロ問わず思う存分野球に打ち込める。ちなみに横浜高校の野球部寮では、選手たちは1日に4000キロカロリーの食事を取っているらしい。通常の高校生に必要なカロリーが1日2000~2500キロカロリーだと考えると、およそその倍となる。

そしてライオンズの「おかわり君」こと中村剛也選手は1日5食が基本のようだ。実際に1食でどれだけ食べるのかは分からないが、噂ではどんぶり飯数杯のおかわりは普通だと言う。この中村選手もやはり、結婚して大成した選手の1人だと思う。愛妻が作ってくれる食事が、そのまま彼のエネルギー源となっているのだろう。結婚した昨年は46本、今年は48本を放ち見事2年連続ホームラン王となった。ちなみに今年は、ホームラン10本打つたびに夫人がケーキをご褒美に焼いてくれたそうだ。そして30本目以降からは5本打つたびに焼いてくれたらしい。夫を盛り立てる素晴らしい夫人だと思う。

また西武時代の工藤公康投手が若い頃は、食生活や最悪だったそうだ。毎晩のように繁華街で飲み歩き、アスリートとは思えないような食生活のせいで内臓を壊し、野球の調子も落としてしまった。それが原因で食生活を改善させていったようだ。そして結婚後はやはり夫人のおかげで安心した食生活を営めるようになり、成績もさらに安定していった。

野球と食を考えて行った時、筆者はあることを強く思った。それは、栗山巧選手に早く結婚してもらいたいということだ。栗山選手が以前から言っていることがある。それは「野球が疎かになるかもしれないので、今は恋愛や結婚について考えたくはない」ということ。筆者は栗山選手がまだ2軍時代から強く応援している。なぜなら誰よりも練習熱心で、誰よりも野球に対して真摯な姿勢を貫いているからだ。だから1軍に上がり立ての頃も、何度も外野でまずいプレーをしてファンから罵声を浴びせられても、筆者は「この選手は必ず素晴らしい選手になる」と信じていた。

だがそんな栗山選手に対し、1つだけ考え方を変えた方が良いと思っていたことが、結婚についてだ。今現在栗山選手が恋愛をしているかどうかは筆者には分からない。だがもし良い恋愛をしているのなら、もしくは今後できたなら、早めに結婚して欲しいと強く思う。栗山選手は完璧主義者であるため、常に自分にプレッシャーを与え続けている。だがこの性格が今年の大不振を招いてしまった。

もし栗山選手が結婚をし、食生活を含めグラウンド外で安らげる時間を持つことができれば、さらに一回り大きな選手に成長できるはずだ。人間の心はゴムと同じ。常にピーンと張ったままでは、いつか必ず切れてしまう。だからこそ緩める時には緩めなければならない。そういう点では、練習時以外の涌井投手の不真面目さを、良い意味で見習って欲しいとも思う。

栗山選手はまだまだこんなものでは終わらないはずだ。筆者は栗山選手がライオンズに入団した当初から、「この選手は将来必ずクリーンアップを狙える選手になる」と確信していた。渡辺久信監督の頭の中では2番もクリーンアップだと計算しているはずだから、ある意味では達成できたとも言える。それどころか昨年は、片岡選手と共にパ・リーグで1番多くヒットを打った選手にもなっているのだ。

だが何度も言うが、栗山選手はまだまだこんなものでは終わらないはずだ。筆者が栗山選手に求める最終的な数字は、.350、20本塁打、40盗塁だ。栗山選手の潜在能力が本格的に目覚めれば、目指すには十分可能な数字だと思う。そしてこの数字を達成するために必要なこと、それが結婚だと筆者は考えている。

栗山選手にはぜひ素敵な出会いをしてもらい、素晴らしい結婚を手にしてもらいたい。そうすれば必ず、もっともっと素晴らしい野球選手になっていってくれるはずだ。ま、未だ独身である筆者が言っても説得力はあまりないのだが・・・。

2009年11月09日 20:23

涌井秀章投手のピッチングモーション~良い点

昨日は涌井秀章投手のピッチングフォームの悪い点を筆者なりの視点で書いてみたが、今日は逆に良い点について書いてみようと思う。

まず何よりも素晴らしいのは、ピッチングフォームのバランスだ。この安定感、フォームの乱れのなさは、元ロッテの小宮山悟投手のレベルに近い。ただ単にボールを投げているだけではなく、自分なりに研究を重ねてたどり着いたフォームなのだろう。高校時代に原型は出来ていたとしても、プロに入ってからの進化は目覚しい。

このバランスは、やはり走り込みの量が支えているとしか言えない。もちろんウェイトトレーニングもしているとは思うが、それだけではこれだけの安定感は生まれないだろう。チーム1、球界1とも言える走り込みの量をこなす涌井投手だからこそキープすることができる安定感だ。しかも筆者が受けた印象では、走り方もしっかり学んでいるように感じた。中には闇雲に走ってしまうピッチャーもいるのだが、ただ距離を走るだけでは効果は上がらない。正しいフォームで、効率的に筋肉を使った走り方をしなければ、走り込みの本当の効果は生まれないのだ。

もちろんただ走るだけでもそれなりの効果はある。毎日10kmずつ走ればスタミナは付くだろう。だがスタミナが付くことと、安定感が増すことはまた少し違うのだ。ランニングのフォームにもいくつか種類がある。筆者はこの分野に関しては専門外となるのだが、少なくとも短距離、中距離、長距離などによってフォームは変わっていく。これは当然のことなのだが、そこからさらにかかとの踏み込みを意識する走り方や、エッジングを意識する走り方などがある。恐らく涌井投手はエッジングを意識して走り込みをしているのではないかと筆者は予測している。

もしピッチャーをやっている方、目指している方がいてこれから走り込みをしていこうと考えているなら、オーバープロネーションに注意してもらいたい。実は筆者も昔はこのクセがあったのだが、これは走っている時の着地で、足首を外側に曲げてしまうことを言う。極端に言うと、足の裏の外側面を使って走っているようなイメージだ。つまり内側からのエッジングでうねりを生み出す走り方と真逆で、がに股やO脚になってしまう可能性がある。これでは足首を痛めるだけではなく、他の一部の筋肉や関節に余分な負荷をかけてしまい更なる故障に繋がってしまう。ということで、オーバープロネーションにはぜひ注意しながら走ってもらいたいと思う。ちなみに最近はオーバープロネーションを回避させるために設計されたジョギングシューズもあるので、興味がある方は調べてみてください。

さて、話を涌井投手に戻すと、安定感に次いで良い点はテイクバックだ。しっかりと肩甲骨を意識したテイクバックが行われている。このテイクバックが出来ることで、ボールのアクセラレーション(加速距離)を稼ぐことが出来る。アクセラレーションを長く取れれば、その分ボールのスピードは増す。

そして次はリリースポイントだ。涌井投手のリリースポイントが他のピッチャーよりもバッター寄りなのは有名な話だ。リリースポイントをバッター寄りにすることで、バッターがボールを見れる時間を減らしている。そうされることでバッターはボールを見極める作業が非常に困難になる。しかしこの点に関してはテレビ解説者もよく口にしているので、やはり知っている方は多いだろう。だがここからが涌井投手の凄いところなのだ。

涌井投手の腕のスウィングは真っ直ぐ縦に振り下ろされている。だがいくら真っ直ぐ振り下ろしていても、腕には若干の内回旋が掛かる。よく言われる「ボールがシュート回転している」状況とは、腕のこの内回旋が大きく影響している。

普通のピッチャーが腕を真っ直ぐに振ってリリースポイントをバッター寄りにすると、ほぼ100%シュート回転する。これは内回旋が始まった時にリリースをすることで、その内回旋の動きがそのままボールに伝わってしまうためだ。これがもしアマチュアや1軍半の選手であれば、リリースポイントをバッター寄りにしなくてもシュート回転してしまうことがある。シュート回転するということは肘の下がり具合の問題ではなく、腕の内回旋が原因なのだ。だがこの内回旋を0にすることは不可能だ。

涌井投手のリリースポイントは、普通のピッチャーであれば完全にボールを離した後の位置であり、腕は内回旋している。だが涌井投手の場合はあれだけリリースポイントをバッター寄りにしても、ボールにシュート回転が掛からないのだ。それどころか3塁側に傾いたしっかりとしたバックスピンがかけられている。恐らくこれができるピッチャーは、日本では涌井投手だけだろう。

リリースポイントをバッター寄りにすることは決して難しくはない。練習すれば1週間もあればできるようにはなるだろう。だがそれによって起こるシュート回転を消すことは非常に難しい。練習しても1年2年でできることではないはずだ。リリースポイントをバッター寄りにしても、外角球がシュート回転して真ん中に入ってしまえば、それはただのホームランボールになる。だがそうならないのが涌井投手の本当に凄いところだ。

これでもし高校時代のように身体をスピンさせて投げることができれば、球速はあと5kmは軽く伸びるだろう。そうなってもなお今のリリースポイントでバックスピンストレートを投げることが出来れば、まともに打てるバッターはほとんどいなくなるはずだ。

今シーズンは沢村賞投手となった涌井投手だが、その成績にはまだまだ納得行っていないと思う。本人からすればあと2勝はしたかったところだろう。もし涌井投手があと2勝して2敗減らすことが出来ていれば、プレーオフ争いももっと違った結果になっていたと思う。だが「もし」が存在しないのが野球だ。今シーズンの悔しさをばねに、涌井投手が来年どれだけの進化を遂げてくるか、筆者は今から楽しみでならない。

そして来年は優勝をし、球団最多の18勝以上を挙げて再び沢村賞を獲得してもらいたいと思う。今の涌井投手であれば、それを実現できるだけの能力は持っているはずだ。ファンのためにも、チームのためにも、自分のためにも、来季は涌井投手の更なる飛躍に期待をしたいと思う。

涌井秀章投手のピッチングモーション~悪い点について

2009年11月08日 15:33

涌井秀章投手のピッチングモーション~悪い点

プロ入り5シーズン目を終えたライオンズの若きエース涌井秀章投手。筆者は2004年の甲子園からずっと彼のピッチングを見続けているが、ここまでは期待通りのピッチャーに成長してくれている。エースとしての実働・数字には何の文句もない。高卒5年間で56勝という数字は本当に素晴らしい。今ライオンズにこのピッチャーがいなかったらと考えると、恐ろしくなるほどだ。

球界の一流エースの多くが、涌井投手のピッチングフォームのバランスの良さを称えている。この点に関しては、涌井投手は球界ナンバー1の評価を得ている。具体的には、どの球種を投げる時でもほとんどフォームに変化が現れない。1軍半のピッチャーの場合は、腕のスウィングがストレートを投げる時は速く、カーブやチェンジアップを投げる時は遅くなることがある。だが涌井投手は、どの球種もほとんど同じフォームから投げている。

バッターとしては、これほど打ちにくいピッチャーはいないだろう。球種が豊富な上、どの球種も同じフォームで投げてくるし、球速も140km台中盤という速さだ。筆者の正直な意見を言えば、来年メジャーに行ったとしても十分通用するだろう。だが筆者はもう1つ思うことがある。それは、子どもたちには涌井投手のフォームを真似して欲しくないということだ。

野球というスポーツをテクニカルな部分だけではなく、フィジカル面でも勉強した身だからこそ分かることなのだが、涌井投手のピッチングフォームは決して理想的ではない。まだ身体の出来上がっていない中高生が真似をすれば、取り返しの付かない怪我に繋がる恐れがある。

ではなぜ涌井投手は今まで怪我をしていないのか?それは並外れた走り込みの量が上半身の負担を軽減させているためだ。涌井投手の下半身の強さは尋常ではない。プロ野球のピッチャーであっても、涌井投手ほど下半身が安定しているピッチャーはいない。そしてその安定感は、年々増していっている。涌井投手の場合、この下半身があるからこそこれまで怪我を回避することが出来ている。

涌井投手のピッチングフォームの良い点は多々ある。だが今回は悪い点について書いていこうと思う。まず腕のスウィングだ。涌井投手の場合は腕を真っ直ぐ振り下ろしている。つまりテイクバック後、スウィング動作に入った後はリリースするまで、ボールを持った指先がずっとキャッチャー方向を向いている。

肩と股関節は「ボール&ソケット」と呼ばれる関節で、この左右4つの関節のみが回旋運動を取ることができる。つまり肩と股関節に関しては、回旋運動をすることが生理学的にはもっとも自然な動きなのだ。だが腕を真っ直ぐ振り下ろしてしまうと、この回旋運動が発生しない。回旋運動を取ったスパイラルリリースでボールを投げると、肩~腕にある約40種類の筋肉に平等に負荷が行き渡る。だが真っ直ぐ振り下ろしてしまうと、この負荷が一部の筋肉に集中してしまうのだ。主には肩後方、三角筋などを痛めやすい。また二次弊害として腰と背中を痛める可能性も非常に高い。

だからこそ筆者は、子どもたちには涌井投手の真似をしてもらいたくないと思っている。だが、涌井投手の練習量、練習姿勢は十分に見習ってもらいたい。

2つ目の悪い点は身体にスピンがないという点だ。高校時代の涌井投手には、「ここぞ!」という時のストレートには身体のスピンが出現していた。だがプロ入りから5年経った2009年は、筆者は涌井投手の身体がスピンした姿を一度も目にすることはなかった。ちなみに今シーズンの涌井投手のピッチングは西武ドーム、テレビ、録画ビデオなどで全球見ている。

そもそもこのスピンは何に必要かと言うと、球速をアップさせるために必要なのだ。球速とは、腕のスウィングを速くすればアップするものではない。脊柱を軸としたボディースピンの速度をアップさせることで、球速はアップするのだ。だが涌井投手の場合はスピンがないのに今シーズン、球速がアップした。これはなぜなのか?その答えは簡単である。筋力でボールを投げているのだ。

高校時代と2009年の涌井投手の写真を見比べられる機会があればぜひ見て欲しいのだが、体格が大きく変わっている。プロに入ったのだから当然と言えば当然なのだが、だがこれこそが筆者が最も心配している点なのだ。今シーズンの涌井投手は140km台中盤~後半のストレートを投げていた。だがこの球速は、高校時代にも投げていたのだ。

涌井投手のプロ1年目は1勝6敗という成績だった。勝ちを付けてあげてもいい内容の敗戦もあったのだが、しかしそれを差し引いても決して良い内容とは言えなかった。このあと涌井投手は相当考えたのだろう。プロ野球で生き残るためのすべについて。そしてその答えがコントロールと、遅い球離れだった。

コントロールに関しては高校時代から良かったのだが、プロに入って下半身を作り直したことで益々良くなった。だが問題はリリースの遅れだ。涌井投手のこの部分を評価する解説者は多い。そういう筆者自身も、球離れの遅さ自体は素晴らしいと思っている。だがこの球離れの遅さが、涌井投手にとって諸刃の剣となってしまったのだ。

プロに入って球離れを遅くさせたため、球速が落ちてしまったのだ。だが2009年の涌井投手はその球速に強いこだわりを見せた。そして重視したのが筋力トレーニングだった。筋力トレーニングはもちろん大切だ。だがピッチャーにとってはやり方を間違えてしまうと、これが命取りになることが少なくない。

ここで1つ冷静に考えてみて欲しい。もしスピードボールを筋力で投げるのだとしたら、球界1細身の岸投手のあのスピードはどこから生まれているのか?そう、スピードボールは筋力で投げるものではないのだ。筋力がなくても、球速をアップさせることは十分に可能なのだ。だが涌井投手の場合は球離れのタイミングを遅らせたことで、それが出来なくなってしまった。だからスピードアップに筋力を頼るしかなかったのだ。

だが筋力アップしても劇的にスピードが増すことはないだろう。ロジャー・クレメンスやランディ・ジョンソンのように桁外れな体格をしていれば別だが、しかし一般的な日本人選手には無理な話だ。

そもそも筋肉量を増やして身体を大きくしてしまうと、慣性モーメント(回転のしづらさ)が大きくなり、身体のスピンはどんどん鈍くなってしまう。これは身体を大きくした松坂大輔投手にそのまま当てはめることが出来る。スピードをアップさせるには、脊柱を軸とした身体のスピンと、それに直角に交わる腕のスバイラルが必要なのだ。だが涌井投手のフォームは2つともない。そして腕軸も、脊柱に対し直角に交わっていない。

今はまだ涌井投手は若手の1人だ。しかし25歳を過ぎ、野球選手のピークと言われる27歳も過ぎると筋肉が徐々に柔軟性を失っていく。そうなった時、今の涌井投手のピッチングフォームは怪我をする可能性が非常に高いのだ。さっきも言った通り肩後方、背中、腰を痛めやすい。

フォームについてさらに詳しいことを言うと、軸足となる右足にエッジが利いていないため、体重移動がスムーズに行われていない。そしてそれに付随して骨盤がドア開きモーションになっているため、これも慣性モーメントが大きくなり球速アップの邪魔をしている。

松坂大輔投手にも言えることなのだが、プロ入り以降年々数字を向上させてはいる。だがピッチングモーションに関しては、2人とも年々無理をしていっているように見える。ちなみに松坂投手はプロ4年目で肘を故障し、長期離脱をしている。松坂投手の場合は股関節が少し固いため、涌井投手よりも早く無理が来たと言えるだろう。身体のスピンは股関節を支点にして行うため、股関節が固いと身体のスピンで腕を振ることが出来ず、筋力を使って腕を振らなければならない。つまり股関節が固いと、肩・腕への負担はさらに増してしまうのだ。ちなみに股関節の使い方が上手い投手と言えばダルビッシュ投手と、菊池雄星投手だ。

涌井投手にはライオンズのエースとしてあと15年は投げ続けてもらいたい。そのためにはまず怪我を回避しなくてはならない。「無事これ名馬」と言うが、怪我をせずに投げ続けることがエースの第一条件だ。そのためにも将来的に、筆者が挙げたポイントを少しずつでも良いので修正していってもらえたらと思う。

いくらプロのピッチャーと言えど、ピッチングフォームをすぐに修正することはできない。もし今筆者が挙げた点をすべて修正するとしたら、涌井投手が毎日取り組んだとしても試合で通用するまでに半年は掛かるだろう。だから1つずつで良い。怪我を防ぐためにも、もう少し身体に無理のないモーションをトレーナーと一緒に学び、今後取り入れていってもらいたい。

正しいモーションでボールを投げれば、ピッチャーの肩は決して消耗品ではないのだ。そして肩を温めるためのキャッチボールも少なくて済む。小野寺力投手はブルペンで肩を作るのに45球を要する。だが正しいモーションを取ることができれば、鹿取義隆投手のように2~3球で肩を作ることも可能になる。また故障後の豊田清投手のようにやはり5球で肩を作れるようになる。小野寺投手の肩はまさに消耗品と言えるが、鹿取投手や故障後の豊田投手の肩は、決して消耗品ではないのだ。45球と5球の差を見るだけでも明らかだ。

涌井投手は今後、親友ダルビッシュ投手と共に日本を代表する2枚エースへと成長していくだろう。筆者はそうなった時に涌井投手が故障をするのではないかと心配をしている。筋肉が柔らかい今のうちは問題はなくても、恐いのは25~27歳を過ぎた後だ。その歳になって辛い思いをする前に、涌井投手にはぜひ今オフからでもモーションに関して勉強をし直してもらいたい。涌井投手がもっと生理学的にピッチングフォームを考えられるようになれば、今それをしっかりやっているダルビッシュ投手に並ぶ存在感をハッキリ示すことができるだろう。だが現時点では、ピッチャーとしての総合力はまだダルビッシュ投手の方が上だ。

涌井投手がダルビッシュ投手を上回った時、ライオンズはぶっちぎりの強さを見せてくれるに違いない。絶対的エースの存在は、チームに想像以上の大きな影響を与える。涌井投手には今後、「今日は涌井が先発だから勝てないなぁ」と相手に思わせられるほどのピッチャーになってもらいたいと思う。

今回は涌井投手のピッチングモーションの悪い点だけにフォーカスを当てて書きましたが、良い点も多々あります。それについてはまた今度ということで。

涌井秀章投手のピッチングモーション~良い点について

2009年11月07日 03:16

ベイリス投手解雇により、獲得が高まった投手

埼玉西武ライオンズは昨日、今シーズン途中に加入したベイリス投手の自由契約を発表した。クローサーとして期待されたベイリス投手だったが、球速もそれほど出ず、期待されたピッチングをすることはできなかった。それでもセットアッパーとしては合格点かなと思っていたのだが、球団はベイリス投手と来季の契約を結ぶことはなかった。

これで引退した正津投手を含め、戦力外になったリリーバーは三井投手、岡本慎也投手、ベイリス投手の4人となった。リリーバー陣の建て直しが急務とされるライオンズだが、この決断に筆者は少なからず驚いた。4人いなくなったということは、少なくとも2~3人の補強はあると考えていいだろう。

ベイリス投手を自由契約にしたことで筆者が確信したことは、工藤公康投手の獲得だ。これに関しては間違いないと言ってもいいのではないだろうか。ドラフトで獲得したサウスポーは菊池雄星投手のみだったし、しかもその雄星投手は先発タイプだ。

工藤投手だが、11月11日に行われる12球団合同トライアウトには参加しないようだ。これは恐らく、工藤投手自身のライオンズに戻りたいという意識の表れのような気がする。今のところ工藤投手に興味を示しているのはライオンズのみ。もし工藤投手がライオンズ復帰を望んでいないとすれば、トライアウトを受けて他球団へのアピールを行うはずだ。そして万が一ライオンズが獲得を表明しなかった場合、工藤投手は2回目のトライアウトに参加するつもりなのだろう。

そのすべてが5日後の11日に決まる。11日のトライアウトが終われば、戦力外になった選手に対し他球団が直接交渉を行えるようになる。そこでライオンズが工藤投手獲得に手を挙げるか挙げないか。筆者は大いに注目して行きたいと思う。

2009年11月06日 15:53

#49 上本達之



#49 上本達之 - Tatsuyuki Uemoto

捕手、右投左打
2002年ドラフト6順目
山口県立宇部商業高等学校~協和発酵~埼玉西武ライオンズ
山口県宇部市出身、1980年11月8日生、186cm / 92kg
2009年推定年俸:600万円

西武の正捕手は細川亨か、それとも上本達之か?
上本捕手、タレントの秋山まいさんと入籍

2009年は自己最多の58試合に出場し、数字以上のインパクトを残した。プライベートでも結婚をし、公私共に充実した一年だったのではないだろうか。だがまだまだ上本捕手は上を目指さなければならない。特に打撃に関しては素晴らしい技術を持っている。もっと「1軍慣れ」することができれば、数字はもっと上がるだろう。

そして渡辺監督もそれを期待してか、秋季キャンプでは上本捕手にレフトの練習をさせている。上本捕手自身、キャッチャーというポジションにどれだけのこだわりを持っているかは分からないが、しかしこの外野練習は上本捕手にとっては大きなプラスになると思う。

筆者の、キャッチャーとしての上本捕手の評価は決して高くはない。もちろん年々リード面においては配球に意図が感じられるようになってきたが、それでもまだ二次元リードが中心になっている気がする。縦・横だけではなく、奥行きを使った三次元でリードしていかないと、1軍クラスのバッターはなかなか打ち取れない。また、キャッチングに関してもまだまだ難がある。

来季は30歳になる上本捕手。捕手としてこの年齢で大成できないということは、今後大きく花開く可能性は低い。それだったら捕手へのこだわりを一度横に置いて、試合に出ることを最優先にした方が上本捕手にとっては良い結果に繋がるはずだ。

キャッチャーというポジションは非常に頭を使う。ピッチャーが打たれれば「お前のリードが悪い」とキャッチャーが叱られる。ピッチャーの調子が悪い時は、走らないボールでどうやって勝負をしていくかを考えなければならない。とにかく試合中、決して頭を休めることができないポジションなのだ。だからこそバッティングの良かった野村克也捕手、古田敦也捕手らは偉大だったのである。

上本捕手の場合は使う頭をリードではなく、バッティングに集中させることが出来れば、レギュラークラスのバッティングをし出すだろう。その根拠は、右股関節の使い方にある。上本捕手は、左打者特有の股関節の使い方が出来ているのだ。

よくバッティングにおいて「タメ」が利いているという表現をするが、このタメとは上体の重さを後ろ脚の股関節一点に乗せた状態のことだ。左バッターである上本捕手の場合は、左脚の股関節ということになる。その左股関節にタメた重心を右股関節に移動させ、そこを基点にして身体をきれいに回旋させている。

さらに骨盤も上手く使えているため、身体の「割れ」も出来ている。身体の割れとは、上半身と下半身の動きに時間差が生じている状態のことだ。バッティングというスウィング動作は、土踏まずから順に上に向かって身体を回旋させていく。そうすると、上半身は下半身に比べると回旋し出すタイミングが遅れる。下半身は回旋していても、上半身はまだ回旋し出している状態。これが割れだ。

この割れは、骨盤を上手く使えなければ発生しない。割れが生じると何が良いかと言うと、バットスウィングの速度が増すため、ボールを引き付けても強烈なインパクトを得ることができる。つまり長距離バッターになれるということだ。ただこの割れを生み出すためには、強靭な腹筋が必要になってくる。筆者の野球理論の1つだ。バッティング、ピッチングともに強靭な腹筋が必要ということ。

さらに言えば上本捕手が今後、バットをスピンさせられるようになれば4番を争えるだけのホームランを打てるようにもなるだろう。バットをスピンさせるには肩甲骨を使う必要があるのだが、これが出来るようになると打率5分は確実にアップするはずだ。

バットをスピンさせると、フライにはバックスピンが掛かってホームランになりやすく、ゴロにはトップスピンが掛かって高速な打球が転がっていく。つまりバットの芯でジャストミートしなくても、質の良い打球を飛ばすことができるのだ。

上本捕手はなかなかの努力家だと筆者は思っている。チームの練習や試合が終わったあとに、奥様と一緒に硬式球を打てるバッティングセンターに通って練習しているようだ。筆者は、こうやって黙々と努力をする選手を見ると本当に応援したくなる。来季は捕手以外にも守れるポジションを持ち、1試合でも多く出場し、2009年以上の数字を残してもらいたい。

そのためにはまず、監督に使ってもらえるだけの守備力を付ける必要がある。秋季キャンプでは特守などを行っているようだが、守備練習は下半身の強化にも繋がり、バッティングがより安定する可能性も秘めている。来春、上本捕手がどれだけ成長しているか、筆者は心待ちにしたいと思う。

 打撃成績 Batting Results





























2005 4 7 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000
2006 4 7 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .143 .143 .143
2007 30 35 32 5 6 1 0 0 7 3 0 0 0 0 3 0 0 7 0 .188 .257 .219
2008 17 14 14 1 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .071 .071 .143
2009 58 105 97 9 25 6 0 4 43 15 0 0 3 1 3 0 1 22 0 .258 .284 .443
通算 113 168 157 15 33 8 0 4 53 18 0 0 3 1 6 0 1 39 0 .210 .242 .338

2009年11月05日 15:51

#58 松坂健太



#58 松坂健太 - Kenta Matsusaka

外野手、右投右打
2003年ドラフト5順目
東海大学付属仰星高校~埼玉西武ライオンズ
大阪府大阪市旭区出身、1985年8月16日生、186cm / 88kg
2009年推定年俸:1000万円


松坂健太選手は筆者が見ている限り、非常に潜在能力の高い選手だと思う。だが打撃に関しても、守備に関しても、「もったいないなぁ」と感じる個所が多いことも事実。筆者が感じるそういう個所を1つずつ修正していければ、松坂選手はすぐにでも化けるだろう。

2009年秋季キャンプだが、松坂選手は打撃フォームの改造に取り組んでいるらしい。ミート力を上げるために、立てて構えていたバットを寝かせ気味に構えるというフォームに着手している。だが筆者が思うにこのフォーム改造は成功しないと思う。もちろんボールを叩くという意味では効果はあるかもしれないが、これで打率が上がるとは筆者には思えない。

筆者の自論にて言わせてもらえるのなら、松坂選手は元々ミート力の高い選手だ。高校通算の打率も4割近い数字を残しており、ミート力の高さに関しては元々並外れたものを持っている。ではなぜプロに入ってからはなかなか数字が上がってこないのか?その理由は簡単で、高校生とプロでは、ピッチャーのレベルがまるで違うからだ。それはもちろんファームのピッチャーも同様。ちなみに松坂選手の2009年のファームでの打率は.285という数字だった。これではなかなか1軍には呼ばれないだろう。

高校時代は、それほどずば抜けた実力を持つ投手との対戦は少なかった。だがプロに入れば例えばファームと言えども、高校時代にはずば抜けていたピッチャーばかり。そんな状況下で、高校時代と同じバッティングをしていては当然結果は残せない。だからと言ってフォームを改造してもそれは根本的な解決にはならない。

松坂選手がプロに入り打率を残せない要因は、フォームではなくタイミングの取り方にある。野球というスポーツはピッチャー主導のスポーツだ。ピッチャーがボールを投げてくれない限りはゲームにはならない。つまり、ピッチャーのタイミングで進行して行くのが野球というスポーツなのだ。だが松坂選手はプロに入ってからもずっと、自分のタイミングで打席に立ってしまっている。つまりそれは、ピッチャーからしたらタイミングを外しやすいバッターということになってしまうのだ。

一流バッターは、バッターボックスに入ると決して自分のタイミングではボールを待たない。常にピッチャーのタイミングで打席に立っている。例えば中島選手は身体を前後に揺らしながらピッチャーのタイミングを計り、中村選手はグリップを上下に揺らしながらピッチャーのタイミングを計っている。これは「動~静~動」という流れのバッティングだ。

最初の動は身体を揺らすことでピッチャーの動きに自分の動きをアジャストさせる。それができると今度はテイクバックしてピッチャーのタイミングでボールを待つ静。そして2つ目の動はスウィングだ。この流れが中島・中村両選手なのだが、これが松坂選手の場合「静~動」という最初の動がない短い流れになってしまうのだ。

つまりこれは受身のバッティングという意味だ。ピッチャーからすると、バッターに受身で待ってもらえるほど楽なことはない。緩急を使えば簡単に打ち取れるからだ。だが反対に中島・中村両選手のように能動的に待たれてしまうと、どこに投げても打たれるような感覚を覚える。

中島・中村両選手のバッティングが、ピッチャーがボールを持っている時から始動しているのに対し、松坂選手のバッティングは、ピッチャーがボールをリリースする状態になってやっと始動する。球速も遅く、変化球の精度も低い高校時代はこれでも十分通用したが、プロでは松坂選手のバッティングは通用しない。

だからこそ筆者は、松坂選手にはバットを寝かせる前に、中島・中村両選手のタイミングの取り方を学んでもらいたかったわけだ。バットを寝かせたということは、長打を捨てたという意味での取り組みだと思う。だが中島選手の長打率.493に対し、松坂選手のファームでの長打率は.512なのだ。この高い数字を捨ててしまうのはあまりにももったいない。

元来松坂選手はミート力のあるバッターなのだ。1軍でその実力を発揮するには、あとはタイミングの取り方だけ。バッティングの始動をピッチャーの動きに重ね合わすことができれば、松坂選手は面白いようにヒットを打ち始めるはずだ。

ピッチャーというのは、前脚をステップする前ならモーションの調整が可能なのだが、ステップし出したらもうそれを止めることはできない。ピッチャーにタイミングを合わせるということは、このステップの動きに身体の揺らしなどをアジャストすることなのだ。このタイミングを合わせることができれば、あとは合ったタイミングで飛んでくるボールを待って打つだけ。

松坂選手は将来は間違いなく外野の一角を担ってもらわなければならない選手だ。来年は25歳になり、もうそろそろ若手とは呼んでもらえない年齢に差し掛かる。だからこそ2010年は松坂選手にとって、大きな勝負の年になるだろう。

そしてもう1点筆者が気になることがある。それはスローイング。松坂選手は強肩のはずなのだが、どうも外野からのスローイングに強さが感じられない。それで松坂選手の守備練習をしている映像をじっくり見たのだが、その理由がすぐに分かった。理由は2つ。肩甲骨が使えていないということと、テイクバックが小さいということだ。

まず肩甲骨だが、松坂選手のスローイングを見ているとあまり動きが感じられない。肩甲骨をもっと脊柱側にグッと引き込んで、その反動で腕をスウィングさせる必要がある。そのために理想的なテイクバックが、もっと肘を肩の高さまで上げるものだ(ただし筋力でこの動きをとってはいけない)。

これは松坂選手だけに言えることではないのだが、スローイング動作を速くしようとするあまり、テイクバックをあまり取らない外野手が多い。肩を壊した経験のある外野手の場合は再発の恐怖感でテイクバックを取れなくなることもあるのだが、松坂選手はその中には含まれないだろう。

外野からイチロー選手並のレーザービームを発射する際、大切なのはテイクバックの深さと前脚の股関節を使ったボディースピンだ。これが出来ることでレーザービームを発射することが可能になる。

野球というスポーツも、焦るほど良い結果は出ない。送球を焦って小さいフォームで投げても矢のようなバックホームはできない。だが焦らずにしっかりとしたモーションでボールを投げれば、例え捕球からリリースまでの時間は0.数秒遅れたとしても、ボールがキャッチャーまで届く時間は、ボールのスピードによって軽減させることができる。

筆者が松坂選手に求めるのは、まさにそのスローイングだ。もし機会があれば、松坂選手とイチロー選手のスローイング映像を見比べてもらいたい。特にテイクバックと、頭部の使い方を。イチロー選手は今でこそ世界が誇る強肩フィールダーだが、オリックス時代の1年目はひどいものだった。センターの守備位置から、とてもプロとは思えないような弱い返球しかできなかったのだ。だが2年目、テイクバックなどを改良した結果、今のようなレーザービームを発射できるようになった。決して筋肉が増えたから発射できるようになったわけではない。

「イチローになれ!」とまでは言わないが、筆者としては松坂選手には、イチロー選手のような日本でなら3番を任せられるだけの選手になってもらいたいと思っている。もし松坂選手が攻守でレベルアップし、3番の中島選手を脅かすような存在になれれば、ライオンズの打線はさらにグレードアップするだろう。そのためにも松坂選手には、秋季キャンプ・春季キャンプでしっかりとレベルアップし、2010年を怪我なく迎えてもらいたいと思う。

 打撃成績 Batting Results





























2007 3 10 9 1 2 0 0 1 5 1 1 0 0 0 0 0 1 3 0 .222 .300 .556
2008 55 100 91 11 24 6 3 1 39 12 2 2 2 0 2 0 5 29 1 .264 .316 .429
2009 23 43 36 7 6 2 0 1 11 5 2 0 1 0 3 0 3 8 0 .167 .286 .306
通算 81 153 136 19 32 8 3 3 55 18 5 2 3 0 5 0 9 40 1 .235 .307 .404

2009年11月04日 15:29

菊池雄星投手、春季キャンプ1軍帯同が内定

菊池雄星投手の春季キャンプ1軍帯同が内定したようだ。高卒投手が春季キャンプに帯同ということになると、涌井投手以来になる。やはり雄星投手へのチームの期待はかなり大きいようだ。

確かにマックス155kmのストレートだけ見ると十分に1軍レベルだ。プロのバッターでもそう簡単に打てる球速ではない。だが甲子園でのピッチングを見た限りでは、課題はコントロールと変化球の精度だろう。この2点を春季キャンプでどこまで高められるかが、開幕1軍の合否を左右させると思う。

本格派投手ということで、雄星投手には将来的にカットボールや2シームと言った、ムービングファストボールをぜひとも習得してもらいたい。この2つを武器にすることができれば、ピッチングはかなり楽になり、球数も減らすことができる。

そこに岸投手のようなスローカーブが加われば、二桁勝利は間違いないだろう。150km台のストレートに100km台のスローカーブが加われば、バッターは嫌でも意識せざるを得ない。カーブを意識すればストレートに振り遅れるし、ストレートを待てばカーブには手を出せなくなる。まさに一昨日行われた日本シリーズの、ダルビッシュ投手のような内容だ。

変化球をマスターするのは意外と早いと思う。まず腕のしなりがあり、肘の使い方も柔らかい。そして何よりも変化球に対する余計なクセがまだ付いていない。その分投げ方さえしっかり教わることが出来れば、スムーズに投げることができるだろう。

雄星投手はまだまだ成長過程のピッチャーだ。筆者はまだ今年の春からしか彼のピッチングは見ていないのだが、春よりも夏、夏よりも秋のピッチングの方がずっと良かった。特に秋のピッチングは体のスピンが以前にも増して鋭かった。あのスピンで緩いカーブなど投げられたら、バッターは手も足も出せないだろう。

雄星投手には将来のローテーションピッチャーとして、ストライクゾーンを三次元で使えるピッチャーに成長して行って欲しい。縦・横の揺さぶりで勝負をするだけではなく、そこに奥行きを加えた三次元。これができるようになれば、間違いなくローテーションの柱になれるはずだ。逆を言えば、これが出来るようにならなければ柱にはなれない。

だがまずはしっかりと高校を卒業し、万全の態勢で春季キャンプに挑んでもらいたい。話のすべてはそこからだと思う。野球だけではなく、高校生活でも有終の美を飾ってもらいたいと思う。

2009年11月03日 14:58

もしもあの鳥になれたなら第2章 -4-

吉井も恒も、西尾が監督に就任した後にドラフト指名された選手で、西尾にとっては愛弟子と呼べる二人の存在だった。ピッチャー出身の西尾には二人の気持ちが良く分かる。特に負けん気の強い吉井は、西尾の現役時代にそっくりだった。西尾は死球を当てた回数でダントツの日本記録を持っているのだが、吉井もまた徹底して打者の内角を攻めるピッチングスタイルで、現役ピッチャーの中で与死球の数はナンバー1だった。
一方恒はまったく正反対のピッチャーだった。いつもバッターから遠い場所での勝負を選び、交わすピッチングスタイルを得意としていた。しかしそれは、まだ内角を攻められるコントロールがなかった頃の話で、今ではすっかりコントロールを身に付けて内角で勝負できるまでに成長していた。その成長に気が付いた西尾が、紅白戦で吉井と恒を投げ合わせたのだった。そして結果、二人とも予想以上の出来で、レグルスにはエースピッチャーが二人いると言ってももはや過言ではなくなった。

               *

恒はシャワーを浴びてクラブハウスを出ると、寮に戻る前に狭山不動尊へと向かった。吉井との投げ合いで勝つことはできなかったが、二百円という小額な賽銭を考えれば十分過ぎる勝ちに等しい結果だった。勝ったらもう一枚百円玉を入れに来るという約束を、恒は律儀に果たしに来た。
しかし一試合投げ抜いた後の六十段以上の階段は、登るのに相当な覚悟を強(し)いられる。丁度真ん中あたりまで登って来ると、恒は紅葉を楽しんでいる振りをして小休憩を取った。秋季キャンプが終わるこの時期、不動尊が建立されているこの山は、夕陽と同化してしまう程の赤で一面を染め抜いていた。その景色は、これから厳しい冬を迎えてすべて枯れ朽ちてしまう葉たちが、最後の力を振り絞って自らの美しさを競い合っているようにも見えた。
この不動尊の階段には、道沿いにたくさんの幟(のぼり)が掲げられている。そしてその一本一本の幟を良く見ると、選手一人一人の願が掛けられていた。恒は自分の願いが込められている幟を紅葉の隙間に見つけた。そこには「健康第一」と大きく書かれ、右端に小さく平尾恒と記されていた。恒はその旗に、今年一年間怪我なくシーズンを過ごせたことを感謝し、手を合わせた。そして改めて意を決し、残り半分の階段を一段飛ばしで一気に駆け登っていった。ぜいぜいと息を切らせながら境内までやってくると、恒はこの場所で初めて見る自分以外の人影を見つけた。今までこの境内で住職以外の人を見掛けたことは、ただの一度もなかった。
「あ、恒兄ちゃんだ!」
その人影は永美と啓太だった。
「やだ、平尾君、どうしたの?今までここで人を見掛けたことなんて一度もなかったのに、初めて見る人が平尾君だなんて、すごい偶然」
こんな高い場所に建立されていては、参拝者だってそうそう訪れないのだろうと恒は思った。
「今朝二百円しかお賽銭入れなかったのに、今日あんなに良いピッチングが出来たから、もう少し入れておかなくちゃと思って」
啓太は早速恒の足元にまとわりついていた。
「私たちも同じよ。今朝啓太と一緒に平尾君の必勝祈願をしに来た時、小銭があまりなくて、啓太の分しかお賽銭を入れられなかったの。だから今自分の分をね」
永美は同じことをしていた恒と自分たちが可笑しくて仕方なかった。
「けど丁度よかった、これ渡そうと思ってたから」
恒はポケットからボールを取り出した。
「もし試合に勝てたら、ウィニング・ボールは絶対永美さんに渡そうと思ってたんだけど、引き分けに終わっちゃいました。でも好投できたし、やっぱりこのボールは永美さんに渡したかったんです」
恒が差し出したボールには日付とサインが書かれていた。
「怪我、早く治してくださいね。でないと永美さんのことが心配で練習に集中できなくなっちゃいますから。永美さんは僕にとってはすごく大切な友達なんです。だから永美さんには、いつも元気な姿でスタンドで応援していて欲しいんです。そしたら、来年こそは絶対初勝利を上げられると思うんです。それと、僕が投げる試合は絶対にそのバレッタを着けて来てくださいね。僕にとって幸運のバレッタみたいだから」
恒の言葉の端々には、優しさと思いやりが溢れていた。言葉だけではない、心の底から溢れる真心。それに触れた永美の胸は感涙の重さに張り裂けてしまいそうだった。
永美は後ろ髪を束ねている、星型の穴が三つ刳り貫かれたパステルブルーのバレッタを、後ろ手にギュッと握り締めた。永美は今にも恒に抱きついてしまいかねないほど、胸に熱いものが込み上げて来ていたが、それを寸でのところで自制させた。しかし自制させる努力までを隠し切ることは出来なかった。
永美は啓太が生まれたその日に夫啓介を事故で亡くして以来、いつも気を張り続けて来た。それは啓太に父親がいないことで寂しい思いをさせたくない、悲しい思いをさせたくない、他の子との引け目を感じさせたくないという気持ちがそうさせていた。自分は母親だけではなく、父親の役目も果たさなくてはいけないという責任感を人一倍感じ、いつも啓太の幸せのことばかりを考えて、自分自身のことは蔑(ないがし)ろにして来たこの四年間だった。
永美は四年振りに、与える優しさではなく与えられる優しさ、与えられる温かさを体感した。張り続けられた緊張の糸は一気に弛み、自制はもはや利かない。身体はわなわなと震えだし、今にも涙が溢れてきそうだった。
「永美さん・・・・・・?」
恒は永美の目頭が熱くなっていることに気が付いたが、啓太は赤とんぼを追い駆けるのに夢中だった。
「ごめんね。私ね、啓太の父親を交通事故で亡くして以来ひとりで頑張りっ放しだったの。啓太には父親がいない分、他の子よりも幸せになってもらいたいって、いつもそんなことばっかり考えていて、自分のことなんて考えることもなかった。だから、こんなに優しいこと言われたのもすごく久し振りで、それでつい感極まっちゃったみたい。私って元々涙もろい方だったから。テレビの動物特集でもすぐ泣いちゃうくらい。そんな私が四年間も我慢して来たから、だから涙も溜まりっ放しだったのね、きっと」
眼鏡越しの切れ長の美しい形の瞳からは、大粒の涙がしとしとと零れ落ち、その粒が夕陽の赤を目一杯に吸い込み輝いていた。恒は男としての本能に身を委ね、永美の華奢な身体を吉井と投げ合ったばかりの腕で、ぎこちないながらも優しく包み込んだ。それはまるでスポンジケーキを手で持ち上げる時の感触と同じほどの優しさだった。
「永美さんはひとりじゃありません。啓太だっているし、妹さんだって、僕だっています。だからひとりで頑張り過ぎないでください」
永美の瞳のダムはついに決壊してしまい、どんなに堪えようとしても涙は溢れ出る一方だった。
「啓太は永美さんの息子に生まれて来て、他のどの子よりも幸せだと思います。だって今時こんなに子供のことを思ってくれる親なんて珍しいですよ。永美さんは最高の母親です」
緊張の糸が切れて泣きじゃくる永美を、恒は夕陽よりも温かく、そして力強く抱きしめた。
「・・・・・・ありがとう」
永美の言葉は咽(むせ)ぶままで、やっと聞き取れるほどだった。
恒は包帯の捲かれた永美の左腕を摩っていた。
「妹がね、イタリアに留学しちゃうの。四年間は戻らないみたい。その心配と啓太のことを同時に考えてたらつい呆っとしちゃって、車を電柱にぶつけちゃったの。でもかすり傷程度だし、大丈夫。すぐ治るわ」
恒の胸の中での永美の声は笑いと涙が半々に入り混じっていたが、しかしまだ涙の方に分があるようだった。
恒はイタリアと聞いて、どこにあるのかがパッと思い浮かばなかったが、とりあえず長靴型をしたピザの美味しい国ということだけは知っていた。
「平尾君が先発する時は、必ずこのバレッタを着けて応援するね」
永美は四年前に亡くした夫啓介に負けず劣らず優しく温かい恒の心に、ファンとしてではなく、ひとりの女として少しずつ惹かれ始めていた。啓太がいるためか、恋人同士になりたいという思いはなかったが、友人としての距離は一気に縮んだように感じられた。そしてその感覚は恒も同じだった。永美の健気で直向(ひたむき)きな心に、恒はいつしか安らぎを感じるようになっていた。こんなに素敵な女性である永美の妹は、きっと永美と同じくらいに素敵な女性なのだろうと、ふと思いながら。

もしもあの鳥になれたなら

2009年11月03日 03:59

もしもあの鳥になれたなら第2章 -3-

吉井はオーバーモーションで振りかぶると、ワインドアップで六球目を投じた。右手の握りはストレートだった。
吉井の剛速球はビュンッという音と共に目にも止まらぬ速さで飛んで来た。原田はバットを五センチ短く持ち、なんとかそれに食らいついた。ボールはど真中に投げられたにも関わらず、原田はファールを打つことしかできない。しかもバットは粉々に砕かれてしまった。原田はジンジンに痺(しび)れた手をブラブラと振りながら、新しいバットを取りにダッグアウトへと歩いた。
恒が新しいバットと滑り止めスプレーを持って来てくれた。
「原田さん、凄いっすよ!こんな真剣勝負初めて見ました!貴さん相当本気になってますよ。原田さん、絶対打ってくださいね!」
恒は吉井と原田の真剣勝負に逸る気持ちを抑えようとしても、抑え切れなかった。それほどに吉井と原田の勝負は白熱していた。
「楽しそうに言うな。こっちは死に物狂いなんだから」
原田はヘルメットを被り直すと、再びバッター・ボックスと呼ばれるサバンナの谷へと戻っていった。

―カウント、2ストライク、2ボール。次が七球目。

原田はもうストレートしか狙う必要はなくなっていた。それは吉井にはもうストレートを投げる気しかなくなっていたからだ。
ライオンはコヨーテとの間を更にジリジリと詰めていき、コヨーテは逆にその幅を広げようと後ずさりをする。
原田は一度バッター・ボックスを外し、軽く素振りをして見せた。それでも吉井は表情一つ変える様子も見せない。
ライオンは獲物がいつ観念するのかを見計らっていた。
原田がバッター・ボックスに戻ると、吉井は足元のロジン・バッグに手を伸ばして摘まみ上げた。指先に十分の滑り止めをしつらえると、吉井は勢い良くロジンバッグを元あった場所に放り投げた。マウンドからは真っ白い粉煙が立ち昇り、その煙に霞み、吉井が指先につけ過ぎた滑り止めの粉を息で吹いている姿があった。吉井の表情は余裕そのものだった。一方の原田はコヨーテどころか、壁際に追い詰められたネズミも同然。しかし追い詰められたネズミの前に立ちはだかるのは猫ではなく、百獣の王ライオンだった。
「原田さん、頑張って!」
三塁側ダッグアウトでは恒をはじめ、全選手が立ち上がって声を張り上げていた。しかしその声が原田の耳まで届くことはない。
吉井は七球目、ストレートを外角のコースギリギリのところへ投げ込んだ。原田は五センチ短く持ったバットでそれを振りに行こうとしたが、しかし思い留まりバットを寸止めさせた。アンパイアはボールと判定したが、キャッチャーの芦部は一塁塁審にスイングの判定を求めた。だが塁審は両手を横に広げた。バットは止まっていた。

―カウント、2ストライク、3ボール、フルカウント。

球界を代表するエースである吉井と、十五年間万年二軍暮らしの八番バッター原田との勝負は白熱を極めていた。観客も全員が固唾を呑んで次の一球を待っている。その真剣勝負は公式戦さながら、いや、それ以上の緊張感が球場全体を包み込んでいた。
コヨーテはいよいよ水際まで追い詰められ、まさに背水となった。そして灼熱(しゃくねつ)のサバンナに水辺から涼風が迷い込んで来たその瞬間、ライオンは遂にコヨーテに飛び掛かった。吉井は内角低め一杯のところにボールと呼ばれる弾丸を撃ち込んだ。しかし原田もプロ野球選手の端くれ。吉井のストレートに完璧にタイミングを合わせ、替えたばかりの真新しいバットを振り抜いた。そしてその勢いに任せるようにして身体がクルリと回ってしまい、原田はその勢いで倒れそうになり、必死の思いでバットを杖代わりにして身体を支えた。
辺りには焦げ臭さと、マッチ棒の先から火を奪った時のような細い煙が立ち昇っていた。
電光掲示板に目をやると、球速は一五七キロと計測されていて、それを見た原田は思わず苦笑いを溢した。原田のバットを蹴散らしたボールは、芦部のキャッチャーミットに、まるでそこにあるのが当たり前だというような姿で収まっていた。
「ストライーク、バッターアウト!」
アンパイヤは高々と拳を振り上げ、原田は戦友を労わるような目でバットを見やった。するとバットと吉井のストレートが擦れ合った部分が真っ黒に焦げついていて、未だ仄かな煙を立ち上げていた。
原田は真剣勝負の後のあまりもの清々しさに、後輩である吉井に目礼をした。すると吉井も帽子の鍔(つば)を軽く摘まみ、野球選手特有の礼でそれに応える。観客からはスタンディングオベーションがふたりに贈られた。永美と啓太も立ち上がり、頻(しき)りに手を叩き続けた。
原田はこの瞬間にひとつの覚悟を決めた。残りの野球人生であと何回このような素晴らしい拍手をもらえるか分からない。それならばこの試合を、自分の野球人生最後の、そして最高の思い出にしようと。サバンナでの死闘を終えた原田は、三十三歳での引退を決意したのだった。

試合は結局0対0の引分けに終わった。吉井は紅白戦ながらも完全試合を達成し、恒も七安打を打たれながらも要所を締め、九イニングを完封で締めくくった。吉井と恒の投げ合いは、一軍の公式戦でエース同士が投げ合っても滅多に見られないほどの緊迫した投手戦になった。
打者全盛のこの時代で、ピッチャーが九回を完投して0点に抑えるということは、困難極まる偉業とも言える。生身のピッチャーよりも速い球を投じるバッティングマシーン、年々改良されて遠くまで飛んでいくボール、気流が一定していて打球の勢いが衰えないドーム球場、これらの要素はすべてピッチャーには不利に働くものであり、これこそが現代野球を打高投低へとせしめていた。
バッターの練習方法は年々向上しているにも関わらず、ピッチャーの練習方法は五十年前と何ら変わりがない。ただひたすらに走り込み、投げ込みをするに限られている。バッターのホームラン数は年間三十本から、五十本へと一気に飛躍したが、ピッチャーの投げる球速は一五〇キロが未だ高速とされ、日本には未だ一六〇キロを投げるピッチャーは現れていない。吉井が叩き出した一五七キロが日本最速記録となっていた。

スタンドからは盛大な吉井コールと平尾コールが湧き起こった。ファンにとってもそれほど見応えのある紅白戦となった。
試合後、吉井と平尾は監督の西尾に呼ばれ、二人とも右腕をアイシングでグルグル巻きにされた状態で監督室にやって来た。
「二人ともナイスピッチングだったな。打撃陣は一点も取れながったが、今日のお前さんたちのピッチングじゃ、責めることは出来んだろう」
西尾はスコアブックを眺めたままだった。
「吉井、来年の開幕もお前に託す。そして平尾、お前は第二戦での先発だ」
 吉井はもう分かっているといった表情で「はい」と応えたが、恒は驚きのあまり返事をし損なってしまった。
「平尾、聞いてるのか?」
西尾は豆鉄砲を撃たれた鳩のような表情をしている恒の顔を、半分面白がりながら覗き込んだ。
「は、はい。聞いています。でも、本当に・・・・・・、」
恒は西尾の言葉にかなり高揚していた。八月の初先発で打ち込まれても、セットアッパーとして使い続けてくれた西尾の言葉を半分喜びながら、半分疑いながら。
「なんだ?嫌ならいいんだぞ。今まで通りセットアッパーでも」
西尾はとうとう笑うのを堪え切れなくなり、話題を変えた。
「平尾、お前には吉井とエースの座を競い合ってもらわなきゃ困る。そこでお前の背番号だが、五八じゃちょっと重すぎるだろう?どうだ、四十引いてみないか?」
西尾は恒の背番号を五八から一八に変えることを提案した。恒はとても長く感じられる数秒を考え込んだが、その提案は来年先発として結果を出してから改めて再考するということで断った。この時恒の頭に浮かんでいたのは、いつも五八番のレプリカ・ユニフォームを着て応援してくれている永美と啓太の姿だった。恒が背番号を一八に変えれば、二人もきっと一八番のレプリカ・ユニフォームで応援してくれる。しかし来シーズン開幕第二戦の先発を任された今の恒があるのは、いつも五八番のレプリカ・ユニフォームを着て応援してくれた永美と啓太の存在があってこそだった。プロに入った当初は、一八、二一というエースナンバーに憧れを抱いていた恒だったが、今の恒にとっては五八番こそがエースナンバーであり、五八番が一軍のマウンドで舞う姿を、永美と啓太に見て欲しいと思っていた。
「来年は俺の監督契約最後の年だ。優勝できなきゃクビにされちまうから、二人ともしっかり頼むぞ。お前らが普通にやってくれるだけでうちの優勝は固い」

もしもあの鳥になれたなら

2009年11月03日 03:58

もしもあの鳥になれたなら第2章 -2-

「大丈夫です。それに、もうモップピッチャー(敗戦処理投手)には戻りたくないですからね。せっかくの先発マウンドを人に譲る気はありません」
恒は三塁側ダッグアウトの前まで歩いて来ると、スタンドの最前列で息を呑み心配そうな表情で座っている永美と啓太に目をやった。
「永美さん、怪我大丈夫ですか?」
声にせずそう言うと、恒は包帯が巻かれている永美の左腕を指すように、自分の左腕を指した。すると永美は、たった今目の当たりにした恒の気迫溢れるプレーに圧倒され、そんなことはどうでもいいとばかりに右手を振って見せた。しかし永美の顔からはいつの間にか心配の色は消え、秋晴れの日向(ひなた)の木洩れ日のような笑顔が戻っていた。
「試合に集中しろ」
恒がスタンドに向かってニコニコしていると、原田に後頭部をキャッチャーミットで小突かれ、その勢いでダッグアウトの階段を踏み外しそうになった。
「怪我には気をつけろよ」
原田は楽しそうにそう言うと、ベンチ裏に姿を消していった。原田は自分はほとんど一軍に上がる喜びを知らなかったが、自分がボールを受けた後輩たちが一軍に上がって活躍する姿を見ていると、それだけで幸せな気分に浸れた。そして今も、これからまさに一軍の晴れ舞台に羽ばたいていこうとしている未来のエースのボールを受けることに、大きな喜びを感じている。しかも一軍相手に一点も与えていない。それが原田の興奮を更に掻き立てていた。
原田はどうしても自分のバットで恒に先制点をプレゼントしてやりたかった。原田にとって恒は、今まで一緒にプレーして来た選手の中でも、一番好きになれた選手だった。ピッチャーという人種は、どんな時でも自我を押し通そうとする、ある種自己中心的考えの持ち主が多いのだが、恒はまったく逆の性格をしていた。どちらかというと少し内気で、気弱な部分さえもある。いつでも周りの人間に気を配り、自分勝手な行動など頭の片隅にさえ思い浮かばないような男だった。それでいて正義感がとても強く、正しくないことには我先に異論を唱える。原田はそんな恒の真更で純真な性格が大好きだった。そして誰にも増して、恒に一軍の晴れ舞台で活躍してもらいたいと願っていた。

試合は両軍一点も入らぬままに最終回を迎えた。九回表、二軍は七番バッターがあっさりと内野ゴロに仕留められ、これで試合開始から二十五人連続で打ち取られてしまった。そしてもしあと二人凡退してしまうと、打者二十七人目で二十七個のアウトを取られることとなり、それは吉井に完全試合を達成させてしまうということを意味していた。
否応にもプレッシャーがかかるそんな場面、右打席に立ったのは八番の原田。恒の女房役である原田は、この場面ヒットなんかではなくホームランを狙っていた。ネクスト・バッターズ・サークルで入念にすべり止めスプレーをバットのグリップに吹き掛けると、左肘に着けたエルボーガードを締め直し、獲物を狙うコヨーテのように慎重な足取りでバッターボックスに向かった。しかしこの日コヨーテが狙う獲物は、草原を飛び跳ねるか弱い野ウサギではなく、サバンナのマウンドと呼ばれる小高い丘から自分のことをじっと見下ろし、たてがみを南風になびかせている百獣の王ライオンだった。
マウンドに立つライオンも自分がコヨーテに狙われていることを重々承知していた。コヨーテがライオンの目をじっと睨みつければ、ライオンもまたコヨーテの目から視線を逸らすことはない。ライオンは知っていた。このコヨーテさえ仕留めてしまえば、勝負が決するであろうことを。

吉井は初球、ライオンがコヨーテの脇腹に軽いジャブを繰り出すかのように、原田の内角を鋭く抉(えぐ)るシュートを放った。しかし吉井の投球を熟知している原田はそれを読んでいて、コヨーテが軽やかにライオンのジャブから身を交わすようにして、身体すれすれの部分に飛んで来たシュートを平然と見送った。
すると吉井は、この打席の原田には威嚇するための内角球は通用しないと見て取ったのか、次に選択したボールは真中高め一杯に撃ち込む一五〇キロを越すストレートだった。真正面から対峙してしまえば、コヨーテがライオンに敵う術はもはやなく、原田はファールチップを打つのが精一杯だった。

―カウント、1ストライク、1ボール。

次なるライオンの狙いは自分の足元、コヨーテはそう考えた。吉井は外角低めに逃げていくスライダーでカウントを稼いでくるはずだと、原田は予想した。しかし吉井の考えは違っていた。攻撃を仕掛ける前に、まずはコヨーテが前に出て来られないように腰を引かせてやろうと企てていた。吉井が三球目に放ったのは、原田の背中の後ろから曲がってくる大きなスローカーブだった。原田は外角のスライダーを待っていたためにタイミングがまったく合わず、腰砕け状態でファールを打つのが精一杯だった。しかもその打球が三塁側のダッグアウトを直撃した。吉井は最初から分かっていた。原田がへっぴり腰でファールを打つであろうこと。

―カウント、2ストライク、1ボール。バッター・イン・ザ・ホール。

吉井はこのカウントで、少なくとももう一球ボール球で遊ぶことができた。ライオンは確実に仕留めるために、もう一度コヨーテの足許に隙を作らせようと考える。そして選んだボールは、二球目よりも更に高く、内角のボールゾーンに外れるストレートだった。コヨーテは分かっていた。ライオンの目が勝負をもう一球先送りにしようと考えていることを。
原田は吉井が一球ボールを挟むことを確信し、何が何でも四球目は見送ろうと決めた。そして四球目の球種如何で、五球目の平衡カウントでの狙い球を絞ることにした。もしここでストライクを投げられてしまえば万事休す、それは仕方ない。原田はそう自分に言い聞かせ、徐(おもむろ)に足元の土を馴らす。コヨーテは身を低く構えてライオンの出方を待った。
吉井は迫真のストレートをキャッチャーミット目掛けて撃ち込んだ。ズドン、というまるでライフルの銃声のように重厚な音が球場内に響き渡り、一瞬の沈黙が訪れる。コースギリギリの剛速球に、アンパイアは右手を高々と掲げようとした。しかしそれを寸でのところで踏み留まり、顔を左に向けると「ボール」という声で沈黙を破った。この高めのストレートはそれほど際どいコースに決まっていた。

―カウント、2ストライク、2ボール。次は平衡カウントでの勝負球。

コヨーテは一瞬、自分はもうすでに絶命したものだと思った。しかし閉じた目を開けてみると、手足にはまだ自由が与えられている。コヨーテは「しめた」と思った。原田は、吉井が高めのストレートを見せて来たことで、五球目は必ずフォークボールで三振を取りに来ると確信した。ライオンはコヨーテの下顎に狙いを定めていた。
吉井はグラブの中で、人差し指と中指を使ってボールを目一杯に挟み込んだ。伝家の宝刀フォークボールで原田を仕留めるつもりだった。吉井は、原田にそれを予測されていることを知っていた。しかしそれでもフォークボールを投げようとするのは、それほどまでに吉井のフォークを打てるバッターが一軍クラスでも僅かしかいないという証明だった。
ライオンは爪を鈍く光らせて、右の前足をコヨーテの下顎目掛けて繰り出した。しかしその軌道はコヨーテの予測通りで、コヨーテは瞬時に左側に身を交わすと、ライオンの右前足に力一杯噛み付いた。
原田は目一杯バットを振り切った。打球は高々と舞い上がり、今にもドーム球場の天井をかすめそうなほどだった。吉井はしてやられた、と思わずマウンド上で悔しそうに蹲踞(そんきょ)の姿勢を取った。その間も打球はレフト方向へグングン伸びていく。そして打球がレフトスタンドの椅子に当たったバコーンという音が球場内に響き渡ると、一瞬の後に今度は歓声とため息がドーム内に木霊していった。打球はレフトポールの僅か十センチ左をかすめてスタンドに飛び込んでいた。原田の会心の打球は寸でのところでファールになっていた。吉井は思わずドームの屋根に隔てられた天を仰いだ。ライオンは自分自身の奢(おご)りを深く反省した。

―カウント、変わらず2ストライク、2ボール。

コヨーテには分かっていた。いよいよライオンが目を覚ましてしまったことが。こうなったらあとは姑息(こそく)な手を使ってライオンを焦(じ)らしていくしか、コヨーテに残された手段はなかった。ライオンはじりじりと間を詰めて来る。
原田はタイムを要求してネクスト・バッターズ・サークルまで戻ると、滑り止めスプレーをバットのグリップに時間をかけ、入念に吹き掛けた。そしてゆっくりとバッター・ボックスの手前まで戻ると、今度はスパイクの紐を結び直した。こうして時間を稼いで吉井を苛(いら)つかせ、その間に狙い球を絞ろうとした。しかしライオンが動じる気配は一向に見受けられなかった。
原田は迷いに迷った末、やはり基本通りストレートにタイミングを合わせておいて、その上でも他の球種にも対応できるようにしようと考えた。

もしもあの鳥になれたなら

2009年11月03日 03:57

もしもあの鳥になれたなら第2章 -1-

第二章 サバンナ

紅白戦当日の朝、恒は明け方に目を覚ましてしまった。冷蔵庫の扉を開けっ放して、その明かりを照明代わりにしながら、牛乳をパックから直接渇き切っていた喉に流し込んだ。そして喉を潤してやると、再びベッドに潜り込んだ。しかしこの朝の内に眠気が戻ってくることはもうなかった。
恒はブルーのチェック柄のパジャマをブルーのウィンドブレーカーに着替えると、近所を散歩に出掛けた。恒は早朝の散歩と真夜中の散歩が好きだった。排気ガスの匂いがしない澄んだ空気と空が楽しめる。とは言え、恒は早起きがあまり得意ではなく、そのほとんどが真夜中の散歩ではあったが。サワサワとさんざめく木々、リンリンと鳴きしきる虫の声、シンシンと静まり返る寮の目の前に広がる森。恒はそのどれもが好きだった。普通若手選手というのは、一年でも早く寮を出て一人暮らしをしたいと思うものなのだが、恒に限っては寮を出たいという気持ちはまったくなかった。それは真夜中や早朝だけに感じられる、この町の最高の表情を知っているからだった。
恒は寮の目と鼻の先にある狭山不動尊まで歩いて来た。寮から片道一車線の車道をを挟んですぐ目の前にあると思いきや、この不動尊はとても高い場所に建立されていて、平行面では寮のすぐ目の前なのだが、垂直面となるとそれはかなり違った。境内までたどり着くには六十段以上の急な階段を登り、五十メートル以上はある勾配のきつい坂道を登らなければならない。野球選手の恒でも、頂上の境内までたどり着くと少しばかり息が上がった。
恒は賽銭箱の前までゆっくりと近付くと、百円玉を投げて必勝祈願の願掛けをした。
「百円で吉井さんに勝とうなんて、少し虫が良すぎるかな」
そう呟くと、恒はもう一枚百円玉を投げ入れた。
「勝たせてくれたら、試合後にもう一枚入れに来ます」
恒は両手をしっかりと合わせ、頑なに目を閉じ、吉井に勝てるようにと祈った。

試合開始前、恒はサブグラウンドで身体を温めていた。いつものように金網に結びつけたゴムバンドを使い、肘のインナーマッスルを鍛えている。肘の関節を使うだけの単調でほとんど疲れることもない、あまりやりがいのない練習ではあったが、ピッチャーにとっては怪我をしないためのとても重要なトレーニングだった。インナーマッスルは、力こぶを作るアウターマッスルの内側にあって、アウターマッスルを動かすための細い筋肉のこと。恒はこのようなあまり目立たない練習にも余念を交えなかった。そして恒のピッチャーとしてのこのような習慣は、すべて吉井を見習った上での結果だった。
「恒兄ちゃん!」
恒が黙々とゴムバンドを引っ張っていると、金網越しに永美と啓太が近寄って来た。この日は日曜日とあって、他にも練習を観に来ているファンがたくさんいる。
「やぁ、啓太、観に来てくれたんだ」
恒は小さな啓太の身長に合わせてしゃがみ込み、金網の隙間に指を入れて啓太と軽い握手を交わした。
「恒兄ちゃん頑張ってね!絶対勝ってね!」
啓太の笑顔はいつでも実直だ。
「あぁ、絶対に勝つよ。だから啓太もしっかり応援してくれよな」
「うん!」
恒は立ち上がり、今日は永美がどんなバレッタをしているかを確かめようとした。しかしバレッタよりも先に目に入ってきたのは、永美が左腕に巻いている包帯だった。
「永美さん、その怪我どうしたんですか?」
恒は心配で、今にも二メートルの高さは優にある金網を乗り越えそうな勢いだった。
「あ、これ?実は仕事の帰り、保育園に啓太を迎えに行く途中で車をぶつけちゃったの。呆っと考えごとしちゃってたのよね」
永美は恥ずかしさを誤魔化すように、啓太の頭を撫でていた。
「大丈夫ですか?気をつけてくださいね」
「ありがと。今日は平尾君三塁側なんだよね?ダッグアウトのすぐ上の席で応援してるから、絶対に勝ってね!」
恒は少しだけ綻んでいる金網の隙間に手を入れ、永美とパチンと掌を叩き合わせた。それを啓太が羨ましそうに眺めていたので永美は、啓太を恒と手を合わせられる綻びた金網の高さまで抱き上げた。しかし恒の大きな手と、啓太の小さ過ぎる手が叩き合わされても、パチンという良い音は鳴らず、啓太はそれを少し不服そうにしていた。

試合は白いホーム用のユニフォームを来た白組が一軍選抜で後攻め、ビジター用の青とグレーのユニフォームの紅組が二軍選抜の先攻めで開始された。白組の先発吉井、紅組の先発恒、共にチームからの大きな期待とプレッシャーとを背負ってマウンドに登った。特に吉井は一軍フルメンバーで挑むのだから、恒に勝つこと以前に、二軍相手に負けることは絶対に許されない。そして恒も負ける気など毛頭なく、一軍相手に一点も与えないつもりでいた。
先発ピッチャーは試合が始まり、最初のヒットを打たれるまではいつでもノーヒットノーランを狙っている。そして最初のヒットを打たれてしまうと、その頭を今度は完封勝利へとシフトチェンジする。だが点をも取られてしまったなら、次は完投勝利へと方向転換をする。それが先発ピッチャーと呼ばれる者の性(さが)であり、エースと呼ばれるピッチャーたちの誇りでもあった。エース足る者、誰にもマウンドを譲る気などなく、ましてや相手の先発ピッチャーよりも先にマウンドを降りてしまうことは、屈辱以外の何物でもない。吉井と恒も当然そんなエースの美学を胸に秘めていた。
そしてそのエースとしてのプライドを初回三者連続三振という結果でまざまざと見せ付けたのは、まずは吉井の方だった。吉井は二軍の選手たちを、まるで相手にしていないといった余裕のピッチングできりきり舞いにしていった。そこにはまさに一軍のエースとしての貫禄が備わっている。吉井の背中は背番号の二一という数字以上に大きく感じられた。
一方の恒は、一回裏のピッチングで早くも一軍の打線に捕まってしまった。一・二番に連続ヒットを許し、三番バッターにはフォアボールを与えてしまい、あっと言う間にノーアウト満塁というピンチに陥った。恒がマウンド上で悔しさのあまり土を蹴り上げていると、キャッチャーの原田が小走りでマウンドまでやって来た。原田は三十三歳のベテランキャッチャーだったが、実に現役生活十五年のほとんどを二軍で暮らしている。
「平尾、力み過ぎだ。ボールが指に全然引っ掛かってない。お前はもう二軍レベルのピッチャーじゃないんだ。実力を普通に出しさえすれば、一軍のバッターだってそう簡単には打てないはずだ。だからもっと相手を見下ろすくらいの気持ちで、肩の力抜いて俺のミットだけを目掛けて投げ込んで来い!」
原田は右手を恒の背中に回され、二人揃ってセンター方向を向いて話をしていた。恒が二軍で登板する時にバッテリーを組むキャッチャーは、大抵が原田だった。そして恒の野球人生において、最も恒のボールを受けているのもまた原田だった。絶対の信頼を置いている女房役の原田に尻を叩かれ、恒はやっと冷静になれた。
落ち着きを取り戻した恒は、この年ホームラン王を獲得している四番タイラーを、渾身のストレートでピッチャーゴロ・ホームゲッツーに仕留め、一瞬でツーアウトを取った。そして五番を打つ正捕手の芦部にはストレートを見せ球に使い、緩いカーブでファールを打たせてカウントをバッター・イン・ザ・ホール(バッターに不利なボールカウント)にすると、バッターを通り過ぎてから、ボールゾーンからストライクゾーンに曲がり込んでくるスライダーで、見逃しの三振に打ち取った。このスライダーは恒のウィニングショットだった。
その後吉井と恒はお互い一歩も譲らず、試合は五回まで膠着状態が続いていた。しかも二軍は吉井からまだ一本のヒットも打てず、六回までで打者十八人を送り込み、十二個の三振を奪われパーフェクトに抑えられている。一方の恒はヒットを打たれつつも要所要所をきちんと締め、ここまで一軍を無失点に抑える好投を続けていた。しかし事件は六回裏、ツーアウトを取った後に起こった。
バッターは四番のタイラー。恒の一五〇キロを優に超すストレートを弾き返したのだが、その強烈な弾丸ライナーが恒の腹部を直撃してしまったのだ。恒は蹲(うずくま)りながらも転々とするボールをはっしと掴み、ファーストミット目掛けて全力で放った。間一髪アウトにはなったが、恒は腹を両手で押さえてそのままぐったりと倒れ伏してしまった。球場内は騒然となり、チームトレーナーが慌てて恒のもとに駆け寄る。恒はまだ腹を押さえて蹲ったままでいる。トレーナーは何度も「大丈夫か?」と訊ねた。しかし恒がなかなか返事をできないでいると、トレーナーは担架を持ってくるようにと指示を出した。しかし恒はそれを慌てて制止した。
「大丈夫です、ボールが鳩尾(みぞおち)に入ってちょっと息が吸えなかっただけですから。こんなの何ともありません」
そう言うと恒はトレーナーの肩を借りて、気丈に立ち上がった。スタンドから大きな拍手が湧き起こる。この日は紅白戦であるにも関わらず、吉井と恒が投げ合うということでたくさんのファンが球場に詰め掛けていた。
「本当に大丈夫なのか?」
トレーナーはそれが仕事であると言わんばかりに、しきりに訊ねた。

もしもあの鳥になれたなら

2009年11月03日 03:54

涌井秀章投手、11完投16勝で沢村賞を受賞!

埼玉西武ライオンズの若きエース、涌井秀章投手沢村賞が決定した。今シーズンは16勝6敗と1人で貯金10を稼いだ涌井投手。さらには4完封11完投、211イニングなど、沢村賞を受賞するに相応しい数字を残した。

春のWBCから投げ続けて来た涌井投手。その疲労度は我々の想像以上だと思う。ピッチャー経験のある方なら分かると思うが、1試合を1人で投げ切るというのはとても過酷な作業なのだ。それを涌井投手は今シーズン11回もやってのけた。27試合に登板していることから、完投率は実に41%という驚異的な数字になる。しかもその内の4回は完封している。

筆者は高校時代から涌井投手のことをずっと見続けているが、本当に素晴らしいピッチャーに成長したと思う。ただ高校時代からずっと感じていることがある。それは肩後方の筋肉、もしくは背中・腰をいつか傷めるのではという心配だ。それはピッチングフォームを見て感じることなのだが、25歳を超えてからは特に注意をした方が良いと思う。

だがそれはさておき、西武ライオンズの選手としては92年の石井丈裕投手、97年の西口文也投手、2001年の松坂大輔投手に次ぐ沢村賞投手となった。今年の涌井投手はエースとして本当に素晴らしい活躍をしてくれたと思う。まずピッチング以前に、1人のピッチャーとしてしっかりとチームを牽引した。言動にも主力としての責任感が溢れており、心身ともに大人になったという印象だ。

ヒーローインタビューなどでは比較的謙虚な言葉をよく使う涌井投手だが、しかし言葉とは裏腹に表情は自信に満ち溢れている。結果としてヒーローになったとしても、納得の行かないピッチングであれば口調も曇りがちになる。結果オーライで片付けないという意識の高さは、まさにエースに相応しい。

それもこれも、やはり根本は横浜イズムなのかもしれない。横浜高校の渡辺監督は、筆者も昔から尊敬する野球人の1人だ。その渡辺監督の指導を受けた涌井投手、そして松坂投手が沢村賞を受賞できたことは、ある意味では十分予想の出来たことだった。1人の選手としてしっかりと自分のプレーに責任を持つ、きっとそういう指導をされているのだろう。渡辺監督の指導を受けたプロ野球選手で大成した選手は本当に多い。

涌井投手はまだまだ進化途中のピッチャーであるため、来年以降はさらに飛躍することだろう。そのためにも今オフはしっかりと肩の疲れを抜き、また来シーズンに備えてもらいたいと思う。涌井投手自身もそのつもりのようで、年内はボールを握らずにひたすら走りこみをするようだ。

下半身にさらに安定感が増せば、それは投球内容の安定感にも直結する。筆者としては、できれば30試合以上投げて沢村賞を来年もう一度獲ってもらいたい。実は97年以降、30試合以上投げての沢村賞受賞投手は32試合の西口投手と、33試合の松坂投手のみなのだ。しかもこの頃はまだ、今よりも試合数は少なかった。来年、涌井投手には30試合以上に先発して沢村賞の連続受賞に挑戦してもらいたいと思う。

2009年11月02日 20:37

 1  |  2  |  3  | All pages


Copyright(C) 2009-2010 日刊埼玉西武ライオンズ All Rights Reserved.