1  |  2  |  3  |  4  |  5  | All pages

#55 工藤公康



#55 工藤公康 - Kimiyasu Kudoh

投手(先発、リリーフ)、左投左打
1981年ドラフト6位
名古屋電気高(愛工大名電)~西武ライオンズ~ダイエーホークス~読売ジャイアンツ~横浜ベイスターズ~埼玉西武ライオンズ
愛知県豊明市出身、1963年5月5日生、176cm / 80kg
タイトル:シーズンMVP(1993、1999)、最優秀防御率(1985、1987、1993、1999)
最高勝率(1987、1991、1993、2000)、最多奪三振(1996、1999)
最優秀投手(2000)、ベストナイン(1987、1993、2000)
ゴールデングラブ賞(1994、1995、2000)
日本シリーズMVP(1986、1987)、正力松太郎賞(1987)

夢を与え続けている人、工藤公康
工藤投手、初の千葉自主トレ慣行
工藤公康投手、今オフはリリーバーとして本格調整
工藤公康投手の背番号が55に決定、その理由
工藤公康投手、16年振りの西武復帰が決定!
工藤投手西武復帰に関する続報
工藤公康投手の西武復帰ほぼ確実に
工藤公康投手、16年振りの西武復帰が有力!

工藤公康投手は、言わずと知れたライオンズ黄金時代の左のエースだ。そして渡辺久信投手、清原和博選手と共に、『新人類』として1986年に流行語大賞も受賞している。野球選手としてこの明るすぎる性格は、3人共に当時の先輩選手たちからよく叱られていたそうだ。だが元をたどればライオンズの現在の明るいチームカラーは、この3人が中心になり作ったと言っても過言ではない。

プロ入り前、高校時代の工藤投手は、3年時に出場した夏の甲子園大会2回戦で長崎西高校を相手に、甲子園18人目19回目のノーヒットノーランを達成している。そしてチームもそのまま勝ち進み、この大会ではベスト4まで進出した。高校球児としてはそれほど騒がれた存在ではなかったが、しかしプロに無視されるレベルの投手でもなかった。だが当時の工藤投手はプロ入りを頑なに拒み、ドラフト前から熊谷組入りを表明していた。

そんな工藤投手のことをドラフト6位で強行指名したのが、亡くなってもなお工藤投手らが「オヤジ」と呼び慕う根本陸夫管理部長(当時)だった。ドラフトで指名されてもプロ入りに難色を示していた工藤投手だったが、根本さんの眼力は正確だった。ひたすら説得を続け、何とか入団までこぎつけ、その後2009年まで28年間プロで投げ続けている。この大エース工藤公康投手が存在するのも、すべては故根本陸夫の眼力と尽力のお陰だった。

プロ入り後3年は、それほど目立った活躍をすることはなかった。だが3年目・84年のオフにメジャー留学をしたことで大きな経験を積むことができ、その後も当時の宮田征典投手コーチの指導により球速を10kmアップさせると、4年目からは主戦投手として活躍し出した。その85年は8勝3敗という成績を残し、最優秀防御率賞を受賞。左の先発としてしっかりとローテーションに定着した。

そしてその後の工藤投手の活躍は目覚しい。翌86年の日本シリーズでライオンズは広島相手に初戦を引き分けるものの、その後3連敗と崖っぷちに立たされた。だが第5戦の1-1で迎えた延長12回、辻初彦選手がフォアボールで出塁し、そのランナーを伊東勤捕手が送り、そこで打席に立ったのが工藤公康投手だった。工藤投手はこの試合、球界の兄として慕っている東尾修投手の好投の後を継いでいた。その打席で「1,2,3」のタイミングで振り抜いた内角球はライト線を破り、シリーズの流れをガラッと変えるサヨナラヒットとなった。

このサヨナラヒットでライオンズは蘇り、3連敗の後は4連勝して日本一に輝いた。もちろんこのシリーズのMVPは工藤投手だ。そして優勝を決めた第8戦に同点ホームランを放ち、バック転でホームインしたのが現ホークス監督の秋山幸二選手だった。

工藤投手は今年実働28年となり、来季も現役を続ければ29年となる。これはとてつもない数字だ。プロ野球は10年飯を食っていくことすら困難な世界で、毎年60人前後の新人が入ってくるものの、30歳までプロにいられる選手はその中のほんの一握りだ。結果を残せなければ容赦なくクビを切られるこの世界で、工藤投手は28年も投げ続けている。そして通算224勝を挙げ、今オフ横浜を戦力外になったにも関わらず、来季も現役を目指している。

では、工藤投手はなぜここまで長く活躍することができたのか?普通46歳であれば、四十肩でボールを満足に投げることもできない。だが工藤投手はまだプロ野球の1軍で投げ続けている。それを可能にする理由は、ピッチングモーション(ピッチングフォームではない)だ。筆者はこれまでにライオンズ投手陣のピッチングモーションについていろいろと書いて来たが、工藤投手のモーションはすべてが模範クラスのパフォーマンスなのだ。

筆者が小学生の頃、野球チームのコーチから「工藤の真似をして投げてみろ」とよくアドバイスされた。確か小学4年生くらいの時だったと思うが、そのアドバイスを元に筆者は来る日も来る日も工藤投手のモーションのトレーシングを行った。だが当時はその理由がよく分からなかった。ただ、真似をすることでボールがそれまで以上に走るようになり、小学6年生になると100km近いボールを投げられるようになっていた。

当時はそのメカニズムがまったく分からなかったのだが、と言うよりは気にしていなかったのだが、今考えてみると「なるほど」の一言に尽きる。工藤投手のピッチングモーションは、身体にほとんど負担をかけずに、最大限のパフォーマンスを引き出すために最適な動きをしているのだ。これはまさに模範であり、子どもが真似すべき最良のお手本だと思う。

まず一番素晴らしいのは、肩甲骨の使い方だ。分かりやすく言うと、テイクバック。工藤投手のテイクバックは、素晴らしいモーションの中でも格段に素晴らしい。ほとんどのピッチャーはテイクバックする際、腕の筋力を使って、「フォーム」としてテイクバックしようとする。だが工藤投手の場合はSSC(ストレッチ・ショートニング・サイクル)と言って、筋肉が持つ習性を活かし、身体にとって最も自然な「モーション」でテイクバックを行っている。そしてテイクバックの頂点にはしっかりとサイレント・ピリオド(筋力の活動がゼロの状態のこと)が存在しており、その後の腕のスウィングの加速を助長させている。

専門用語ばかりで大変申し訳ないのだが、とにかく工藤投手のピッチングモーションは生理学的に理に適った動きをしているのだ。そのために、よほど無理をしたり疲労を溜めない限りは大きな故障を起こさない。だからこそ28年間もプロで投げ続けて来れたのだ。

そしてさらに言えば、食生活にもアスリートとしてかなりのこだわりを持っている。粗食に関する本の出版にも参加しており、オフになるとファスティング(断食)にも取り組んでいる。筆者はファスティングに取り組んだことはないので詳しい方法は分からないのだが、身体のコンディションを整えるために大きな効果があるようだ。

また温泉治療も積極的に行っており、オフシーズンは効能の高い温泉の素を利用し、練習で疲れた身体の回復にも努めている。工藤投手曰く、最近の入浴剤は本当によく研究されており、実際の温泉とほとんど同じ効能を自宅のお風呂で得ることができるそうだ。

これだけ身体のケアをしっかり行っていることを知ると、28年間投げ続けていることにもうなづくことができる。それなのにヘビースモーカーであるという点はちょっとお茶目ではあるが、2008年にはタバコをやめてもらいたい有名人にランクインされていた。

94年オフにFA宣言をしてホークスに移籍し、その後は巨人、横浜と渡り歩いた工藤投手だが、横浜を戦力外になった今オフ、再びライオンズが獲得に興味を示している。西武の小林球団社長は「ドラフト次第」とコメントしていたが、そのドラフトでサウスポーを菊池雄星投手しか獲らなかったことを考えると、工藤投手のライオンズ復帰の可能性は非常に高いと思う。

野球選手として、アスリートとしてこれだけ模範的な選手がライオンズに復帰してくれれば、ライオンズにとってはそれだけでも大きな財産となるだろう。そして工藤投手のライオンズ復帰の噂を耳にした菊池雄星投手も、「工藤投手のようになりたい」と話している。そして菊池投手だけではなく、工藤投手に憧れて背番号47を背負っている帆足投手にとっても、工藤投手のライオンズ復帰は願ってもない喜びとなるだろう。

この記事を書いている10月31日の段階では、工藤投手が今後どのような進路を取るのかまったく明確ではない。ただ西武だけが獲得に興味を示しているという情報のみだ。だが西武の選手も、西武ファンも、工藤投手のライオンズ復帰を心待ちにしている。筆者としても是が非でも復帰してもらいたいと考えている。

とにかく野球に関して、誰よりも真摯な取り組みをしている選手だ。まだまだ若いライオンズというチームが再び常勝気流に乗るためには、必要な存在だと思う。工藤投手がライオンズに復帰すれば投手陣の底上げだけではなく、選手全体の意識向上にも繋がるはずだ。だからこそ筆者は復帰への願いを込めて、その日を待ちたいと思う。

 投球成績 Pitching Results




























西武ライオンズ
1982 27 1 1 0 - .500 122 28.2 22 0 21 2 1 29 1 0 11 11 3.41
1983 23 2 0 0 - 1.000 138 33.1 30 6 13 0 0 24 0 0 13 12 3.24
1984 9 0 1 0 - .000 53 12.1 10 1 10 0 1 8 0 0 4 4 2.92
1985 34 8 3 0 - .727 554 137.0 84 13 73 2 2 104 1 1 44 42 2.76
1986 22 11 5 0 - .688 586 145.1 111 22 56 3 1 138 1 0 53 52 3.22
1987 27 15 4 0 - .789 899 223.2 181 18 64 4 2 175 2 0 65 60 2.41
1988 24 10 10 1 - .500 694 159.0 164 18 70 6 1 94 4 0 77 67 3.79
1989 33 4 8 2 - .333 540 118.0 126 12 76 4 2 94 9 0 70 65 4.96
1990 13 9 2 0 - .818 359 85.2 58 11 46 1 2 89 4 0 33 32 3.36
1991 25 16 3 0 - .842 705 175.1 124 17 75 1 0 151 4 0 55 55 2.82
1992 25 11 5 0 - .688 645 150.2 140 17 69 3 3 133 4 0 60 59 3.52
1993 24 15 3 0 - .833 697 170.0 129 10 65 4 2 130 5 0 46 39 2.06
1994 24 11 7 0 - .611 554 130.2 120 12 44 0 3 124 2 1 54 50 3.44
福岡ダイエーホークス
1995 22 12 5 0 - .706 652 163.0 137 15 48 0 0 138 4 0 69 66 3.64
1996 29 8 15 0 - .348 867 202.2 207 17 70 2 1 178 6 0 94 79 3.51
1997 27 11 6 0 - .647 670 161.1 153 14 48 2 3 146 2 0 61 60 3.35
1998 15 7 4 0 - .636 386 93.2 90 8 28 1 2 65 0 1 35 32 3.07
1999 26 11 7 0 - .611 754 196.1 143 12 34 1 1 196 6 1 56 52 2.38
読売ジャイアンツ
2000 21 12 5 0 - .706 545 136.0 127 14 16 0 1 148 5 0 53 47 3.11
2001 5 1 3 0 - .250 103 21.1 35 3 7 1 0 8 2 0 21 20 8.44
2002 24 9 8 0 - .529 681 170.1 157 21 26 3 2 151 5 0 61 55 2.91
2003 18 7 6 0 - .538 483 117.0 117 15 22 2 3 115 1 0 56 55 4.23
2004 23 10 7 0 - .588 596 138.2 160 27 33 1 1 128 3 0 78 72 4.67
2005 24 11 9 0 0 .550 595 136.0 159 26 44 3 1 130 4 0 73 71 4.70
2006 13 3 2 0 0 .600 295 70.0 69 12 19 0 3 52 0 0 41 35 4.50
横浜ベイスターズ
2007 19 7 6 0 0 .538 442 103.2 118 6 28 1 4 73 2 0 46 45 3.91
2008 3 0 2 0 0 .000 70 13.2 21 3 5 0 1 7 2 0 13 8 5.27
2009 46 2 3 0 10 .400 172 37.1 53 11 14 1 0 24 2 1 30 27 6.51
通算 625 224 140 3 10 .615 13857 3330.2 3045 361 1124 48 67 2852 81 5 1372 1272 3.44


   

2009年10月31日 00:51

#17 菊池雄星

#17 菊池雄星 - Yusei Kikuchi

投手(先発タイプ)、左投左打
2009年ドラフト1順目
花巻東高~埼玉西武ライオンズ
岩手県盛岡市出身、1991年6月17日生、184cm / 83kg

雄星投手はなぜ本領を発揮できなかったのか?
雄星投手が今現在抱えている投球に関する欠点
雄星投手の肩がなかなか温まらない理由
ボール以上に素晴らしかった雄星投手の能力
直筆のお礼状を書くことにした雄星投手
菊池雄星投手がマスターすべき変化球
菊池雄星投手のピッチングフォーム解析
菊池雄星投手の入団会見、メディカルチェック
菊池雄星投手、春季キャンプ1軍帯同が内定
菊池雄星投手、埼玉西武ライオンズ入りへ!
西武1位指名候補の菊池雄星投手は、プロで通用するか?

高校球界ナンバー1投手・菊池雄星投手は、2009年10月29日に行われたプロ野球ドラフト会議にて6球団から指名を受けた。その時クビ引きで当たりを引いたのが埼玉西武ライオンズの渡辺久信監督だった。日米合わせて20球団による争奪戦が繰り広げられたわけだが、菊池雄星投手は晴れて埼玉西武ライオンズの一員となった。

花巻東高校での活躍を知るファンは多いと思う。2009年春の選抜高校野球大会では152kmを計測し、準優勝投手になった。そして夏の甲子園大会ではベスト4に輝いた。だがこの夏の甲子園大会で、菊池投手は背中を痛めてしまった。だがこの故障は起きてもおかしくなかったというのが、筆者の正直な意見だ。原因はピッチングフォームでも、相手チーム野手との交錯でもない。過度なストレスだ。

スター不在と言われていたこの世代に2009年春、突如として表れた菊池雄星投手。マスコミ、プロスカウトたちは放っておかなかった。しかもそのマナーは呆れるほどに悪く、話半分で聞いたとしてもマナーのかけらも感じられない。

マスコミはどうしてもピッチング風景を撮影したいということで、投球予定のない日に無理を言って投球させたり、誕生日にはプレゼントを渡している写真を撮りたいと言い、雄星投手の母親をわざわざ花巻東の寮まで連れて行ったこともあったそうだ。彼らはスポーツライターの端くれであるにも関わらず、スポーツマンシップという言葉は知らないようだ。

だがそれは一部のプロスカウトたちにも同じことが言えた。花巻東の試合を偵察に行って雄星投手の登板がないと、花巻東高の佐々木監督に次の登板予定日を教えるように迫ったそうだ。またメジャー球団のスカウトの中には、アポなしで花巻東を訪問し、学校関係者を困らせたこともあったようだ。

こういうことが数え切れないほどあったせいだろう。ドラフトで西武入りが決まった直後の会見で菊池雄星投手は、「学校や家族に迷惑をかけてしまった」とまずそれに対し謝罪をした。立派な大人であるマスコミやプロスカウトよりも、菊池雄星投手はよほど大人の対応をしている。高校ナンバー1投手という以前に、本当に素晴らしい1人の人間ではないか。

18歳の高校生を相手に大人気ない対応を繰り返したマスコミ、プロ関係者の影響で菊池投手は調子を落とし、それが夏の怪我に繋がってしまった。そしてその怪我は理不尽なことに、マスコミやプロ関係者からの評価を一気に下げることになってしまった。雄星投手がメジャー挑戦を口にした際は、日本プロ野球の衰退を心配するようなコメントばかりを飛ばしたマスコミやプロ関係者だったが、一連の対応により、彼らの心配が口だけだったことがよく理解できた。中にはしっかりとマナーやモラルを持ったマスコミ、プロ関係者もいるだけに、野球ファンとして上述した出来事が本当に残念でならない。


さて、菊池雄星投手だが彼の最も素晴らしい点はその人柄だ。花巻東の佐々木監督も、チームメイトも、雄星投手のことを悪く言う者は1人もおらず、それどころか彼の人間性を称える言葉ばかりが聞こえてくる。チームメイトにしても「雄星が評価されなければ、僕らが評価されるわけがない」という風にインタビューに答えていた。

そして夏の甲子園敗退時、グラウンドで泣き崩れた雄星投手の姿を覚えているファンも多いだろう。「この試合で壊れてもいい、最後になってもいいから、この仲間たちと優勝したかった」。雄星投手は号泣しながらそう口にしていた。これだけチームメイトを愛し、これだけチームメイトから愛される菊池雄星投手。10年後も20年後もこういう気持ちを失うことなく、野球を続けて行って欲しいと思う。そうすればライオンズ史上最高のエースピッチャーになることだってできるかもしれない。

筆者は今年の春・夏・秋を合わせて、菊池投手のピッチングは映像で4~5回見た程度だが、まだプロレベルのピッチャーでないことは確かだ。もちろんこの冬の取り組み次第では春季キャンプで1軍に食い込む可能性は十分あるが、しかし焦る必要はない。だが、彼は間違いなく近い将来大成するだろう。

雄星投手は、シアトル・マリナーズのイチロー選手に通ずる哲学をすでに持っている。そして準備・ルーティンの大切さも理解している。イチロー選手が最も大切にするのが準備作業で、その準備作業をルーティンにしている。試合前、そして打席前のイチロー選手は、どんな時も同じパターンの行動を繰り返し、どんな時もその流れのまま平常心でプレーすることを心がけている。

そのイチロー選手と同じように、雄星投手も準備やルーティンを怠らない。「準備をしないということは、失敗を目指しているのと同じ」とまで言い切っている。一体何人の高校3年生が、これだけの言葉を言い切ることができるだろうか?練習が終わると寮に戻り、着替え、食事をし、風呂に入り、ストレッチをし、野球日誌を書き、そして練る。雄星投手は常にこのルーティンを繰り返したそうだ。

また、食生活にも気をつけていて、中学時代からお菓子、炭酸飲料、カップラーメンの類は自主的に絶っていて、チームメイトが練習帰りにコンビニでお菓子を買い食いしていても、雄星投手だけは母親に作ってもらったおにぎりやパンを食べていたそうだ。

雄星投手のピッチングを見ていると、下半身の強さが際立って感じられる。身体の柔軟性も素晴らしく、しかもただ柔らかいだけではなく、野球にとって股関節の重要性を理解した上で柔らかいのだ。つまり天性だけではなく、しっかりとした勉強に基づいた知識に則って柔軟性をキープしている。そして下半身の強さは中学時代に身に付けたようだ。中学時代はシニアで野球をやっていたのだが、その頃はピッチングに関しての指導はほとんど受けず、ただひたすら走らされたそうだ。365日休まず毎日10km走をしたり、ポール間ランニングを100本繰り返したりの野球生活だったらしい。

このシニアチームの指導者の判断は正しかったと思う。中学生はとにかく身長がよく伸びる。故に変に指導をしてしまうことで、身体のバランスが整う前に身体がフォームを覚えてしまう。するとそれが将来的に悪いクセとして残ってしまい、身体が出来上がる高校生になるとそのクセがなかなか抜けなくなってしまうのだ。

中学時代までは、身体の成長に任せて野球を楽しむことが1番だ。中学までは、高校に入ってから必要な基礎体力をしっかりと身に付け、あとは野球を楽しむ。これだけで良いと思う。特にピッチャーを目指す子にとっては。

今現在の雄星投手の変化球の精度はかなり低い。だがそれは中学時代に良い意味で野球指導を受けなかったことが要因なのだ。つまり、今はまだ精度が低くて良いのだ。これから1~2年かけて、じっくりとプロレベルの野球を覚えていけば良いと思う。1年目から活躍しようなんて焦る必要はない。3年目にローテーションに食い込むくらいの目標で良いと思う。その結果もっと早く活躍できるようになればそれに越したことはないわけだ。

ライオンズのピッチングコーチ、そして監督なら、決して雄星投手を焦られるようなことはしないだろう。ファームには小野コーチ、石井貴コーチという人間味溢れた2人がいるし、1軍にはアマチュア野球マニアの潮崎コーチ、サウスポーの橋本コーチ、そして何よりもライオンズ黄金時代のエース渡辺監督がいる。雄星投手は、安心してライオンズで野球を覚えていけば良いと思う。

多い月には本代に3万円以上かけるという読書家の雄星投手のことだ。覚えていくスピード、理解していくスピードはどの選手よりも早いと思う。だからまずは焦らずに、まずはプロでやっていくための身体作りをしていって欲しい。そうすれば4~5年後には日本を代表するピッチャーに、10年後にはメジャーを代表するピッチャーになれるはずだ。菊池雄星投手には、間違いなくそれだけの資質がある。

そしてその資質を壊さないためにも西武球団は春季キャンプ中、しっかりと外敵から雄星投手をガードしてあげて欲しい。

2009年10月30日 01:34

菊池雄星投手、埼玉西武ライオンズ入りへ!

運命のドラフト会議。今年からは一般のファンが抽選で1000人招待されるようになった。筆者も応募したのだが、16倍という高い倍率に残念ながら漏れてしまった。今日の午後の予定はドラフト会議を観覧するために空けておいたのだが、筆者はテレビで観ることしかできなかった。

注目の菊池雄星投手だが、指名したのは埼玉西武、北海道日本ハム、東北楽天、阪神、東京ヤクルト、中日の6球団だった。パ・セの下位球団からクジを引いて行き、その先頭が埼玉西武の渡辺久信監督だった。渡辺監督は当たりクジを引くために、前日はスカウト陣との食事会で岩手の銘酒『南部美人』を飲み、ドラフト当日は内ポケットに紫色のボールペンを忍ばせていた。岩手は菊池雄星投手の地元であり、紫は花巻東高校のチームカラーだ。

6球団の代表全員がクジを引き終わると、いっせいに開封された。当たりクジなら中に「交渉権確定」の文字が書かれている。誰もが息を飲んだ瞬間、2009年10月29日16時16分の会場内に「よし!」という声が響き渡った。渡辺監督の声だった。当たりクジを見事引き当て、ガッツポーズをする渡辺監督。満面の笑みだった。

直後のインタビューで渡辺監督はテレビを通じ、菊池雄星投手にメッセージを送った。「雄星くん、すごい運命を感じています。心おきなく入団して来てください」と。西武ファンだから言うわけではないが、菊池投手は良いチームの1つに入ったと思う。ライオンズは昔から育成には定評のあるチームだし、監督がピッチャー出身というのも大きい。

しばらくはファームでの育成ということになると思うが、来季のファーム投手コーチは小野和義コーチだ。小野コーチは現役時代に肩を壊し、立花龍司氏の指導によって復活した経緯がある。つまり肩を壊したことで、肩のコンディショニングをしっかり学んだ人物なのだ。その時の経験をコーチとして菊池投手に伝えてあげることができれば、それは菊池投手にとっては大きな財産になるだろう。

また、1軍に上がって来たとしても来季の1軍にはサウスポーである橋本武広投手コーチがいる。同じサウスポーから受けられる指導も、やはり菊池投手にとっては大きなプラスになるはずだ。

さらに言えば1軍にはエース涌井投手を筆頭に、岸投手西口投手石井一久投手と言った球界を代表する先発陣も揃っている。彼らなら菊池投手にとって、素晴らしい見本となってくれるだろう。中でも同じサウスポーの速球派で球種的にも良く似ている石井投手は、かなり参考になると思う。

菊池投手の獲得によって気になるのが、横浜を戦力外になった工藤公康投手の獲得だ。小林球団社長は今現在白紙を強調している。ドラフトの成果次第では工藤投手の獲得を見送る可能性もあるとコメントしていたが、サウスポーの菊池投手を獲得できたからこそ、工藤投手が必要だと筆者は考える。少なくとも菊池投手を、場数の問題以上にリリーフで起用することはないだろう。そうなると左のセットアッパーは必要だし、今日のドラフトでは菊池投手以外にはサウスポーは獲得していない。

その工藤投手だが、噂によれば11月11日のトライアウトは受けないようだ。確かにベテラン投手であるため、11~12月は基本的に身体を休ませる時期にあたる。その時期にムリしてトライアウトを受けても意味はないという考えなのだろう。今季は後半戦もしっかりと登板していたし、検討材料は揃っている。西武球団側も、工藤投手が何連投まで可能かという情報まで得ているようだ。

菊池投手の獲得によってさらに検討が必要になった工藤投手の獲得だが、筆者はかなり高い確率で獲得するのではと考えている。渡辺監督は工藤投手を戦力になると見ているようだし、年俸的にも来季は2000万円前後になると考えられる。そして菊池投手だけではなく、投手陣全体の先生役としても期待できることを考えると、まず獲得して損するような選手でないことは間違いない。

来季菊池雄星投手が加わり、さらに工藤公康投手が加われば、ライオンズの投手層は一気に厚みが増す。ただ筆者が冷静に菊池投手を見た時、プロとしてはまだ通用しないだろうと考えている。松坂大輔投手の西武入団時を10としたら、涌井投手が7、菊池雄星投手が6くらいだろう。ピッチャーとしてはまだまだ未知数の可能性があるが、その分ボール1つ1つの完成度はまだ高くはない。1~2年目はゆっくりとファームでボールの精度を高めたらいいと思う。

さて、ここで気になるのはやはり、工藤投手同様に背番号だ。現在のライオンズにエースナンバーの空きはない。若い番号では12番が空いているが、これはライオンズのエースナンバーとは言えない。となると可能性としては、松永投手の24番を菊池投手に譲るという選択肢が生まれてくる。24番といえば、鉄腕稲尾が背負った由緒あるナンバーだ。プロの世界は厳しい。いくら大きな期待をされて入り、エースナンバーをもらったとしても、その番号に相応しい活躍ができなければ番号は剥奪されてしまう。それは普通のことであり、当たり前のことなのだ。

メジャー挑戦という大きな夢を持つ菊池雄星投手だが、まずは日本のプロ野球でしっかりとファンを納得させられる活躍ができるピッチャーになってもらいたい。そして誰にも文句を言われずにメジャー挑戦をする、そんなピッチャーに育っていって欲しい。

西武1位指名候補の菊池雄星投手は、プロで通用するか?

2009年10月29日 20:40

西口文也投手が今年調子を落とした要因

西口文也投手がFA権を行使せずに2010年度もライオンズでプレーすることが正式に決まったようだ。しかも「生涯ライオンズ」宣言まで聞くことができた。年俸などの詳細はまだ未確認だが、今季の2億円からは大幅にダウンしたらしい。そして来季は、先発というポジションにこだわることを西口投手は明言した。だがファンにとってもそれは同じで、西口投手にはいつまでも先発マウンドに立ち、200勝を達成してもらいたい。

今シーズン西口投手の調子が上がらなかった最大の要因は、身体の使い方にあった。恐らく怪我を恐れてのことだったと思うのだが、調子が良い時と比べると体重移動に勢いがなく、それ故に身体がスピンし切れていなかった。西口投手が言っていたわけではないのだが、筆者が見る限りでは内転筋を気にしているように感じた。年齢から来る筋力の衰えが気になるのだろう。

渡辺監督は言う。「野球経験者でも西口とキャッチボールするのは恐い」と。調子が良い時の西口投手のボールは、恐らく二流捕手では捕り切れないだろう。それくらいボールがビュンと来る。これはあの細身の身体だからこそ生まれるボディーターン(スピン)が要因になっている。岸投手にも同じことが言えるのだが、細身の投手は慣性モーメントに優れるため、身体がきれいにスピンしてくれる。

例えば竹とんぼを思い浮かべて欲しい。竹とんぼを飛ばすための棒軸は、あれだけ細いからこそ慣性モーメントが良くなり、竹とんぼを飛ばすだけの回転を得られる。だがもしこの棒軸が太かったらどうだろうか?ほとんど回転することがなくなるため、竹とんぼは飛んでいかないだろう。そしてこれは、そのままピッチングに言い換えることができるのだ。

レッドソックスの松坂大輔投手は、西武に入団した時よりも遥かに体格が良くなった。ボールを投げる腕の筋肉は盛り上がり、胸板も入団時とは比べられないほど厚くなった。これによりパワーのあるボールは投げられるようになったが、スピードボールは投げられなくなってしまった(ここで言うスピードボールは、初速だけ速いボールのことではなく、初速と終速の差がほとんどないストレートのこと)。

つまり松坂投手は、竹とんぼでいうところの棒軸が太くなってしまったため、身体にスピンを起こしにくくなってしまったわけだ。プロ初登板時、東京ドームで日本ハムの片岡選手を三振に取った156kmのストレートと同じボールを投げることは、今の松坂投手にはできないだろう。

さて、話を西口投手に戻すが、なぜ西口投手のスピンは弱くなってしまったのか?その原因は前足(右投げの場合は左足)にある。西口投手はステップする前足を、若干三塁方向にクロスさせて踏み出していた。このクロスがあるからこそ、スピンを鋭くできるのだ。だがこのクロスステップは、内転筋を痛めやすいという欠点がある。現に西口投手だけではなく、クロスステップするプロ投手の多くが内転筋を痛めてきた。今年の西口投手は年齢的にそれを気にするあまり、クロスステップが甘くなっていたのだ。

だがシーズン終盤になるとこのクロスが少しずつ戻ってきて、ボールに勢いが生まれるようになった。バッターからすると、クロスしていない時に投げていた146kmのストレートよりも、シーズン終盤で投げていた139kmの西口投手のストレートの方が速く感じられたはずだ。なぜならそっちの方が、初速と終速の差が少ないからだ。

今オフの西口投手は、とにかく走り込みメニューを増やすはずだ。当然それは内転筋を痛めないためでもあり、鋭さが戻ったボディーターンに下半身がしっかり付いて来れるようにするためでもある。だが気をつけなくてはならないのは、ただ走るだけではダメということだ。

ただ闇雲に走ってしまっても仕方がない。なぜなら何も考えずに走った時の動きは、ほとんどが直線運動になってしまう。足の関節も筋肉も、基本的には前後の直線運動しか起こさない。だがここで考えてみよう、ピッチング時の足の動きを。決して直線運動ではないはずだ。もちろん足だけの問題ではないが、ねじったりひねったりしているはずだ。つまり内転筋を痛めないようにするためには、ねじり・ひねりの動作に対応できる筋肉が必要とされる。

ライオンズのトレーニングコーチが、この点についてしっかり西口投手にコーチングすることができれば、来季の西口投手に故障の心配はなく、大きな期待を持つことが出来るだろう。そして普通に実力を発揮することさえできれば、二桁とは言わず、12~13勝は挙げられるはずだ。

とにかく今シーズンは、西口投手で貯金を作れなかったことがチームとして痛かった。来季西口投手が復活してくれれば、今年のような結果にはならないだろう。最低でも優勝争いには絡めるはずだ。そしてそのためにも、西口投手にはまだまだ投げ続けてもらわなければならない。来季は再び年俸2億円ピッチャーに返り咲く活躍を期待したいと思う。

2009年10月28日 19:29

もしもあの鳥になれたなら第1章 -8-

あかりは映画を観た後の電話で翌日、駅前のベーカリーカフェで森杉とランチをとる約束をしていた。それは胸の中で膨らみ過ぎてしまった、毎週金曜日にやってくる彼のことを相談するためで、午前中の講義を終えると、約束の三十分前にはカフェに到着していた。あかりはこの店のブレンドコーヒーとブルーベリーデニッシュが大のお気に入りだった。講義で出された課題を、何時間もこのカフェに篭って済ませることもしばしばあった。この店を経営している老夫婦は、まるでしばらく会っていなかった孫が夏休みに田舎に訪ねてきた時の、祖父母のように温かい笑顔で客を迎えてくれるとても温かな夫婦で、それはそのまま店の雰囲気にもなっていた。あかりがそんな中、オズボーンに注がれた熱いコーヒーをすすっていると、十五分遅れで森杉がやってきた。
「ごめんごめん、遅れちゃったね」
森杉は文字通り店に駆け込んできた。
「いえ、急に呼び出しちゃったのは私ですから」
あかりが謝ると、森杉は「気にするな」と言うように顔の前で二、三度手を振って見せ、この店自慢のランチセットを注文した。
「その顔見ると、相当参ってるみたいだな」
森杉はその場の空気をきちんと読める男で、決して拍子外れなことは言わない。
あかりは森杉にそう言われて力なく頷くと、珍しくため息を漏らした。
「彼がお店に来る度にどんどん好きになっていっちゃうんです。彼が来てくれると、私すごく元気になれるんだけど、それ以外の時間がすごく苦しくて」
あかりはテーブルの上でカップを握っている両手を眺めるようにして俯いた。
「落ち込むことなんてないって。恋なんてどれを取ったってそんなもんなんだから。例えばもし百瀬ちゃんがヨーグルトレモンの彼じゃなくて、俺を好きになっていたって同じだぜ。例えはちょっと悪いけどさ、とにかく恋ってやつはそういうもんなんだよ。けどその辛さを乗り越えられた時には、苦しい恋は安らかな愛に変身してるんだ」
あかりは今まで恋の辛さばかり気にしてしまい、その先のことはほとんど考えたことがなかった。
「愛、ですか?」
あかりは徐に顔を上げてみせる。
「そう、愛だよ、愛」
丁度その時ランチセットが運ばれてきた。森杉はコーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れると、カチャカチャと湿った風鈴のような音を立てながら、勢い良く掻き混ぜた。そして匂いを嗅ぐと「う~ん」と幸せそうに一つ唸った。
「百瀬ちゃんさ、本当に彼のこと好きなんだろ?」
 森杉は溶け切らずに沈んでしまっていた砂糖をスプーンですくって口に運んだ。
「・・・・・・多分」
あかりの答えは力なかった。すると森杉はキッパリと言い切った。
「それじゃダメだ。多分なんかじゃね。多分ってのは一番良くない。彼にも失礼だし、何よりも百瀬ちゃん自身がその多分ってやつに壊されちまう。だから多分のままなら、彼のことはスッパリと忘れた方がいい。いいかい?イタリアに行ってバリスタになるという夢は、今の百瀬ちゃんにとっては唯一の夢だ。だけど彼への想いが多分なら、彼はまだ唯一の存在じゃない。ひょっとしたら俺か、小沼店長だっていいかもしれないってことだよ。多分ってそういうことだぜ」
森杉の言葉には精一杯の力が込められていたが、その反面声には道端の仔犬の頭を撫でてやるような優しい響きが感じられた。
「・・・・・・わたしのお姉ちゃんがよく言ってました。もしわたしが誰かを好きになったら、好きっていうその気持ちを絶対に疑っちゃダメだって。わたし、まだ疑ってますよね」
 あかりは自嘲するような笑みを浮かべた。
「わたしのお姉ちゃんって、結婚してすぐに旦那さんを交通事故で亡くしちゃったんです。そのせいなのか、私の顔を見るたびに、最後は幸せでいられる恋を見付けなさいって言うんですよ。それって、恋って最初はどれも胸が苦しくなるってことなんでしょうか?」
森杉は焼き立てのブレッドを頬張りながらも、あかりの言葉を一言一句聞き逃すまいと耳を澄ませていた。
「・・・・・・わたし、やっぱり彼のことが好きです。でも、だからこそこの気持ちを胸に秘めておかなきゃって思うんです。私はあと半年もしたらイタリアに留学しちゃうんだし、そしたら週に一度の金曜日どころか、もう一生会えなくなっちゃうかもしれません。だから今度の恋は、胸の引き出しにそっとしまっておこうと思います。森杉さんの言う通り、私にはバリスタになる夢がありますから」
森杉はランチをすっかり平らげていた。
「俺はさ、実際のところどっちでもいいって思うんだ。恋と夢、どっちを選んでもね。どっちとも大切なものだと思うしさ。だけど後悔だけはして欲しくないんだ。もし今バリスタになる夢じゃなくて恋を選んでしまって、仮に将来その恋を失ってしまったら、夢を諦めたことを恋のせいにしてしまうだろ?だけど夢を選んで恋を諦めて、仮にバリスタになれなかったとしても、それを恋のせいにはしない。そうやって考えると、どっちも大切とは言え、今は夢を選んどいた方がいいって、俺としてはそう思うんだ」
森杉の語り口調は真剣そのものだった。
「私もそう思います。後悔だけは絶対にしたくありません」
あかりは空になったオズボーンの底を覗き込みながら言った。
「でもさ、好きだっていう気持ちを押し殺しちまうことはないと思うぜ。好きなら好きのまま、そのままでいいと思う。今まで通りの気持ちで彼にヨーグルトレモンを持っていってやんなよ」
あかりはつくづく森杉に相談してみて良かったと思った。
「ありがとうございます。森杉さんのお陰でなんだかすごく楽になれました」
あかりの笑顔にはいつもの明るさが戻っていた。
「意外と立ち直り早いね」
森杉はからかうようにして笑った。
あかりはそれに微笑みを返した。
「ここ、私がおごりますね」
あかりはこの恋を素敵な片想いとして、イタリアに渡る前の最後の思い出にしようと決心した。あと半年で、あと何回ヨーグルトレモンを運んで上げられるかは分からなかったが、後悔はしないように週に一度、彼にヨーグルトレモンを運んであげようと思った。そしてどんなに店が忙しかったとしても、彼にだけはフレックスストローをちゃんと手渡ししようと心に決めたのだった。

もしもあの鳥になれたなら

2009年10月28日 02:59

もしもあの鳥になれたなら第1章 -7-

夢を見ることはとても心地良い、だけどたどり着くまでは果てしなく遠い。反対に恋はすぐ近くにあるのに、心が苦しいのはなぜだろう―。

遠くの夢と近くの恋。そのふたつを同時に手にすることはできないのだろうか?恋か夢か、どうしても選ばなければならないのだろうか?あかりの心は揺れに揺れていた。バリスタになることは高校時代に初めてカフェでアルバイトを始めた頃から夢に見ていたことで、あかりは精一杯頑張れば、いつかきっとその夢は叶えられる気がしていた。長年培ってきたカフェでの経験と、店長の小沼に教わってきたコーヒーの知識と、大学四年間で学んできたイタリア語も、決して無駄にはならない。イタリア留学をすればそれなりの苦労はあるだろうけど、それでもなんとかやっていく自信はあった。
しかし逆に、今胸に抱いている恋を成就させる自信はまったくなかった。何せあかりは彼の名前すら知らない。名前だけではない。彼の歳も、仕事も、恋人がいるのかどうかも知らない。唯一知っていることと言えば、毎週金曜日にやってきてヨーグルトレモンとツナサンドを注文するということくらいだった。
あかりは今まで生きてきて、ここまで胸が苦しくなる恋をしたのは初めてだった。あかりは今までに何人かと恋人関係を築いたことがあったが、いつも先に相手に告白されてから、それから好きになっていくというパターンばかりだった。それは小学生時代の初恋から変わっていない。同じクラスのある男子から想いを寄せられているということを、あかりは当時仲が良かった女子の一人から聞かされた。するとあかりはどんどんその男子のことを意識するようになっていき、次第にその意識は初恋への変貌を成し遂げていった。十歳の時だった。しかし小学生の初恋など上手くいく方が珍しく、あかりの初恋も進級した時のクラス替えと同時に、今度は思い出へと変貌してしまった。
あかりは冷めたコーヒーカップを両手で握り締めたまま、淡いピンクのシーツで整えられたベッドを背凭れにしてチョコンと座っていた。そしてふとテレビの画面に目をやると、映画はいつの間にかエンドロールまで進んでいて、クライマックスから流れているバラードがあかりを更に切なくさせた。映画の中で心優しき殺し屋を愛した十二歳の少女さながら、少し虚ろな目のままコーヒーカップをテーブルに乗せ、携帯電話に手を伸ばした。

               *

吉井貴はいつものように愛車である漆黒のメルセデスを走らせていた。そしてまたいつものように、運転中は美空ひばりのCDを大音量で鳴らしている。吉井は運転中、CDの美空ひばりとデュエットをするのが好きで、この日も小林旭よろしく渋い声を唸らせていた。
真夜中の新青梅街道、五十キロの距離は優にあるこの直線道路で、美空ひばりのCDを鳴らしながらメルセデスを運転するドライバーは、この吉井以外には決していなかっただろう。
午前一時、吉井は球場に併設されている室内練習場の脇にメルセデスを横付けした。そして黒革のグラブを片手に練習場の扉を開けた。
「高樹さん、いつもすんません」
高樹は若手選手たちが入っている寮の寮長で、室内練習場の管理も任せられている球団職員だった。吉井はたまに眠れない夜があると、高樹に頼んで真夜中のキャッチボールに付き合ってもらっていた。
「気にしなさんな。選手の手伝いをするのが私の仕事だからね」
高樹はいかにも人の良さそうな人相で、誰からも慕われる、選手全員の親父的存在だった。そして高樹もまた、選手たちを我が子のように思っていた。
「俺が毎年成績を残せるのは高樹さんのお陰ですよ。こんな夜中にキャッチボールに付き合ってくれる人なんて高樹さんしかいないっすからね」
吉井は入念に肩のストレッチをしている。
「私は、チームのエースとこうしてキャッチボールができるだけでも光栄だよ」
高樹の優しい眼差しは、まさに父親そのものだった。

吉井には時々眠れない夜があった。ベッドにもぐり込んでもまったく眠気が起きず、眠ったと思ったらまたすぐに目を覚ましてしまう夜が。吉井は今や押しも押されぬエースピッチャーで、チームの期待をほぼ一身に背負っている。吉井が登板する日は、チームは負けることが許されず、吉井はエースに君臨し続けて以来常にそのプレッシャーと戦ってきた。そしていつもギリギリのところでそのプレッシャーに打ち勝ち、その結果が五年連続二桁勝利という実績に繋がっている。吉井はその五年の内、三回最多勝利投手賞を獲得していて、今や日本球界を代表するピッチャーとなっていた。しかし吉井のそんな奮闘がありながらも、レグルスは二年連続で優勝を逃してしまった。吉井はその責任をも一身に背負った。ある試合で二失点で完投したのだが、味方が一点しか取れずに負けてしまったことがあった。そんな時でも吉井は決してチームメイトを責めない。味方が一点取ってくれたにも関わらず、二点を相手チームに献上してしまった自分自身を責めた。
野手がエラーをしてピンチを招いた時は、吉井は絶対に後続のバッターにヒットを許さない。エラーした野手の気持ちを救うためにも。吉井にとって負け試合はすべて自分の責任であり、勝ち試合はすべて野手が打ってくれたお陰だと考えていた。吉井貴とはそんな男気溢れるピッチャーなのだ。
「来週の紅白戦で平尾と投げ合うんだって?お前さんにしたら、公式戦以上に燃える試合になるんじゃないかい?」
 高樹はストレッチする吉井の背中を押してやった。
「どうっすかね。けど平尾のマウンド捌(さば)きを生で見るのは初めてだから、それは楽しみかな。今までブルペンでしかあいつの投球を見たことがなかったですからね」
 吉井はストレッチを終えて立ち上がると、右腕をプロペラのような勢いでグルングルンと振り回し始めた。
「平尾が一軍で一皮剥けてくれればチームは必ず優勝できる、お前さんそう思ってるんだろ?私も同感だよ。もし平尾が一皮剥けて来年仮に二桁勝てれば、間違いなくチームは独走できるだろうな」
「あいつがもし十勝できたら、俺は二十勝してやりますよ」
吉井は不敵な笑みを浮かべてそう返すと、軽くボールを投げ始めた。
「本当にそうなったら、きっと私が監督でも優勝できるだろうな」
高樹も肩を馴らすように山なりのボールを返した。二人は小学生並みのキャッチボールをしばらく続けて肩を充分に温めると、徐々に球速を上げていった。室内練習場にはズドン、ズドン、というボールがグラブを貫こうとする乾いた音だけが響き渡る。それはまるで銃声のような凄まじい音だった。

もしもあの鳥になれたなら

2009年10月28日 02:58

もしもあの鳥になれたなら第1章 -6-

極的になっている。恒は恋をすると彼女を好きだという気持ちよりも、彼女に嫌われたくないという気持ちの方がどうしても勝ってしまうのだった。だから毎週金曜日の夜、カフェに通ってあかりに接客をされていても、嫌われたくないという気持ちが恒の心身を固くさせていた。なんとも思っていないような相手であれば、きっと気兼ねなく食事に誘えるだろうし、映画にだって誘うこともできただろう。しかしあかりを誘うことはまだできずにいる。もちろん吉井に言われた手土産のこともあったが、それ以上に、もし食事や映画に誘って、あかりに嫌われてしまったらどうしようという気持ちが勝ってしまうのだ。恒はそんな自分が情けなくて仕方なかった。だからそんな弱気を打破するためにも、どうしても初勝利という名の自信への糧が必要だった。そのために恒は秋季キャンプで人一倍練習を積んだ。お陰で身体はいつでも筋肉痛だったが、その代わりに毎日着実に技術を向上させていった。過去四年間ほとんど落ちることがなかったフォークボールも、四浪している浪人生の大学受験並によく落ちるようになっていた。

「平尾君、頑張って!」
恒が練習用のサブグラウンドを黙々と走っていると、グラウンドを取り囲む緑色の金網フェンスの外から女性の声が聞こえて来た。その声はとても耳馴染みのある声で、恒は即座に声の主の姿を見つけた。
「永美さん、今日は練習休みですよ」
走るペースを落としながら、恒は声の主へと近付いて行った。
「知ってるわ。だけど平尾君はきっといると思ったから来てみたの」
 宮地永美は、恒が埼玉レグルスに入団した一九九七年からずっと、恒のことを応援し続けていた。永美は切れ長で少し憂い気な瞳にフレームレスの眼鏡をかけていて、桜の木の幹に似た色のしっとりとした長い髪は、漣のように緩やかなソバージュがかけられていた。所沢ドームで試合がある時は必ずライトスタンドで、恒の背番号と同じ五八をつけたレプリカユニフォームを着て応援をしてくれる。
永美は球場の目と鼻の先にある、つまり恒が暮らすチームの若手寮の真向かいにある、七階建てマンションの六階に住んでいた。恒が入団した翌年に球場がドーム化されるまでは、いつもベランダからオペラグラス越しに試合を観戦していた。しかしドーム化された今ではそれもできなくなり、永美は地の利を活かして毎試合球場に訪れるようになっていた。
恒が入団した当初は永美も一介のファンに過ぎなかったのだが、恒が投げる二軍の試合や、たまに一軍昇格して投げる時には必ず応援に来てくれ、試合のない練習日にもサブグラウンドにやって来て恒のことを熱心に応援し続けているうち、恒の方がいつしか心を許すようになっていた。永美は所謂熱狂的な追っかけファンとは違い、選手を前にしても黄色い声を上げることはない。いつでも温かい眼差しで選手を見守っているだけだった。だが恒のことだけは熱心に応援してくれる。高校卒業後すぐに北海道から単身上京して独身寮で暮らす恒にとって、いつしか宮地永美は姉同然の存在になっていた。

「新しいやつですか?」
恒はちらりと見えた永美の後ろ髪を指差した。
「え?」
永美には何のことなのか分からなかった。
「その、何て言うんでしたっけ?髪の毛を束ねてるのって、」
 永美はやっと恒の言葉の意味が飲み込めた。
「あぁ、バレッタね。そうなの、先週買ったばかり。だけどよく気が付いたわね」
 永美はバレッタを髪から外すと、頭を一、二度左右に振り、しなやかな長い髪を少し遊ばせた。そして星型の穴が三つ刳(く)り貫かれているパステルブルーのバレッタを、嬉しそうに恒に見せた。
「だっていつも違うのを付けてるから、段々会うたびに注意して見るようになっちゃって。今日はどんなのを付けてるんだろうって」
「嬉しい。私は平尾君のファンだけど、平尾君は私のファンってわけね」
 永美は悪戯っぽく人懐こい笑顔でそう言うと、バレッタを付け直した。
「今日は啓太は?」
永美には啓太(けいた)という今度の大晦日にやっと三歳になる息子がいて、球場にはいつも啓太と一緒に来ていた。啓太はミニサイズの五八番のレプリカユニフォームをいつも、まるで少女のワンピースのようにぶかぶかにかぶせられていた。そんな啓太と恒も、今では歳の離れた本当の兄弟のように仲良くなっていた。
「これから保育園に迎えに行くところなの。啓太ったら、毎日毎日いつになったらまた野球やるの?って聞いてくるのよ。もうじき三歳になるんだけど、春になったらって言う意味がまだ分からないみたい」
永美には最愛の夫がいたが、啓太が生まれたその日、車で仕事場から病院にやってくる途中、カーブを曲がり切れずに反対車線からはみ出して来たトラックと正面衝突してしまい、啓太が生まれたまさにその瞬間、二十三歳という若さでこの世を去っていた。そのため今は、永美が出版社の契約社員としてテープ起しの仕事をしながら、女手一つで啓太を育てていた。
「良かったら今度の日曜日球場に来てください。秋季キャンプ最後の日に紅白戦をやるんですけど、僕と貴さんが先発するんです。永美さんと啓太が応援に来てくれたら励みにもなりますから」
恒は大粒の汗に吹きかかる秋風に、少し肌寒さを覚えていた。
「絶対行くわ。平尾君と吉井さんが投げ合うところなんて一生に何度見られるか分からないしね。楽しみにしてる」
そう言うと、永美は啓太を迎えに行く時間だと言って、恒に「頑張ってね」と一言告げると、息子がいるとは思えないほど華奢な後姿を弾ませながら、高台の上にあるサブグラウンドから駐車場へと繋がる階段をトコトコと降りて行った。その後姿が見えなくなる寸前、太陽がバレッタを照らし、その反射が恒に瞼を覆わせた。

               *

この日は火曜日であかりはカフェでのバイトが休みだったため、大学の講義が終わるとレンタルショップでビデオを借りてから部屋に戻り、挽きたてのコロンビア豆で淹れたコーヒーを飲みながらそれを観ていた。借りて来たのは、十二歳の少女に愛されてしまう殺し屋の話だった。あかりはこの映画が大好きで、数ヵ月に一度は必ず借りて観ていた。次に来るシーンや台詞、音楽などほとんどを丸暗記していた。
しかしこの日はまったく映画に集中できなかった。それは毎週金曜日に店を訪れて、ヨーグルトレモンを注文する彼のことばかりを考えてしまうからだ。あかりは彼のことを想うたびに、その想いがどんどん膨らんで行くことに気付いていた。それでもあかりにはその膨らみ続ける想いを自分ではどうすることもできない。今は胸の中に蓄積されて行くに任せるしかなかった。

もしもあの鳥になれたなら

2009年10月28日 02:56

もしもあの鳥になれたなら第1章 -5-

最近では従業員の更衣室としての役割しか果たしていなかった。 あかりが賄(まかな)いのツナサンドとカプチーノを手にして休憩室に入ると、あかりよりも一つ年上の森杉が煙草の煙を燻(くゆ)らせていた。森杉は元高校球児で、甲子園出場の経験を持っている。いつもは中型のクラシックバイクで店まで通勤しているのだが、この日は秋雨が冷たかったため、車で来ていた。 普段の言動はいつでも大胆不敵な森杉だったが、実はその反面とても繊細な心の持ち主だということを、あかりはすでに気が付いていた。 「お疲れさまです。今日は車ですか?」 あかりは固いパイプ椅子に腰を下ろしながら言った。 「雨だからね。それより百瀬ちゃん、」 森杉は苗字をちゃん付けして呼ぶのが癖だった。 「小沼店長に聞いたんだけど、店辞めちゃうんだって?」 森杉の煙草の灰は限界に差し掛かっていて、今にも落っこちて、バイクに乗る時にも最適なカーキのジャンパーに焦げ目を付けてしまいそうだった。 「はい。けど大学を卒業する来年の三月までは、まだまだ頑張りますよ」 あかりは今大学四年生で、半年後の卒業はほぼ確実な状況だった。 「寂しくなるなぁ。百瀬ちゃんはこの店のマドンナだから、辞めたら絶対売上に響くだろうな」 森杉はいつでも調子の良い口振りをしていたが、しかしそれはいつでも本心だった。 「そんなことありませんよ。わたしがいなくなっても森杉さんがいるじゃないですか」 あかりはカプチーノを掻き混ぜながら言った。 「バカ言っちゃいけないよ、誰が野郎目当てでこんな店に来るってんだよ。百瀬ちゃんが辞めたらこの店は二年と持たないぜ、きっと」 現にこのカフェはあかりが辞めた二年後に閉店してしまうのだが、この時のあかりと森杉にはそんな事実を知る由もなかった。 「それで、辞めてどうするの?就職?」 「いいえ、イタリアに留学するんです。わたし、誰よりも美味しいカプチーノを淹れられるバリスタになりたいんです。だから本場のイタリアに行ってみっちりと修行をして来るつもりです」 あかりのスケールの大きな将来に、森杉は少し呆気に取られていた。 「大学でもイタリア語を専攻していたんで、これでもけっこう喋れるんですよ」 あかりは小さな口でツナサンドを一口かじる。 「高校時代ここでバイトし始めた時、小沼店長にバリスタの話を聞いたんです。それ以来ずっと最高のバリスタになりたいって思ってたんです」 あかりの瞳は笑顔のせいでとても細くなっていたが、それでも街頭に照らされる秋雨の粒とは比べられないほどに輝いていた。森杉もその輝きを横目に見ると、つい自分まで笑顔になってしまう。あかりの笑顔はそんな不思議な力を持っていた。あかりの笑顔には周囲にも笑顔を伝染させる不思議な力があった。 「そっか、百瀬ちゃんにもデカイ夢があるってわけだ。けどさ、ヨーグルトレモンの彼はどうすんのよ?百瀬ちゃん、彼のこと好きなんだろ?見てれば分かるよ。俺だってそこまで青かないからね」 あかりの唯一の心残り、それがヨーグルトレモンの彼だった。イタリアに行けば自分の夢を叶えられるかもしれない。しかしそれは同時に、せっかく芽生えた恋を枯らしてしまうことを意味していた。あかりは今年の夏からよく店を訪れるようになったヨーグルトレモンの彼が気になり出し、いつしか確かなる想いを馳せるようになっていた。彼を前にすると、どうしても多過ぎるほどの笑顔を隠し切ることができない。 「後悔はしない方がいいよ。恋なんてどこにでも転がってるもんじゃないしさ。もし本当に彼のことが好きなら、イタリアに行く前にハッキリさせとかないと。想いを伝えるのか、それとも秘めたまま彼のことはスッパリ忘れるのか」 森杉はあかりの背中をポンポンと叩くと、咥え煙草のまま、家路につくために休憩室から店内に出て行こうとした。 「森杉さん、煙草、」 あかりは小声で森杉の煙草を指差した。 「おっと、危うい危うい。また店長に叱られるとこだったよ。先週もやっちゃってさ。助かったよ、サンキュ。それじゃお疲れね。恋愛相談ならいつでも受け付けてるから、いつでも言ってよ。自分の恋愛が不調な分、人のことに関しちゃかなりのもんなんだぜ」 あかりは薄れかかった笑顔で頷くと、イタリア人よろしくウィンクをしながら出て行く森杉の背中を見送った。あかりは確かに悩んでいた。ヨーグルトレモンの彼、彼の名前すら知らないが、それでも彼が店にやってくると、それだけでなんだかとても幸せな気分になれた。しかし自分は半年後には店を辞めてイタリアに旅立ってしまう身。神様はなぜこんなタイミングで恋を芽生えさせたのだろう、あかりは彼のことを考えるたびにそう思ってしまった。 こんなタイミングでこれ以上想いを募らせることはとても辛かった。毎週金曜日の夜に店に来てくれる彼、笑顔を向けると必ず笑顔を返してくれる彼、コーヒーが苦手で寒い日でもいつもヨーグルトレモンを注文する彼、いつも野球雑誌を開いている彼。あかりはそんな彼のことが本当に好きだった。彼の気持ちがハッキリと分かってしまえば少しは楽だったかも知れないが、しかし彼はあかりにそのような態度は一向に見せてはくれない。確かに店員と客という立場においては顔馴染以上にはなれたが、しかしそれ以外では、彼は他の客と何ら相違なかった。週に一度店に来て、ヨーグルトレモンを飲み終わったら会計してそのまま帰ってしまう。食事や映画に誘ってくれることもなければ、自己紹介がてらに名刺をくれることもなかった。 秋という季節に便乗してか、あかりは少しばかり切ない気分になった。あかりの過去の恋たちがみなそうだったように、今度の恋も片想いで終わってしまうのだろうかと、味わい慣れた切なさに浸っている。だが今度の恋は今までのそれとは少し違い、切ないだけではない。少なくとも毎週金曜の夜に彼が店に来てくれることが、あかりを幸せな気分にさせてくれた。今度彼が店に来てくれた時は勇気を振り絞って、せめて名前だけでも聞いてみよう、あかりはそう心に小さな決意を固めるのだった。 あれこれと考えていると、カプチーノとツナサンドはすっかり冷たくなってしまい、休憩時間も残り五分になっていた。                * 秋季キャンプ真っ只中のこの日、一週間振りに練習が休みになった。しかし恒だけはグラウンドに姿を現し、一人黙々と走り続けていた。来年は吉井と開幕投手の座を争い、先発投手の一角として監督やコーチからも期待されている。恒はその期待に応えたかった。そして何よりもまずは、吉井に言われたあかりへの手土産ともなる初勝利がどうしても欲しかった。そのウィニングボールさえあれば、それが自信となって臆することなくあかりをデートに誘うこともできるかもしれない、そう考えていた。 恒は恋愛に関してはいつでも消極的だった。特に今回の恋はいつもにも増して消 もしもあの鳥になれたなら

2009年10月28日 02:56

もしもあの鳥になれたなら第1章 -4-

るということは、口で言えるほど簡単なことじゃねえんだ。だからもしずっとエースでいられるんだったら、俺は十キロだろうが二十キロだろうが喜んで走ってやるさ」
重みのあるその言葉を聞き、恒は吉井と競えると思い喜んだ自分を、とてもおこがましく感じた。そして監督やコーチから期待されている限り、自分も吉井以上に努力をしなくてはいけないという決心が、また新たに湧き起こった。
「だけど優勝できなきゃそれも意味ないけどな。それより、」
吉井はテーブル越しに身を乗り出してきた。
「お前、あの子に惚れたろ?」
突拍子もないその言葉に、恒はまさに狼狽してしまった。
「あの子な、毎週火曜日は休みなんだよ。だから店に来るんなら火曜日以外に来なくちゃな」
吉井の喋り方はまるで、マウンド上でグラブを口元に宛て、敵に何を喋っているか読まれないようにヒソヒソ話をするバッテリーのようだった。
「な、何言ってるんですか。僕はそんなんじゃありません」
恒はしどろもどろになって否定してはみたものの、それはまったく説得力のない反論だった。吉井にはすべてお見通しなのだ。元々吉井は、恒にあかりを紹介しようと密かに企て、店に連れて来たのだった。もちろん吉井がその企てを恒に話すことはなかったが、初めて店に連れて来た時から、すでにその必要はなくなっていた。吉井は、恒があかりに一目惚れしたことを確信していた。
「いいか、よく聞け。男が女に惚れる時は手ぶらなんて以ての外だ。もし彼女を落としたいんだったら、それなりの手土産ってもんがあるだろ」
「手土産、ですか?」
「そうだ。お前にはまず初勝利っていう手土産が必要だ。男だったら負けっぱなしの状態で女に声なんてかけるな。もしお前にプライドがあったならの話だがな」
吉井は説得力のある分厚い声でそう言うと、恒の肩をポンポンと力強く叩き、何事もなかったかのように店を出て行った。その吉井と入れ替わるかのように、ヨーグルトレモンとツナサンドが運ばれて来た。
吉井は、恒はハッキリとした目的を持っていないから勝利への執着が薄いのだと考えていた。だから対照が何であれ、恒が勝利への執着心を持ってくれることを、吉井は切に願っていたのだ。そうすれば恒に足りなかったものが補われ、一皮剥けてくれるはずだった。勝利への執着心、それは選手にとって何よりも大切なもの。負けて悔しがらない選手は決して大成しない。そしてそんな選手に勝利の女神が微笑んでくれることも決してないということを、吉井はよく知っていた。

吉井の言う通り、恒はあかりに仄(ほの)かな想いを寄せていた。自分ではそれほどの意識はなかったが、吉井に図星を突かれ、それをハッキリと意識するようになった。恒はそれ以来、毎週火曜日ではなく、金曜日の夜にそのカフェに通いつめた。そしていつも決まってヨーグルトレモンとツナサンドを注文した。たまにはちょっと見栄を張って炭火珈琲でもと思うこともあったが、恒はコーヒーが苦手だった。あのそこはかとない苦さに耐えられず、砂糖とミルクをたっぷりと溶かしてやっと飲めるというほどだ。普通のコーヒーでもそんな風なのだから、このカフェオリジナルの深入り炭火珈琲など、恒にとってはまさに以ての外だった。このコーヒーの豆はフルローストされていて、カフェインフリーではあったが限りなくフレンチコーヒーに近く、果てしなく苦い。余程のコーヒー通でなければブラックではとても飲めない代物だった。しかし身体にはとてもよく、新陳代謝を促進してくれるし、二日酔いにも良く効く。炭火珈琲は、このカフェ自慢の一品だった。
もしナポレオン・ボナパルトを失脚させようとしたタレーラン・ペリゴールがこのコーヒーを飲んだなら、きっとあの名台詞をもう一度言い直したに違いなかった。
「コーヒー、それは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のようにピュアで、恋のように甘い」
しかし恒はそんな台詞など知る由もなく、店員たちからは影で、「ヨーグルトレモンの人」と呼ばれていた。
ある日、あかりが恒に訊いたことがあった。
「コーヒーはお好きじゃないんですか?」
恒にとっては一番訊かれたくないことだった。
「あ、いや、コーヒーも好きなんだけど、こっちの方が好きなんだ」
恒はあかりの視線から逃れるように、慌ててヨーグルトレモンのストローに口をつけた。するとあかりは柔らかな微笑みを浮かべながら、囁くような声で言った。
「コーヒー苦手なんですね。もしよかったら今度、あめりかん珈琲っていうあまり苦くないコーヒーもありますから、いつか飲んでみて下さい」
あかりの笑顔はいつでも柔らかくて温かい。まるで柔軟剤をたっぷり使って洗い晒した真っ白いTシャツのように柔らかく、温かく、そして爽やかで、肌触りの心地よい笑顔だった。恒はこの笑顔を目の当たりにするたびに、どんどんあかりへの想いを膨らませていった。あかりのことを考えると、時には眠れない夜が訪れるほどに。恒は今までにも恋をしたことはあったが、しかし今あかりを想っているような、心を篩(ふるい)に掛けられているように胸の高鳴る恋は初めてだった。過去に付き合ってきた女性たちに対しては、守ってあげなくちゃいけないという、半ば義務感に縛り付けられたような意思しかなかったのだが、あかりに対しては違った。守ってあげたいという、義務感から解き放たれた能動的な意思が湧き起こっていた。
しかしそんな想いも儚く、恒はあかりのことを知らな過ぎた。百瀬あかりという名前は胸のネームプレートで知ることができたが、それ以外に知っていることはひとつもない。年齢も、趣味も、私服姿も。あとは吉井に教えられて、毎週火曜日が休みだということを辛うじて知っているに過ぎなかった。そして恒は自己紹介すらもしていない。つまり自分はあかりの名前を知っていたが、あかりの方は恒の名前を知らないし、プロ野球選手であることももちろん知らなかった。
恒はあかりのことを考えている時、あかりの顔を上手く思い描くことができない。それは毎週金曜日にカフェを訪れても、何故か意味もなく照れてしまい、あかりの顔をまともに見られないからだった。想いが募れば募るほど、知らず知らずのうちにその照れはエスカレートし、言葉にさえ詰まってしまう始末だった。恒は本気であかりに恋をしていた。いや、恋をしているという表現では足りないかもしれない。実際には恋に落ちたという表現が最適だろう。恒は二十二歳にして初めて恋に落ちたのだった。

               *

そのカフェの休憩室はとても狭い。キッチンの奥にある洗い場の更に奥にあって、扉のない入り口を潜ると、四畳ほどのスペースにストック用のショーケース、袋詰めにされたおしぼりが目一杯に詰め込まれて重ねられたケース、従業員用のロッカー、長テーブル、パイプ椅子が所狭しと犇(ひしめ)き合っていた。その更に奥には、きちんと扉のついた店長室がある。しかし更に狭い店長室は、店長室として使われることは滅多にない。

もしもあの鳥になれたなら

2009年10月28日 02:55

もしもあの鳥になれたなら第1章 -3-

ない球児はたくさんいる。しかし恒は甲子園とは縁がなくとも、努力がその賜物を生んだのだった。
そのドラフト以来四年目のシーズン、プロでの過去三年間の努力が実を結び、一軍での先発という大役が回ってきた。先発したその試合でこそ打ち込まれはしたものの、その後敗戦処理投手としては着実に結果を出していき、シーズンも残り僅かともなると、遂にリードしている勝ち試合で投げさせてもらえるようにもなった。
二〇〇〇年、このシーズンでは初勝利こそ上げられなかったものの、リリーバーとして監督の期待に応えるだけの活躍を続け、一敗三セーブという成績を残してシーズンを終えた。この数字は決して人に自慢できるような成績ではなかったが、それでも恒にとってはとても意味のある数字だった。過去三年間で何度か一軍に上がったことはあったが、それらはすべて一軍の選手が怪我をして、その穴埋めとして昇格し、十日もすればほとんど投げぬままに二軍に戻るのが常だった。だから一敗三セーブと言えども、少なからず野球史に成績を残せたことが恒にとってはとても嬉しいことだった。
しかしこの年のレグルスは、上位から大差をつけられての三位で終わり、二年連続でリーグ優勝を逃してしまった。首位攻防戦では吉井がスクランブル態勢でブルペンに入るというウルトラC的な作戦を展開したのだが、その甲斐も虚しく首位とは差が開くばかりになってしまい、八月中に早くも優勝が絶望的になってしまった。だがその後消化試合的な試合が続くと、レグルスは急に連勝をするようになった。それは最初の先発登板こそ打ち込まれてしまった恒や、二軍から昇格してきた他の若手選手たちが我武者らにプレーをしたからだった。その結果チームには活気が戻り、もしかしたら奇蹟の逆転優勝もという雰囲気さえも漂い始めた。結局優勝は逃してしまったが、レグルスは来シーズンがとても楽しみになるペナントレースの終え方をした。

その年の秋季キャンプ、恒は徹底的に扱(しご)かれた。それはレグルス首脳陣からの期待の現れでもあり、恒もそれを苦痛と感じることは一度もなかった。それどころか、恒は練習が楽しくて仕方がなかった。毎日一番先にグラウンドに来るのは恒で、一番最後までグラウンドにいるのも恒だった。毎日何かしらの上達を実感することができ、それが心底練習を楽しくさせている。時にはコーチに止められるまで練習をやめないこともしばしばだった。
恒はまだ信じている。高校時代の監督に教えられた「練習は嘘をつかない」という言葉を。恒はそれを信じて日々の練習に励んでいた。
 そんなある日、恒は監督の西尾に呼び出された。ベンチ裏の監督室の前まで行くと、恒は帽子を脱ぎ、遠慮がちにノックをして中に入った。監督室の中では西尾と投手コーチの渡辺が、向き合うようにしてカウチに腰を下ろしていた。恒はコーチに促されて横に座ったが、気分は頗(すこぶ)る落ち着かず、さながら蛇に睨まれた蛙といった具合だった。
「そんなに固くなるな。呼び出したのは別に説教をするためじゃないんだから。それとも、何か説教をされるようなことをしでかしたのか?」
 西尾は恒の緊張を解(ほぐ)してやるように切り出した。
「いえ、何もしていません。ただ、急に呼び出されたんで緊張しちゃって」
恒は手に持った帽子を持て余すようにして答えた。
西尾はじっと恒の目を覗き込み、そして再び口を開いた。
「平尾、来年の開幕投手の座を吉井から奪い取ってみろ」
恒は西尾のその言葉に少なからず驚きを感じた。というよりは、大いに驚いた。師として仰ぎ、何年間もずっとレグルスの、そして球界のエースとして君臨し続けている吉井と、チームが優勝争いから遠ざかったシーズン終盤になって、ようやく一軍に上がって来られた自分を競わせるとは、恒にしてみればとても正気の沙汰とは思えなかった。何しろ吉井は日本を代表するピッチャーであり、実力も実績も、ほとんど実績ゼロの恒とは比べられないほどだったのだから。
「来年はお前も二十三歳でもう五年目だ。そろそろ開花してくれなくちゃチームとしても困る。それに、吉井はお前の年の頃にはすでにローテーションンの柱になっていた。平尾、だからお前にもそろそろ一皮剥けてもらわなけりゃならん。分かるな?秋季キャンプの最終日に紅白戦を行なう。その試合の先発が吉井とお前だ。エースの座を力づくで吉井から奪い取ってみろ」
恒は虚ろに「はい」としか答えられなかった。頭の中では色々なことが渦巻いている。今まで別次元のピッチャーだと思っていた吉井と競えるだけの実力が自分に付いてきたとは、恒自身にはまだまだ到底考えられることではない。それでも吉井と競わせてもらえるということは、恒にとっては最高にやり甲斐のあることであり、自分のピッチャーとしての成長を、師である吉井に直接見せることができるという点において、少なからずの逸(はや)る気持ちがあった。

その日の練習を終えると、恒は五日市街道にあるカフェを訪れた。いつものように一番奥のB七卓に座り、お決まりになりつつあるヨーグルトレモンとツナサンドを注文した。しかしこの日はあかりの姿はなく、アルトサックスを吹くという丸顔の店長小沼が、忙しそうに店中を往来していた。
恒が野球雑誌に目をやりながらヨーグルトレモンとツナサンドを待っていると、どこからともなくドンドン、ドンドンと何かが叩かれているような不穏な音がした。恒は辺りを見回したが、しかし何ら変哲はない。そして視線を雑誌に戻すと、再びドンドンと何かが叩かれた。窓の方から聞こえて来て、恒はパッと窓の方を向いた。すると黒い帽子を目深に被り、黒いウィンドブレーカーを着込んだ吉井が真っ暗闇の中、まるで明かりを求める蛾のように窓にへばりついていた。恒はその姿に心臓を撃ち抜かれるほど驚かされ、椅子から滑り落ちそうになった。
「練習サボって何してやがる」
 吉井は店に入ってきて恒の真向かいに座るなり、尋問をする刑事さながらの鋭い目つきで恒を問いただした。
「サボってなんかいませんよ、ご飯を食べに来ただけです。それより、貴さんこそ何してるんですか?」
「ロードワークだよ。走ってたらお前が店に入っていくのが見えたから、ちょいと寄ってみたんだよ」
吉井は恒に出されていた水を飲み干してからそう言った。
「ロードワークって、貴さんの家ってここからずっと遠くじゃないですか。貴さんの家から走って来たら片道五キロ以上はありますよ!」
チーム練習を終えた後、吉井は本当に十キロ以上走っているのかと、恒は驚きを隠さなかった。
「それがどうした?」
だが吉井は驚く恒にサラリと言いのける。
「チーム練習が終わった後に十キロ以上走ってるってことですか?」
「いいか平尾、エースになるのはそれほど難しいことじゃない。だがな、エースであり続け

もしもあの鳥になれたなら

2009年10月28日 02:54

もしもあの鳥になれたなら第1章 -2-

いけば、またいつか先発させてもらえるさ。だから今日のことはヨーグルトレモンを飲んで、さっさと忘れちまえ」

恒は入団当初から吉井に可愛がられていた。どこかに出掛けるとなれば吉井は必ず恒を連れ出し、メルセデスのサイドシートに座らせ、延々と野球談義に花を咲かせた。食事中も、酒の席でも、チームメイトとカラオケに行った時でも、吉井は恒に野球の話をして聞かせた。野球に対する情熱、考え方、哲学、技術。自分が持っているものをすべて恒に伝えようとした。
そんな吉井の熱い野球談義を聞かされると、恒はいつでも感銘を受けずにはいられなかった。吉井貴という野球人を心の底から尊敬していた。
恒はある日、吉井に質問をしたことがあった。
「貴さんっていつも野球のことを考えてるんですね。野球のことを考えない時間ってあるんですか?」
 しかし何気ない恒のこの質問は、吉井を怒らせただけだった。
「バカ野郎!俺たちはプロの野球選手だ。野球のことを考えない時間なんてあるもんか。二十四時間いつだって頭の中は野球のことばかり。お前も少しか見習ってみろ」
それ以来恒は、本当に吉井の野球に対する取り組み方を見習うようになった。オフの自主トレも毎年吉井と一緒に山に篭り、春季キャンプのブルペンでもいつも吉井の隣で投げ込みを行った。チーム内で誰よりも練習をこなしているエース吉井よりも、少しでも多くの練習をし、少しでも早く吉井に追いつけるよう努めた。吉井が百球の投げ込みをすれば、恒は百十球投げ込み、吉井がグラウンドを十周すれば、恒は十一周走った。
するといつしか恒のそんな努力が首脳陣にも認められ、消化試合と言えども初めてプロ初先発の舞台を与えられた。三回でノックアウトされてしまう散々な結果ではあったが。

恒の沈み切った気持ちがやっと落ち着いた頃、吉井は窓の外に目をやりながら独り言のように呟いた。
「やまない雨はない」
恒も窓の外に目をやると、いつの間にか小雨が駐車場に停められているメルセデスの、まるで火に掛けられたフライパンのようなボンネットを冷まそうと降り頻(しき)っていた。
「平尾、お前美空ひばりの歌好きか?」
雨に奪われたままの目で吉井が尋ねると、恒は「いえ、歌は聴いたことありません」と答えた。すると今度は、隣にある本屋から雨を避けながら、駆け込むようにしてカフェに入ってくる男性客を眺めながら、「聴いてみろ」と静かに言った。
恒がその言葉に答える間もなく、雨のせいで急に慌しくなったキッチンカウンターの方から、ヨーグルトレモンが注がれたちょっとした振動でも倒れてしまいそうなほどに細く背の高い二つのピルスナーグラスをトレンチに乗せて、あかりが急ぎ足で配膳して来た。
「お待たせ致しました。ヨーグルトレモンでございます」
あかりは店の忙しさをまるで感じさせない笑顔でそう言うと、慣れた手つきでグラスをテーブルに置き、吉井と恒それぞれにフレックスストローを直接手渡ししてくれた。そして満面の笑みで「ごゆっくりどうぞ」と言うと、ディシャップに並べられた出来立てのホットサンドが乗せられた皿を運ぶため、また急ぎ足で戻っていった。恒は不覚にもその後姿に見入ってしまった。そしてあかりの、朝の静けさの中をゆっくりと昇っていく太陽のように眩しい笑顔に、さっきまで沈み切っていた心のすべてをすっかり魅了させられていた。数時間前にマウンドで火だるまにされたことなど、恒はもうすっかりと忘れていた。あかりの笑顔はとても清廉(せいれん)で、雲一つない五月の青空のような明るさも兼ねている。恒は真向かいに吉井が座っていることも忘れ、視線のすべてをあかりの後姿に委ねていた。
吉井はまるで別世界に行ってしまった恒を怪訝そうに観察すると、その視線には切りがなさそうだと悟り、恒の頭を軽く小突いた。
「見すぎ」

恒は試合で打ち込まれたショックからはすっかり立ち直っていた。それは勿論吉井のアドバイスのお陰でもあったが、後から考えてみると確実にあかりの笑顔によるところが大きかった。
恒は吉井に小突かれて誤魔化すように窓の外に目をやると、さっきまでの小雨がいつの間にか夕立へと変貌していた。しかし二人がヨーグルトレモンを飲み終えた頃には、夕立を降らせる真っ黒い分厚い雲は、夏の顔をした真っ白いふわふわの積乱雲によってどこかに押しやられていた。

恒は先発して打ち込まれた翌日からは、敗戦処理投手としてブルペンに待機して、短いイニングだったがほとんど毎日マウンドに登った。二軍暮らしが長かった恒にとっては、一軍のマウンドで投げられるだけでも幸せだった。だが一軍半選手の恒はその幸せに甘えることなど許されず、常に結果を求められ、毎試合が勝負の場となる。ちょっとでも気の抜けた投球をしてしまえば、即二軍に戻されてしまい、恒としてはそれだけはどうしても避けたいところだった。だからこそ恒は、残り僅かなシーズンを死に物狂いで投げ続けた。

恒がプロ入りしたのは一九九七年。前年十一月のドラフト六順目で、投手として指名された。高卒ルーキーで契約金六〇〇万円、年俸四〇〇万円、背番号は五八。大きな期待をされて入った選手とは言えなかった。現に恒は甲子園出場の経験もなく、北海道のまったくの無名高校からの入団だった。プロ志望届けを出したとは言え、恒自身もまさかドラフトで指名されるなどとは夢にも思ってはなく、その当日は学校の図書室で野球部のチームメイトたちと雪で真っ白に漂白された窓の外の、まるで別世界のように美しい白銀の景色を眺めながら受験勉強をしていた。するとそこに息急き切らした野球部の顧問がやって来て、ひっくり返った声でドラフト六順目で埼玉レグルスから指名を受けたことを告げられた。
恒は突然の指名に驚きはしたものの、悩むことなく即決でプロ入りを決意した。高校三年間での練習量はどの名門校のエースピッチャーにも引けを取らなかった。それだけは恒自身が自分自身で自信を持っていることだった。練習は後悔しないだけ十分にやって来た。甲子園には行けなかったが、プロに行けばひょっとしたら芽が出るかもしれない。そういうプロ選手もたくさんいる。努力すれば必ずそれは報われる。恒は甲子園で怪物と騒がれている選手たちとは違い、類稀な才能には恵まれていなかったが、しかし怪物たちにも負けないだけの練習量は積んで来ていた。「練習は嘘をつかない」と言う野球部監督の言葉を信じて、高校三年間一日も休むことなく練習を続けた。その努力が例え下位指名と言えども、ドラフトで指名されるという最高の結果に結びついたのだった。甲子園で活躍をしていても、ドラフトで指名され

もしもあの鳥になれたなら

2009年10月28日 02:52

もしもあの鳥になれたなら第1章 -1-

第一章 ヨーグルトレモン

そのカフェは五日市街道沿いにあった。まるで街開発によって、住宅地に一本だけ取り残されてしまった神木のように憂い気な姿で孤立している。外観は建てられた当時は真っ白だったんだと言わんばかりにくすんだ白。山間から滑り落ちてくる涼風を吸い込むように開かれた、天井まであるテラス席の窓。落ち葉が敷き詰められたまま、ポーチまでさり気なく続く短い階段。これらが伝えてくれるのは、このカフェだって十五年前にできた当時はそれなり瀟洒(しょうしゃ)だったということだけだった。
平尾恒(ごう)と百瀬(ももせ)あかりが初めて出逢ったのは、このカフェの一番奥にあるB七卓と呼ばれているボックス席だった。B七卓は店内の構造上、一番奥ばった壁際に設置されていたため、バリスタがいるコーヒーの立て場や店員たちが集まるレジ周りからはまったくの死角に入ってしまい、注文を忘れられてしまうことも少なくなかった。しかし座ってみると死角に入るだけあり、とても静かで、なかなか落ち着ける席だ。店内にいつも流れているチャーリー・パーカーやウィントン・マルサリスが奏でる自由気ままで、それでいてとても優雅なメロディーさえも、ほとんど聞き取れないほどだった。そのためかB七卓に好んで座るのは、平日ならば深入りのコーヒーを傍(かたわ)らに、決まって二時間読書に耽(ふけ)る初老の男性か、週末であれば、なるべくなら人目を忍んで何度もキスを交わし合いたい若いカップルばかりだ。
恒が初めてこのカフェを訪れB七卓に座ったのは、二〇〇〇年の暑い盛りだった。この年の埼玉レグルスは、ペナントレースが一番盛り上がる夏の真っ只中に優勝が絶望的となり、監督の西尾は翌年を見据えて二軍の若い選手たちをどんどん一軍に上げて経験を積ませていた。その一人に恒も含まれていて、その日は初めて一軍での先発マウンドを託されたにも関わらず、三回も持たずにノックアウトされてしまった日だった。恒は試合後、チームメイトであり先輩でもある吉井貴が運転する漆黒のメルセデスのサイドシートに乗せられて、このカフェに連れて来られた。吉井はこの店の常連らしく、アルトサックスを吹きこなす丸顔の店長、小沼ともすっかり顔馴染になっていた。
「店長、いつもの席空いてる?」
吉井がドスを利かせた爽やかな声で尋ねると、小沼は笑顔を綻(ほころ)ばせることなく「空いております」と、まるでどこかの洋館の執事のように穏やかに答え、近くにいたウェイトレスに指示を出した。
「B七卓に二名様お通ししてください」
とても張りがあってよく通る、安心感を与える声だった。吉井と恒はウェイトレスに誘導され、一番奥の席、B七卓へと通された。吉井は芸能人よろしく黒い野球帽を目深に被り、黒いTシャツに黒いジーンズを合わせ、マウンド上でいつも醸(かも)し出している殺気だったオーラを潜め、追っ手から逃れようとする犯罪者のような猫背でウェイトレスの後を歩いた。吉井のこの姿はどう見ても堅気(かたぎ)の人間とは到底思えなかったが、他の常連客たちからは親しみを込められた声を掛けられている。それもそのはず、吉井はレグルスのエースとして長年ファンに愛され続けているのだ。吉井がこのような姿格好でも絶大な人気を誇るのは、入団当初からその姿にまったく変わりがなく、その姿こそが吉井の素の姿であるとファンたちが理解しているからに他ならない。
吉井はたまにサインを求められつつ、入口から一番遠いB七卓までやっとたどり着くと、声にこそ出さなかったが「どっこらしょ」と言わんばかりの所作で腰を下ろした。恒はその姿を見届けた後、申し訳なさそうに、ちょこんと浅く腰を下ろした。吉井はウェイトレスからおしぼりをもらうと、笑顔でそれを受け取り、いきなり天井を向いて顔の上にそのおしぼりを広げて乗せた。そしてその格好のままヨーグルトレモンを注文した。
恒もおしぼりを受け取ると、「同じものを」と注文した。するとその直後、吉井は顔に乗せたおしぼりをさっと払いのけ、恒をマウンド上でバッターを睨むそれのように、睨(ね)め付けた。
「同じものを、だと?お前には意思ってもんがないのかよ。自分で本当に飲みたいと思うものを注文しろよ。まだメニューすら見てないだろ?仮に本当にヨーグルトレモンが飲みたいんだとしても、ちゃんとヨーグルトレモンって注文しろ。でないと彼女に失礼だろうが」
吉井の口から発せられる言葉には怒気が含まれていたが、しかし吉井自身はこれっぽっちも怒ってはいなかった。吉井は、恒が時折見せる物怖じするような仕草を見ていつも心配していたのだ。恒はピッチャーとしての素質は十分にあるのだが、優しすぎる性格ゆえの気の弱さがその素質を半減させている。恒自身が気付いていないその事実に、吉井は早くから気が付いていたのだ。だからこそ吉井は、恒が物怖じするような姿を見せると、心を鬼にしてわざときつい言葉を浴びせるようにしていた。
吉井に叱られ、恒が浮き足立ったような上ずった声で「ヨーグルトレモンをお願いします」と言うと、ウェイトレスは目を細めてニッコリと微笑み、キッカリ四十五度の角度でお辞儀をすると、トレンチを小脇に抱えて遥か遠くに感じるディシャップまで戻って行った。このウェイトレスこそが、大学四年生の百瀬あかりだった。
「可愛い子だろ?俺が独身だったら今ごろ間違いなく彼女に振られてたな」
 吉井は身を乗り出し、冗談めいた小声で囁いた。しかし恒の今の気分はそれどころではない。何せこの日はプロ初先発を任されたにも関わらず、三回も持たずにノックアウトされていたのだから。
「いいか平尾、よく聞け」
吉井は急に改まり、恒の目を深く覗き込んだ。
「勝つと思うな、思えば負けだ。俺も先発デビューん時はお前と同じような内容だった。プロ入り一年目で初先発をさせてもらったのに、滅多打ちに遭っちまってな。結局三イニング投げて十点も取られちまった。それこそ今日のお前よりも酷い内容だった。しかもその後すぐ二軍(した)に落とされて、その年は最後まで一軍(うえ)からお呼びが掛かることはなかったよ。アマチュア時代に培った自信をすべて粉々に打ち砕かれちまった。自分はプロじゃ通用しない、きっとこのまま二軍で腐って、そのまま野球人生も終わっちまうって気もした。けどな、野球の神様ってヤツは気まぐれなんだよ。次のシーズン、最初に先発させてもらった試合で完封勝ちして以来すんなりと結果を出せるようになって、先発ローテに食い込むことができたんだ。だから今日の結果はプロの洗礼だと思って全部忘れちまえ。お前だって諦めずに投げてりゃいつか絶対に勝てる日が来る。だけど勝つと思うなよ。思ったら、その時は負けだ」
吉井は一気に喋り立てた。
恒は少し俯きながらも噛み締めるようにして聞き入った。そして頭の中で何度も繰り返す。「勝つと思うな。思ったら負けだ」と。恒の頭の中ではその言葉が重く圧し掛かっていた。恒は勝てると思ってマウンドに上がっていた。勝てると自分に言い聞かせながら、マウンドの土を蹴り続けた。しかしその結果が三回持たずのノックアウト。せっかく巡ってきたプロ初先発のチャンスをふいのものにしてしまった。
「西尾監督はな、お前が将来先発の柱になることを期待してるんだ。まぁ今日の試合でこの結果だから当分先発はムリだろうけど、セットアッパーとして結果を出して

もしもあの鳥になれたなら

2009年10月28日 02:40

Bs退団なら、西武がローズ選手の獲得を検討

オリックスと残留交渉が難航しているタフィ・ローズ選手が、もしオリックス退団ということになったら、西武球団は獲得に乗り出す意思を持っているようだ。

オリックスはローズ選手に対し、来季は3億2000万円という年俸を41歳という年齢を理由に大幅カットしようとしている。これをローズ選手は受け入れがたいと考えているようで、残留を最優先にするも、退団も辞さない覚悟で交渉しているようだ。

連日の報道記事を読んでいくと、岡田新監督はローズ選手を構想外としているようだ。将来的には日本人の長距離砲を育てたい意向があるらしく、なるべく外国人選手に頼らないチーム作りをして行きたいらしい。

しかし、仮に「西武・ローズ」が誕生したら不思議な感じがする。西武の主砲であるカブレラ選手がオリックスに、オリックスの主砲ローズ選手が西武に。メジャーリーグではよくあることだが、日本で主力選手が入れ替わることは珍しい。

ただ、ローズ選手がもし西武入りするとなると、西武打線の厚みはさらに増す。中島中村・ローズ・G.G.佐藤という並びは、ピッチャーは名前を見ただけで恐怖感を覚えるだろう。左の長距離砲は今オフの補強ポイントであるため、ローズ選手を獲得できればストーブリーグで大きな成功を得ることができる。ただその反面、ローズ選手はDHだ。となると、現在FAを検討中の石井義人選手が出場機会を求めてFA移籍してしまう可能性もある。この辺りは球団としてもしっかりとした対応が求められる。

ちなみに今シーズンのローズ選手は西武相手に、打率.288、2本塁打、7打点を挙げている。ローズ選手を獲得するに当たり、筆者が最も気になるのが得点圏打率.253という低さだ。西武では中島選手が.382、中村選手が.281、後藤武敏選手が.324だ。クリーンアップを任せるからにはやはりチャンスに打ってくれないと困る。中村選手の数字も低いが、来季は最低3割を目指してもらいたい。

とにかくローズ選手がもし西武入りしたら、それは非常に大きな戦力となる。だがその影で仕事場を失ってしまう素晴らしい選手がいることも事実だ。西武球団にはその辺りをしっかり検討してもらい、オリックスを退団したら獲得に乗り出して欲しいと思う。なおローズ選手は、ケン・グリフィーJr.選手と幼馴染で、昔はいつも一緒に野球をやっていたそうだ。余談ではあるが。

2009年10月27日 14:05

2010年度ライオンズ・コーチングスタッフ発表

1軍コーチングスタッフ
監督 渡辺久信
バッテリーチーフコーチ 大石友好
投手コーチ 潮崎哲也
投手コーチ 橋本武広
捕手コーチ 相馬勝也
打撃コーチ 森博幸
打撃コーチ補佐 黒田哲史
守備・走塁コーチ 河田雄祐
守備・走塁コーチ 清家政和
2軍コーチングスタッフ
監督 行沢久隆
投手コーチ 小野和義
投手コーチ 石井貴
捕手コーチ 大井久士
打撃コーチ 大久保博元
守備・走塁コーチ 鈴木康友
守備・走塁コーチ 熊澤とおる
トレーニングコーチ 大迫幸一
トレーニングコーチ 坂元忍
コンディショニングコーチ 米田進
コンディショニングコーチ 南谷和樹


本日、以上のような2010年度コーチングスタッフが発表された。しかし筆者は納得が行かない。渡辺監督は「1軍コーチは、2軍で3年の経験が必要」と考えている。だが1軍打撃コーチは今年と同じく森・黒田両コーチによるコンビとなった。2人ともプロでのコーチ経験は2009年が初めてだった。これは間違いなく球団主導の人事なのだろう。

自らが連れてきたデーブ大久保コーチの責任を、渡辺監督も多少なりとも背負わされているのだと思う。でなければ、例えデーブ大久保コーチが更迭されたとしても、渡辺監督の人脈・人望であればもっとコーチング能力の高い人材を連れて来れたはずだ。

筆者は2009年、森・黒田両コーチの策不足を幾度となく書いて来た。森コーチは香川オリーブガイナーズという四国アイランドリーグのチームでコーチ経験があるが、だがNPBと独立リーグではプレーの質がまったく違う。独立リーグでのコーチ経験を、そのままNPBの1軍で活かすことは難しいだろう。

黒田コーチに関しては、2008年に引退してすぐに1軍コーチ補佐となった。選手としての実績も、コーチとしての実績もない。球団としては真面目な人柄であるこの2人を厚遇したのだろうが、筆者からすると勝つための布陣を取ったとは感じられないのが正直な意見だ。なぜなら森・黒田両コーチは、今年不振に陥った片岡栗山G.G.佐藤選手らをコーチングによって復活させることができなかった。そして同じ投手に対し、あまりにも多く勝ちを謙譲し過ぎた。つまり、打撃コーチに策がないためにまったく打ち崩せなかったのだ。

筆者は、選手実績はコーチングに対し重要視していない。黒田選手は選手としては結果を出せなかったが、ひょっとしたらコーチとしては優れた人材になるのかもしれない。しかしそのためには渡辺監督が考える通り、最低3年間はファームでコーチ経験をさせるべきだった。いきなり1軍、しかも2008年は198本塁打している超強力打線を任せるべきではなかった。

続いて守備・走塁コーチだが、1軍は河田雄祐・清家政和両コーチとなった。鈴木康友コーチが復帰すると聞いて、筆者はてっきり1軍を河田・鈴木コンビにするのかと思いきや、鈴木コーチは2軍担当となった。今シーズンは清家コーチが3塁コーチとして試合を左右させる判断ミスを繰り返したが、来年は3塁コーチをどうするのだろうか。成長を見込んで清家コーチに任せるのか、足のスペシャリストの肩書きを持つ河田コーチに任せるのか、楽しみな部分でもある。

ちなみに2軍の守備・走塁コーチは鈴木・熊澤コンビなのだが、熊澤コーチは打撃コーチのままでよかったと思う。大久保コーチの復帰が影響してという形だとは思うが、熊澤コーチの打撃理論を活かさないのはもったいない。

最後に投手部門。1軍は潮崎・橋本コンビということになったが、こちらには筆者は高い期待をしている。今シーズンのライオンズがリリーバーの不振に苦しめられたという点を考えると、リリーフのスペシャリストだったこの2人に任せるのは良い選択だったと思う。特にサウスポーの橋本武広コーチの加入は大きいだろう。橋本コーチは現役時代から、星野投手らリリーバー陣に大きな影響力を持っているため、指導にも期待が持てる。またテレビ解説で橋本コーチのコメントを聞いていても、うなづける理論的なコメントが多い。つまりそれは、野球を冷静に見る力もあるということで、コーチ業には不可欠な能力だ。ただ、稀に精神論でピッチャーを判断する解説があって、その点は少々心配ではある。

とにもかくにも、決まってしまったことに今さら文句を書き綴っても仕方がない。打撃コーチに関しては不満があるが、しかし森・黒田両コーチだってプロだ。来年はきっと今年の悔しさをばねに、コーチとしてレベルアップしてくるに違いない。筆者はそのあたりもしっかり注目して見て行きたいと思う。

埼玉西武ライオンズは、いよいよこの布陣で11月1日から南郷秋季キャンプが始まる。他球団以上に厳しい練習をし、来年は他球団より1つでも多く勝ってもらいたい。そして何よりもキャンプで大きな怪我をすることなく、全選手に無事にオフを迎えてもらいたいと思う。

2009年10月26日 19:51

工藤公康投手、16年振りの西武復帰が有力!

横浜を戦力外になった工藤公康投手に、来季古巣である西武復帰の可能性が浮上した。工藤投手は来季47歳になるが、西武球団は渡辺監督・小林球団社長共に獲得には前向きな発言をしている。今のところ西武以外に工藤投手に興味を示している球団がないため、このまま行けば工藤投手の西武入りが現実味を帯びてくる。

工藤投手がライオンズに復帰すれば、94年以来16年振りの西武・工藤となる。西武側は工藤投手のパフォーマンスに関し、非常に期待をしているようだ。先発・中継ぎ共にこなすことができ、ライオンズの左腕リリーバーのどの投手よりもコントロール・球速が上だと評価している。確かにこれは事実だろう。球威の衰えはあるものの、コントロールと球速に関してはまだまだ高いレベルにある。

だが球が速くても、球威が衰えていることは事実だ。そのウィークポイントを来年工藤投手がどのように補ってくるかが楽しみである。しかしあれだけの投球術があれば、普通に投げてさえくれれば十分に通用するだろう。中継ぎ要因であるならば、ストレートと独特のカーブだけでもピッチングの組み立てはできると思う。

ここでファンとして気になるのは背番号だ。ライオンズは現在帆足投手が47番を背負っている。これはもちろん工藤投手を尊敬するからこその47番で、以前47番を背負っていた細川捕手に頼み込んで譲ってもらった番号だった。しかも帆足投手はコーチ経由で譲り受けた工藤投手の練習用グラブを、西武ドームのロッカーに飾っているほど工藤投手を尊敬している。同じ左腕である石井一久投手が西武入りした時は対抗心を燃やすだけだった帆足投手が、工藤投手の西武入りに対しどのような反応を見せてくれるかも楽しみだ。

背番号47番といえば工藤投手の代名詞だ。ライオンズ、ホークス、ジャイアンツ、ベイスターズそれぞれで47番を背負ってきた。47番以外を背負ったのはホークス時代の95~96年だけで、この時は21番(西武時代の恩師東尾修投手の背番号。ヤクルト時代の渡辺久信投手も21番を選んだ)を背負っていた。現在ライオンズの47番は帆足投手なわけだが、工藤投手の西武入りが決まったら果たして背番号はどうなるのか、ファンとしては非常に気になる。工藤投手が47番以外を背負うのか、帆足投手が47番を返還するのか、この辺りにも注目して行きたいと思う。

さて、工藤投手といえば94年オフ、西武球団と契約の条件面などが折り合わず、飛び出すようにホークスにFA移籍したという経緯がある。この時のことを記憶にするファンは、「工藤投手はもう西武には戻って来ない」という気持ちが強かった。この時は確か古くなった練習施設の改善を求めたが、西武球団から良い返事が返って来ず、それを理由にFA移籍している。だがこの時の球団職員はもう残っていない。つまり16年の時を経て、工藤投手の西武復帰への障害はなくなったというわけだ。

しかも監督は西武時代の相棒であり、良き理解者でもあった渡辺久信監督だ。渡辺監督の方が2歳下だが、2人の信頼関係を考えれば、「年下の上司」問題も気にする必要はなさそうだ。

とにもかくにも、まずは11月11日を待つしかない。現在は戦力外になった選手に対し直接交渉ができるのは、12球団合同トライアウト後と定められている。今回の工藤投手の獲得に関しても、先日の今岡選手の獲得に関しても、すべては11月11日にならなければ分からない。だが西武ファンに、工藤公康投手の西武復帰を歓迎しない人は誰一人いないだろう。西武で始まったプロ野球人生、工藤投手にはぜひ西武で有終の美を飾ってもらいたい。

   

2009年10月26日 16:16

デーブ大久保コーチ、やはり復帰なのか?!

現場復帰に関して二転三転しているデーブ大久保コーチ。9月上旬には1軍復帰と報じられたが、その1ヵ月後には見送りと報じられ、今度は2軍コーチとして復帰すると報じられた。一体どの報道が正しいのかは我々にはわからない。しかし可能性から言うと、2軍コーチとしての復帰が高い気がする。

秋季キャンプはもうすぐ目の前で、この秋季キャンプから新体制でのチームが船出する。それまではもう1週間を切った。となると、さすがにこの時期に不確定な情報は出て来ないと思う。と言うか、出て来ないで欲しい。

今回の報道によれば、打撃陣の強化を望む渡辺監督の強い意向による復帰らしいが、まだ正式に発表されたわけではないので、本当に確定なのかは分からない。新聞にはただ「復帰が明らかになった」と書かれているだけで、この表現は過去の復帰報道でも同じような書かれ方をしている。読者とすればこの手の報道は、記者の予想は省き、確定したことだけを報じてもらいたい。

日刊埼玉西武ライオンズの読者さんの中にも、デーブ大久保コーチの復帰を強く望む方が大勢いる。もちろん筆者もその一人だ。私生活に関する問題は分からないが、ファンからも絶大な人気を誇る名物コーチなだけに、2軍とは言わず1軍コーチとして早く復帰してもらいたい。

秋季キャンプ開始まであと僅か。1週間以内に来季のコーチングスタッフが発表されると思うが、やはり注目は打撃部門だ。森・黒田両コーチが1軍に残ることはまずないと思う。球団は外部招聘を含めて検討しているらしいので、どんな人物を優勝するために連れてくるのかが非常に楽しみだ。個人的にはデーブ大久保コーチ以外なら、清原和博さんや田淵幸一さんが人柄・野球理論を含めて期待できる人材だと思う。特に田淵さんの野球理論と指導力は確かなものだ。

いずれにしても、まずは球団からの正式発表を待ちたい。それまでは不確かな報道に一喜一憂しないようにしたいと思う。。

2009年10月25日 20:03

小野寺投手が肩を故障、その原因

小野寺力投手が肩を故障したようだ。幸い軽症で、11月中には投球を再開できる目処があるらしいが、しかしこの故障は起こるべくして起こった。筆者は何度か小野寺投手が肩を故障する可能性についてこのブログでも書いて来た。

故障の原因は二重振り子投法によるものだろう。野球に詳しくない方にも分かりやすいように、図で表してみた。

friko.gif

上の図が「二重振り子」の原理で、下の図が「二重振り子投法」の原理だ。二重振り子とは、1つの振り子に対し、2つの振り子始点が存在する加速装置のことだ。通常の振り子よりも、二重振り子の方が糸が痛みやすいことは想像に易いと思う。二重振り子投法とは、二重振り子加速装置を採用した投球モーションのことなのだ。

プロ野球界のピッチャーの8~9割は二重振り子投法を採用しているのではないだろうか?身体にとっても最も大きな負荷が掛かるのは、動きを止める動作だ。筋力的には重力に逆らう上り坂の方がきついが、身体への負担は動きを止める動作が含まれる下り坂の方が大きい。

二重振り子投法を採用してしまうと、少なくとも肘、ひどい場合は肘と肩の2ポイントに動きをストップさせる動作が含まれてしまう。もし肘がヌンチャクのように、360°どの角度でも曲げられるのであれば、二重振り子投法で怪我をすることもないだろう。しかし人間の肘は、内側にしか曲がらない。だから外側へ向けて腕を加速する際は、どうしても肘の部分で動作を停止せざるを得ない。この時の負荷が、野球肘・野球肩を誘発させている。そして小野寺投手は、まさにこの二重振り子投法タイプのピッチャーなのだ。

二重振り子投法に対し、肘・肩に負担の掛からないスパイラル投法というものがあるが、小野寺投手のブログを読んでいる限りでは、小野寺投手自身その存在を知らないか、もしくは採用を考えてはいないのだろう。今日のブログでも小野寺投手は「何年も投げ続けていると、肩や肘に負担がかかります」とコメントしていた。もし小野寺投手が、西口投手のようにスパイラル投法を採用していたら、このような言葉は出てこないはずだ。

子どもの頃、「ボールは上から真っ直ぐ振り下ろせ」とコーチに教わったことはないだろうか?なぜか野球先進国である日本とアメリカにおいては、昔からプロ・アマ問わずこの指導法が採用されている。これこそが二重振り子投法であり、ボールがシュート回転する原因であり、肩・肘を故障する原因なのだ。テレビ解説者に「ボールがシュート回転していますね」と言われているピッチャーは、ほぼ間違いなく二重振り子投法を採用している。

二重振り子投法からスパイラル投法にモデルチェンジするには、プロ野球選手が毎日練習に励んでも半年以上掛かると言われている。だからこそ子どもたちを指導する監督・コーチはもっと勉強して、二重振り子投法のデメリットと、スパイラル投法のメリットを理解しなければいけない。もちろんプロ野球のコーチも同様だが。

小野寺投手は今回は軽い肩痛で済んだようだが、次回も軽く済むかは分からない。下手したら石井貴投手のように、選手生命を左右させるほどの痛みを覚えるかもしれない。そうなってしまっては手遅れになる。守護神奪取どころか、ボールを投げられなくなる肩になる可能性さえある。

埼玉西武ライオンズでは以前、野球科学の専門家(もちろん野球経験者でもあった)と個人契約して大成した選手が数人いた。松井稼頭央選手、星野智樹投手、土肥義弘投手らは、同一のパフォーマンスコーディネーターの指導を仰いでいる。

筆者としては外国人選手に大金をかけるよりも、素晴らしいパフォーマンスコーディネーターと契約した方が、チームにとってはよほど有意義だし、プラスになると思っている。そろそろ野球界もプレーだけではなく、科学的に野球を学んだスペシャリストの指導を進んで受けるべく時代になっていると思う。必要なのは選手として有名だったコーチではなく、選手の身体と野球を理解し、適切なコーチングを行える人材だ。

そのような人材を各球団が抱える時代が来れば、勤続疲労で故障する選手は今の半分以下になるだろう。そしてそうなれば、日本のプロ野球の裾野はさらに広がっていくはずだ。

2009年10月23日 16:35

#22 野田浩輔



#22 野田浩輔 - Kosuke Noda

捕手、右投右打
2000年ドラフト6位
熊本県立八代東高校~新日鐵君津~埼玉西武ライオンズ
熊本県八代市出身、1977年12月4日生、180cm / 90kg
2009年推定年俸:1200万円


アマチュア時代の野田捕手は非常に評価の高いキャッチャーだった。もちろんそれはプロ入り後も変わらないのだが、新日鐵君津時代は現千葉ロッテの渡辺俊介投手とバッテリーを組み、西武にドラフト6位指名された同年2000年のシドニーオリンピックでは、中央大学の現巨人・阿部慎之助捕手とともにジャパンを牽引した。

2000年のドラフトでは複数球団による野田捕手の争奪戦が予想されていた。だが野田捕手と同じ熊本出身の名捕手・伊東勤が在籍しているということもあり、入団前から野田捕手と西武球団は相思相愛だった。そういうこともあり、他球団は野田捕手の獲得から次々と撤退して行ったという経緯がある。

プロ入り後すぐはまだ正捕手だった伊東勤捕手の壁に阻まれ、なかなか出場機会に恵まれなかった。2年目以降は少しずつ試合出場機会を得るものの、2003年には細川捕手の台頭もあり、レギュラー獲得には至らなかった。

その後は細川捕手が正捕手の座を射止め、銀仁朗捕手・上本捕手の登場により年々出場試合数は減っていっている。だが筆者はゲームレビューなどで何度も書いてきたように、捕手としての能力は細川捕手の次に高いと見ている。巧みなインサイドワークやキャッチング技術に関しても、キャッチャーが手薄な球団であれば間違いなくレギュラーになれるレベルだ。

2009年は細川捕手が怪我で長期離脱したわけだが、この時渡辺監督がなぜ野田捕手の起用を増やさなかったのか、若干不思議だった。もちろん銀仁朗・上本両捕手の育成が大きな理由だとは思うが、しかし今年のライオンズは育成に力を入れていいほどの戦績ではなく、勝つための起用法にこだわるべきだったと筆者は考えている。

銀仁朗捕手に関しては、今年の前半戦と比べると後半戦は大きく成長した。しかしそれでもキャッチャーとしての能力は野田捕手にはまだまだ及ばない。現時点で野田捕手は4番手キャッチャーという扱いになっているが、4番手を任せておいていいキャッチャーではない。贔屓目なしに見ても、実力は2番手キャッチャーだ。

渡辺監督が銀仁朗・上本両捕手を育てたい気持ちはよく分かるが、しかし勝つために必要なことを考えていくと、野田捕手の実力を買うべきだったと思う。もちろん4位に終わってからの結果論でしかないのだが、だがもし今年野田捕手を多用していたら、結果はもっと違ったものになっていたと思う。

とにかく野田捕手は、まだまだ老け込むようなレベルの選手ではない。出場機会がこれだけ減って来た今でも、「ライオンズの勝利のために」という意味合いのコメントを多々残している。普通であればトレードを志願してもいいような扱われ方だ。それでも野田捕手はライオンズのために日々ハードな練習を続けている。

ただそんな野田捕手には大きな弱点が1つある。それは盗塁阻止率だ。通算の盗塁阻止率は.204で、49回企てられ、そのうち39回で盗塁を許してしまっている。渡辺監督が野田捕手を多用しない最大の要因は、恐らくここにあるのだろうと筆者は考えている。選球眼も良く、バッティングも悪くない。リードもキャッチングもレギュラークラス。となると野田捕手が正捕手になれなかった理由は盗塁阻止率しか見当たらない。

細川捕手は盗塁阻止率リーグナンバー1を獲得したことがあるし、銀仁朗捕手も今年はリーグ2位となる阻止率だった。筆者の記憶が正しければ、野田捕手にはイップス経験がある。イップスとは、精神的な不安などが引き金となり起こる「送球恐怖症」だ。恐怖症という言葉は正しくはないかもしれないが、送球に対する不安が大きくなると、それが原因で送球時に身体が思うように動かなくなってしまう。

もちろんプロである野田捕手の口からイップスという言葉は出てこないが、まったく影響がないと言えば、それは嘘になるだろう。ひょっとしたら野田捕手自身にそのことが強くあるから、4番手捕手という立場に納得してしまっているのかもしれない。だとしたら、これほどもったいないことはない。少なくとも球界ナンバー1キャッチャーと評される細川捕手と、正捕手の座を争っただけのキャッチャーなのだ。まだまだ銀仁朗・上本両捕手に負けることなく、細川捕手の正捕手の座を脅かすような存在でい続けて欲しい。

野田捕手が自信を取り戻し、本来の姿を取り戻すことができれば、渡辺監督も決して野田捕手を4番手にしておくことはないだろう。とにかく老け込むにはまだまだ早過ぎる。野田捕手にはもう一花咲かせてもらいたいと、筆者は強く願っている。

 打撃成績 Batting Results






























2002 33 48 47 4 9 1 0 0 10 2 0 1 0 0 0 0 1 13 1 .191 .208 .212
2003 36 75 63 8 14 5 0 1 22 7 0 0 3 1 6 0 2 16 0 .222 .319 .349
2004 37 103 92 9 22 4 0 3 35 8 1 0 5 1 4 0 1 17 2 .239 .285 .380
2005 26 52 48 3 11 2 0 1 16 6 0 0 0 1 3 0 0 8 3 .229 .288 .333
2006 7 16 15 2 4 0 1 0 6 2 0 0 1 0 0 0 0 3 1 .267 .267 .400
2007 19 29 25 0 7 0 0 0 7 3 1 0 0 0 4 0 0 5 1 .280 .379 .280
2008 9 9 9 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .111 .111 .111
2009 22 11 10 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 5 0 .000 .090 .000
通算 189 343 309 27 68 12 1 5 97 28 2 1 9 3 18 0 4 71 8 .220 .269 .313

2009年10月23日 13:40

西武1位指名候補の菊池雄星投手は、プロで通用するか?

来週29日に行われるプロ野球ドラフト会議。筆者も観覧希望を申し込んだが、招待状が届かないということは残念ながら抽選で外れてしまったようだ。そのドラフト会議、埼玉西武ライオンズはメジャー志向であっても花巻東高校の菊池雄星投手を強行指名する方針のようだ。日本のプロ野球にとっても、菊池投手にとっても、日本でプレーすることはプラスになるだろう。

菊池投手は間違いなく超校高級ピッチャーだ。それは間違いない。だが筆者は、菊池投手がすぐにプロ野球で通じるかと問われれば迷わずノーと答えるだろう。菊池投手が日本のプロ野球で通用するまでには、少なくとも2~3年は掛かるはずだ。

その根拠は、まずボールに安定感がない。高校生相手には通じていたボールも、プロでは一切通用しない。特に高めに行くストレートだ。ボールがジャイロ回転していて、マウンドからホームまでの18.44mを直線で投げられるのなら話は別だ。しかし菊池投手のストレートはほぼ100%バックスピンストレートで、初速と終速の差も小さくない。スロー映像で見てもらえれば分かると思うが、140km台のストレートはホームベースに達した頃には失速している。140~150kmのバックスピンストレートは、物理学的に空気抵抗が一気に増していく球速なのだ。

筆者がこれまで甲子園大会を見続けてきて、「この投手はプロで必ず通用する!」と確信したのは松坂大輔投手、涌井秀章投手、ダルビッシュ有投手、田中将大投手の4人だけだ。この中には菊池雄星投手はもちろん、現早大の斎藤祐樹投手も入っていない。

菊池投手はプロで活躍するピッチャーになれる可能性は誰よりも高い。資質であれば斎藤祐樹投手よりも遥かに上だろう。しかし今のままではムリだ。高校生相手で通用した高めのストレートは、プロ相手では通用しない。スライダーにしてもビックリするほどの切れは筆者が見る限りは感じられない(もちろんプロレベルで見たらの話だが)。

菊池投手と対戦した高校生たちを見ていると、完全に名前負けしているようにしか感じられない。マスコミが必要以上に煽ったため、高校生の中に「花巻東の菊池はすごい!」というイメージがインプットされてしまったのだ。だから140kmのストレートを平然と見送ってしまう。140kmなら、甲子園に出ているレベルの高校生なら打てるはずだ。

菊池投手がプロで活躍するためには、内野ゴロを狙える球種が必要だろう。つまり2シームやカッターといったムービング・ファスト・ボールだ。プロで1~2年かけてこれらの球種をマスターし、もう少し身体の使い方を学べば、間違いなく二桁勝てるピッチャーになるだろう。

だが今のままではプロでは通用しない。それはもちろん日本でもメジャーでも同じこと。素晴らしい資質を持ったピッチャーではあるが、マスコミは煽りすぎだ。これではプロに入っても集中して練習することが難しくなる。筆者としてはプロ入り1~2年は、静かな環境で集中した練習をさせてあげたい。今までプロ入りしたはいいが、マスコミから執拗に与えられるプレッシャーのせいで実力を伸ばせなかった選手がどれほどいただろうか?

そう考えると、菊池投手はパ・リーグに来た方がいいだろう。パ・リーグは悲しいかな、セ・リーグよりもマスコミからの注目度は低い。その分質の高い練習を集中して行うことができる。完成度の高い選手ならともかく、まだまだ発展途上にいる選手に必要以上のプレッシャーをかけてはいけない。松坂大輔投手が西武に入団した時は、デニー投手がマスコミなどから松坂投手を守っていた。そういう存在の先輩も必要だろう。

筆者の印象では、菊池投手はすぐにはメジャーへは行かないと思う。恐らく日本の11球団のどこかに入団するはずだ(巨人はホンダの長野選手1位指名で確定)。その根拠は、菊池投手の恩師である花巻東の佐々木監督がこのタイミングでのメジャー入りに対して消極的だからだ。菊池投手は恐らく佐々木監督の意見を大きく取り入れると思う。

最後になってしまったが、菊池投手は股関節が非常に柔らかい。これはピッチャーにとっては素晴らしいことだ。ただ残念なことに、その柔らかさをピッチングのモーションの中に上手く取り込めていない。もう少し股関節や骨盤を動的に使い、脊柱のスピンを活かすことができれば、今より力を抜いて投げても、今より球速はアップするだろう。プロ入り1~2年でこのモーションをマスターすることができれば、常時150km前後のボールを投げられるようになる。そうなれば、二桁勝利も間違いないだろう。

菊池投手はとにかく素晴らしい投手なだけに、希望としては西武に入ってもらいたい。しかし西武に来なかったとしても、しっかりとした指導ができるチームに入ってもらいたい。少なくとも「根性だ!」「集中しろ!」「気持ちが弱い!」などという言葉を使うコーチの元へは行って欲しくはない。集中できない時は誰にでもある。そんな時、集中できるような的確なアドバイスを送れるコーチがいるチームへ行ってもらいたい。

2009年10月21日 15:53

#2 銀仁朗



#2 銀仁朗 - Ginjiro

捕手、右投右打
2005年高校生ドラフト1順目
平安高校~埼玉西武ライオンズ
京都府京都市左京区出身、1987年7月19日生、180cm / 93kg
タイトル:最優秀バッテリー賞(2009)
2009年推定年俸:1600万円


この記事を書いている今現在、「西武の正捕手は?」と聞かれたら、筆者は迷わず細川捕手の名前を挙げるだろう。キャッチャーとして細川捕手と銀仁朗捕手の間にはまだまだそれほど大きな実力の差がある。それは誰も否定しないはずだ。しかしそれは当然のことだろう。細川捕手は30歳で、銀仁朗捕手はまだ22歳なのだ。22歳と言えば細川捕手はまだ青森大学の4年生だった。

だがこう考えてみるとどうだろうか?細川捕手の22歳の頃と、銀仁朗捕手の今を比べたら?と。筆者は迷わず答えるだろう。銀仁朗捕手のが上だ、と。銀仁朗捕手は、それだけこのプロ4年間で大きく成長した。正捕手としてはまだ細川捕手に遠く及ばないが、しかし1人のキャッチャーとしてはすでに1軍レベルだと思う。

銀仁朗捕手といえば入団1年目の2006年、いきなり開幕スタメンを任されたことで話題になった。筆者としてはまったく納得が行かない伊東監督の起用法だったが、それでも大きな話題にはなった。時々目立った活躍をしたが、それでも結果は高卒ルーキーそのもの。開幕1ヵ月を過ぎた頃には、細川捕手が不動の正捕手に返り咲いていた。伊東監督はこの時、話題性以外で何を根拠に銀仁朗捕手を開幕スタメンマスクに起用したのだろうか?もちろんオープン戦で2本塁打し、高い盗塁阻止率をマークしていたものの、そこはやはりオープン戦だ。

オープン戦と公式戦はまるで違う。プロの選手にとってオープン戦は練習試合ではなく、調整の意味合いが強い。特に1軍クラスの選手で、オープン戦で結果にこだわる選手はいないだろう。

背番号を憧れの城島捕手と同じ2に変えた2009年は、前年日本シリーズで右肩を脱臼し、それがまだ癒えずにいた細川捕手に代わり、122試合に出場した。筆者もずっと銀仁朗捕手のリードを見続けていたが、リードに関してもまだまだ向上の余地が十分にある。銀仁朗捕手のリードで敗れたゲームも数試合あり、それに関してはゲームレビューで度々書いてきた。

銀仁朗捕手のリードの特徴は、その日良いピッチャーの球種を多投させたがる点だ。例えばその日スライダーに切れがあると、スライダーばかり投げさせたがる。しかも同じ球種を3球続けさせることもよくある。だが筆者個人の野球理論で言わせてもらうなら、これはリードとは言えない。

これとまったく同じリードの仕方をする捕手がいる。そう、元シアトル・マリナーズの城島捕手だ。城島捕手もホークス時代、マリナーズ時代ともに、同じ球種を連投させるリードをしていた。だが城島捕手がいた頃のホークスは一流投手がズラリと並び、マリナーズでは基本的にパワーピッチャーが多かった。ここで筆者が気になるのは、モイヤー投手(軟投派の元マリナーズのエース)がまだマリナーズにいたら、城島捕手がどんなリードをしたか?ということ。

リードとは逆算すること。これが筆者の野球論だ。スライダーで勝負するための布石を打つ、そのためのリードが配給なのだ。スライダーが良いから、今日はスライダーを多く投げさせようというのは、極論を言えばアマチュア野球のキャッチャーと同じだ。

スライダーが良いなら、当然勝負球はスライダーになる。だが同じボールを2球も3球も続けたら、プロの1軍レベルのバッターならかんたんに打つだろう。ではどうすればいいのか?それはかんたんだ。逆算すれば良いのである。

右対右の場合、スライダーはバッターの外側に逃げていく。つまり外で勝負するためには、バッターに内を意識させる必要がある。例えば初球は肩口から入るカーブでファールを打たせる。2球目はボールになっていいコースに、アウトローの少し力を抜いたストレート。3球目は逆に、インハイにさらに速いストレート。これでカウントは2-1となりバッター・イン・ザ・ホール(1-2でも構わない)。バッターの意識は完全に内角に残っている。

この状態でストライクからボールになるアウトローのスライダーを投げれば、2-1なら三振を取れるかもしれないし、1-2ならセカンドゴロを打たせることができるだろう。このように、何球目に勝負球を持ってくるかをあらかじめ設定し、それに対する布石を打つことがキャッチャーのリードの役割だ。そして現役時代は名捕手と謳われた楽天野村監督が「日本一の捕手」と評価するのが細川捕手だ。細川捕手のリードは、筆者が見ても球界ナンバー1クラスだと思う。

銀仁朗捕手は年々大きく成長しているし、1年目と比べたら今年の実力ははるかに上だ。だが上述したようなリードがまだまだできていないのが現実。とは言え今年の銀仁朗捕手は、緩急の使い方が上手になった。恐らくそれは2008年の日本シリーズで岸投手をリードしてからのことだと思うが、遅いボールを見せることで、速いボールをさらに速く見せるテクニックを駆使するようになった。

つまり、銀仁朗捕手はまだまだ発展途上の捕手だ。細川捕手はすでに完成間近というレベルの捕手だが、銀仁朗捕手はまだその半分くらいなのだ。今後4~5年経験を積めば、細川捕手が引退を考える年齢に差し掛かった時、銀仁朗捕手は一流に近付いているはずだ。そして30歳になった頃には、30歳の細川捕手を追い抜いているかもしれないし、師匠である城島捕手をも追い抜いているかもしれない。

銀仁朗捕手にはこれからも謙虚に、細川捕手の横でしっかりとリードを学び、球界を代表するキャッチャーに成長していってもらいたい。銀仁朗捕手がますます成長して行けば、ライオンズはあと十数年キャッチャーに困ることはないだろう。キャッチャーは育てるのが最も難しいポジションなだけに、若い銀仁朗捕手の成長は本当に心強い。

優勝するためには名捕手が絶対に必要だ。伊東勤、細川亨と受け継がれてきた名捕手のDNAを、銀仁朗捕手にもしっかりと受け継いでいってもらいたい。

 打撃成績 Batting Results






























2006 54 146 138 10 25 4 1 3 40 14 0 0 6 0 2 0 0 33 6 .181 .193 .290
2007 28 50 46 3 8 1 1 1 14 7 0 0 1 1 2 0 0 19 0 .174 .204 .304
2008 46 68 64 5 8 4 0 0 12 5 0 1 1 1 2 0 0 30 0 .125 .149 .188
2009 112 306 273 22 60 15 0 3 84 25 1 0 14 3 15 1 1 75 5 .219 .260 .308
通算 240 570 521 40 101 24 2 4 150 51 1 1 22 5 21 1 1 157 11 .193 .224 .287

2009年10月21日 13:40

西武、阪神戦力外の今岡選手に興味?

この情報は報道されていた記事を基にしているので、情報自体にどれだけの信憑性があるかは分からない。そして情報源がどこなのかも分からないし、ひょっとしたら阪神フロントお得意の、商売への足がかりとしてリークされただけの情報かもしれない。真意のほどは定かではないが、その報道によると、西武球団は元阪神の今岡誠選手(35歳)の獲得に興味を持っているようだ。

ライオンズの今年オフ最大の補強ポイントはなんと言ってもリリーバーだ。だがそれだけではなく、引退した江藤智選手が抜けた大きな穴も埋めなければならない。そこで浮上したのが、西武球団の今岡選手獲得説だ。

西武と阪神にはトレードに関する太いパイプがあるため、可能性はまったくのゼロではないと思う。だがこれが実現するとしても、11月11日以降となる。この日は甲子園で12球団合同トライアウトが行われる予定で、戦力外になった選手と他球団が直接交渉できるのは、トライアウト後と定められている。

今季の今岡選手は23試合に出場して打率は.133だった。しかも6月2日の楽天戦以降は1軍での試合出場がない。しかも後半戦は、ファームでの試合出場もほとんどなかったようだ。そんな今岡選手ではあるが、筆者が見る限り十分再生できる選手だと感じている。今岡選手はここ数年、ピッチャーのタイミングにバッティングモーションを合わせられていない印象があるが、これをコーチングによって気付かせてあげられれば、全盛期ほどとは行かなくても、レギュラーを狙えるだけの活躍はできるはずだ。

だがそうなると問題になってくるのはライオンズの打撃コーチだ。今年の1軍は森・黒田両コーチのコンビだったが、彼らの力で今岡選手を復活させることは難しいだろう。復活させられるとすれば、現在2軍にいる熊澤とおるコーチだ。彼の野球理論をもってすれば、今岡選手を蘇らせることは十分可能だと思う。

バッティングにしろピッチングにしろ、大事なのはフォームではなくモーションだ。筆者の印象ではフォームばかり見ていたのが森・黒田コーチで、モーションまでしっかり見ることができるのが熊澤コーチだと思っている。

今岡選手を獲得して復活させられるかも、今年不調だった片岡栗山コンビを復調させられるかも、すべては熊澤コーチの1軍復帰に掛かっていると思う。いずれにせよ今岡選手の獲得はライオンズにとってはプラスになると思うので、筆者はファンとして賛成したいと思う。守備に関してもショート以外の内野はすべてこなせるようなので、試合においての使い勝手も渡辺監督としては良さそうだ。

だがすべては11月11日になってみないと分からない。10月29日のドラフト会議を経て、11月11日の12球団合同トライアウトを経て、そこで初めて西武が今岡選手を本気で獲得しようとしていたのかが分かる。なのでまずはその日を待ってみようと思う。

2009年10月20日 12:09

#54 アレックス・グラマン

#54 アレックス・グラマン - Alex Joseph Graman

投手(クローサー)、左投左打
1999年MLBドラフト4順目
インディアナ州立大学~ニューヨーク・ヤンキース~埼玉西武ライオンズ
アメリカ合衆国インディアナ州出身、1977年11月17日生、193cm / 91kg
2009年推定年俸:1億5000万円
球種:カーブ、チェンジアップ、スライダー

グラマン投手の現状、復帰までを予測してみる
グラマン投手は開幕までに間に合うのか?!
2009/07/01 グラマン関節胞断裂で手術へ。今季復帰は絶望
2009/05/22 細川・グラマン、前半戦の復帰は絶望的

グラマン投手が日本にやってきたのは2006年のシーズンからだった。2004年にヤンキースでメジャーデビューを果たすも結果を残すことができず、翌年シーズン中に解雇。その後シンシナティ・レッズのマイナーで投げていたところを西武・日本ハムのスカウトの目にとまった。2005年のシーズンオフは西武と日本ハムにて争奪戦が繰り広げられ、グラマン投手がどちらに入団するかが注目されていた。

筆者はこの時、グラマン投手は活躍できると確信した。もちろんそれまでにグラマン投手のピッチングは見たことはなかったし、グラマン投手の名前すら知らなかった。しかし日本ハムのスカウトの外国人ピッチャーを見る目は確かだとずっと思っていたため、単純に「日本ハムのスカウトが良いと確信したのなら、これは間違いないな」と思ったのだ。

だが来日1~2年目はなかなか活躍ができなかった。先発投手として期待されていたのだが、先発投手としての投球術をほとんど持っていなかったのだ。長身から投げ下ろすストレート、ストレートと同じ腕の振りで投げられるチェンジアップ、そこにカーブとスライダー。一球一球は素晴らしいボールを持っていたのだが、先発としてそれらの球種を上手く操ることができなかった。

先発ピッチャーとなると日本では、だいたい130球前後のボールを投げる必要がある。メジャーのように100球で降板させることは外国人監督でなければありえない。そんな状況下で、先発ピッチャーとしてペース配分ができなかったのだ。ストレートもマックスは150kmを超えるピッチャーなのだが、先発だと常に全力投球するわけにはいかないため、どうしても球速が140km弱になってしまう。これではプロじゃなくても、レベルの高い高校生なら打ててしまうだろう。

だが西武入りして2年目となる2007年のシーズン、5月までは先発だったのだが、6月になると荒木ピッチングコーチはグラマン投手をリリーバーとして起用するようになった。これがグラマン投手の選手人生を大きく変えた。適材適所という言葉があるが、グラマン投手にとってはリリーバーというポジションがまさに適所だったのだ。

先発では140km前後しか出なかったストレートが、短いイニングしか投げないリリーバーに転向したことで常時150km弱出るようになった。150km出されると、いくらプロのバッターであっても簡単に打つことはできない。しかもストレートと同じ腕の振りでチェンジアップを投げてくるため、バッターからすると的が絞れないし、タイミングを合わせることも難しくなる。

グラマン投手のリリーフ転向は大成功だった。先発ではほとんど結果を残すことができなかったのが2007年はリリーバー、そしてクローサーとして17セーブ・2ホールドを記録した。しかもグラマン投手がクローサーになったのは7月に入ってからだったにも関わらず、17セーブはリーグ5位という立派な数字だった。

2008年シーズンは不動の守護神として開幕を迎え、期待にたがわぬ結果を残してくれた。シーズン最後の最後まで防御率は0点台で、ライオンズの野球は確実に8回までで終わっていた。9回に投げるグラマン投手から得点するのは、ほとんど不可能に近い状態だった。だがプレッシャーからだろうか。勝てば優勝が決まるという場面で楽天のホセ・フェルナンデス選手に逆転ホームランを打たれるなど、シーズン終盤に多少調子を落とした。この楽天戦は筆者も西武ドームにいたのだが、このホームランがスタンドに飛び込んだ瞬間、西武ドームにはファンたちの悲鳴だけがこだました。

しかしグラマン投手はアメリカでもリリーフ経験はなかったのだ。リリーフに転向して1年半、しかも尋常ならぬプレッシャーが掛かる場面で平然と投げる方がおかしかったのだ。ある意味フェルナンデス選手に打たれたホームランは、グラマン投手の人間らしさを表した一発だったように思える。現に初めて体験したクローサーとしてプレッシャーを乗り越えたあとは、日本シリーズで合計3イニングを無失点で投げ切っている。

2009年のシーズンが始まる直前、グラマン投手はインタビューに応じていた。その中で先発とリリーフの違いを聞かれていたのだが、グラマン投手は実に冷静に受け答えをしていた。「先発として、リリーフとしての違いはなく、常にベストを尽くすことだけを考えている。調整法も特に何も変えていない」というようなことを静かな口調で語っていた。

だがシーズンが始まると左肩に痛みを覚え、4月早々に1軍登録を抹消されてしまった。それでも5月4日にすぐに復帰してきたのだが、しかしその直後、すぐに抹消されてしまった。そして精密検査を受けた結果、左肩関節胞断裂と診断された。この症状について筆者はよく知っているのだが、尋常じゃない痛みが伴う。ひどいとボールを投げるどころか、歯ブラシだって握れないほどの激痛が走る。グラマン投手がどのタイミングで断裂を起こしたのかは定かではないが、しかし断裂後にも投げていたとしたら、グラマン投手の闘志は間違いなく本物だと言える。

5月4日に1軍に戻ってきた時も、絶対に痛みはあったはずだ。それでもライオンズの勝利のためにマウンドに登ろうとしたグラマン投手は、まさに青い目の侍だ。恐らくこの故障は公傷扱いになるため、今オフの大幅な減俸はありえないだろう。筆者の予想では現状維持で契約更改されるのではと考えている。

一応2010年には復帰予定ということになってはいるが、開幕に間に合うかどうかはまだ分かっていない。渡辺監督としても、恐らくゴールデンウィーク前後に間に合えば御の字と考えているのではないだろうか?ライオンズにとってグラマン投手の存在は今や欠かせない。早く傷を癒し、一日も早く西武ドームの9回のマウンドに戻ってきて欲しいと思う。もし来年グラマン投手と小野寺投手が高いレベルで守護神の座を争うようになれば、ライオンズの野球は7回で終わることになる。7回までリードを守ることができれば、確実にその試合を物にすることができる。西武ファンはもうサヨナラ負けの悪夢を見なくても済むようになるだろう。

 投球成績 Pitching Results


























ニューヨークヤンキース
2004 3 0 0 0 0 0 0 0 31 5 14 1 2 0 0 4 0 0 11 11 19.80
2005 2 0 0 0 0 0 0 0 9 1.1 3 1 2 1 0 0 0 0 2 2 13.50
埼玉西武ライオンズ
2006 13 4 6 0 0 1 0 0 324 74 87 13 19 0 3 41 1 2 41 35 4.26
2007 40 4 6 17 2 0 0 0 353 79.1 84 6 34 0 2 61 3 1 43 36 4.08
2008 55 3 3 31 4 0 0 0 226 57 47 3 13 1 0 42 2 0 12 9 1.42
2009 6 0 2 3 0 0 0 0 22 5 6 1 2 0 0 1 1 0 3 3 5.40
通算 119 11 17 51 6 1 0 0 965 221.2 242 25 73 2 5 149 7 3 112 96 3.89

2009年10月19日 16:01

2009年ファン感謝の集い開催

シーズンも終わり、秋季練習・秋季キャンプへと突入していくライオンズですが、11月23日には昨年同様にファン感謝の集いが開催されることになりました。実は筆者、昨年のファン感謝の集いに参加しておりました。そしてもちろんそれだけではなく、その前に行われた優勝パレードも見てきました。

優勝パレードは本当に凄かったです。筆者はゴールの少し手前に陣取って選手たちが乗るパレードカーを待っていたのですが、本当に凄い人でした。話によれば、浦和レッズの優勝パレードよりも多くのファンが集結したそうです。

沿道はほとんど歩くスペースがないほどで、ちょっと移動するだけでも大変な状況でした。しかしパレードカーがやってくるとそんなことはどうでも良くなりました。日本一を達成したばかりのレオ戦士たちがやってくると、西武ドーム並みの大歓声です。この選手たちが頑張ってくれたおかげで、ファンも日本一を味わえたんだなぁと思うと、感慨深いものがありました。中には選手を目の前にして涙を流す女性ファンもいたほどです。

今年は優勝パレードが見られないと思うとかなり寂しいですが、でもその分イベントを楽しむことにいたしましょう。ちなみに去年は、バッティング・ピッチング・ノックなどの体験コーナーや、擬似入団記者会見場での記念写真コーナー、チームトレーナーが身体の相談に乗ってくれるコーナー、選手のトークショーコーナーなど、本当に盛りだくさんの内容でした。

去年は西武ドームが改修工事中だったため、第二球場と元第三球場の駐車場で行われたのですが、その分選手とファンの距離がすごく近く、どこのコーナーに行っても大盛況でした。きっと今年もたくさんのファンで賑わうのだと思います。もし来られるようでしたら、ぜひ足を運んでみてください。間近で見る選手たちは、本当に大きく感じます。

ちなみに会場は本当に混雑しますので、あらかじめ目当てのコーナーを決めておいて、いち早く場所取りをしたり、早めに列に並んでおくことをオススメします。当日になってあちこち歩き回っていると、たぶんどれにも参加することができず、あっという間に閉幕してしまうと思います。なにせ、去年の筆者がそうでしたので(苦笑)。そして冬間近の西武ドームはとても冷え込みますので、風邪をひかないように温かい格好でお出かけください。

2009年10月17日 20:25

G.G.佐藤選手、またもや阪神に狙われる

報道によると、またもや阪神がG.G.佐藤選手の獲得を画策しているようだ。掲載されていた阪神球団幹部のコメントによれば、水田選手と藤田太陽投手のトレードで、自分たちは西武球団に対し恩を売ったと考えているらしい。もしこれが真実ならば、西武ファンとしては水田選手には早くライオンズに戻ってきて欲しいと思ってしまう。

筆者は、水田選手のことを野球選手として高く評価していた。走攻守すべてにおいてバランスの取れたプレイヤーで、1つ1つのプレーに対して非常に信頼することができる。バッティングに関しては1軍ではなかなか結果は出せなかったが、しかし切っ掛けさえ掴めれば化けられる選手だと思う。現に今シーズンの水田選手はライオンズ在籍時、1軍でも素晴らしいバッティングをするようにまでなっていた。この1~2年で、水田選手がどれだけバットを振っていたかが簡単に想像できる。

水田選手も、藤田投手も同じくらい素晴らしい選手だ。それなのに阪神の球団幹部は本当に報道されたようなことを口にしたのだろうか?もし真実であるならば、西武ファンとしてではなく、野球ファンとして非常に残念だ。選手を商品としか考えていないと思われても仕方ない内容のコメントだ。

そして阪神は再びG.G.佐藤選手に触手を伸ばしているのだが、交換要因にはバルディリス選手を挙げているらしい。ファームではかなり売っているが、1軍では鳴かず飛ばずの選手だ。しかも先日、確か阪神はバルディリス選手を解雇要因にしていたはずだ。そのような選手をG.G.佐藤選手の交換要因に?まるで考えられないことだ。

阪神は今季、金本・鳥谷・新井・今岡選手らの大不振に悩んだようだが、それはコーチングスタッフに指導力がなかったということだろう。そしてさらに言えば、そのコーチングスタッフを呼んだフロントに見る目がなかったのだろう。「打てない選手は捨てて、別の打てる選手を連れてくる」、こんなのは野球じゃない。あの巨人でさえ最近は育成に力を入れていて、バラバラだったチームがここ数年、しっかりとした1つのチームになって来ている。もちろんFA組の尽力は計り知れないが。そしてこの違いがCSに進出した巨人と、進出できなかった阪神との最大の違いだろう。

これが例えば、「マイケル中村を失ったとしても二岡が欲しい!」という日本ハムのようなスタンスであれば、筆者もきっと冷静でいたと思う。しかし報道がもし真実であるならば、「藤田をあげたんだから、今度はうちにG.G.をくれ」と言っているようなものだ。阪神は水田選手をどれだけ低く評価しているのだろうか?そして筆者は切に思う。報道された阪神幹部のコメントで真実ではないことを。

このトレードに関しては今後の成り行きを見守るしかない。G.G.佐藤選手は毎年契約更改で揉めに揉める選手ではあるが、来季の契約更改を済ませていない選手をトレードに出すことはできない。つまり、もし今年も西武球団とG.G.佐藤選手の契約更改が長引けば、それは西武球団がG.G.佐藤選手の放出を考えていない証拠だと言える。

だが逆に、もしG.G.佐藤選手の契約更改が揉めることなく先頭切って済んだとしたら、それはトレード放出を考えてのことかもしれない。例えば西武球団がG.G.佐藤選手の要求額をすんなり飲んだとしても、もし他球団に移籍してしまったら、西武球団はそれを支払う必要はなくなる。もちろんこんなことは考えたくもないが、しかしこのトレード話の今後を占うには、一番説明のつく見極め方だと思う。

ただ間違いなく言えることは、G.G.佐藤選手は埼玉西武ライオンズには不可欠な選手だ。今オフ中になんとか怪我を完治させ、来季はスタート時から全力プレーのできる状態でライトのポジションを守り抜いてもらいたい。そしてホームランキング中村剛也選手と共に、ホームランを量産してもらいたい!

2009年10月16日 15:49

西武、初の韓国人選手獲得なるか?

ボカチカ選手、ワズディン投手の退団が正式に決まり、来季ライオンズの外国人選手はアレックス・グラマン投手とジョナ・ベイリス投手のみとなる(許銘傑投手は来年から日本人選手扱い)。そんな中、西武球団の渉外担当が韓国人選手の獲得を目指しているようだ。もしこれが実現すれば1978年10月に西武ライオンズが誕生して以来、初めての韓国人選手となる。

台湾人の郭泰源投手、許銘傑投手、張誌家投手、中国人の朱大衛投手らの所属はあったが、韓国人選手となると初めてだ。そして気になる獲得候補選手だが、SKワイバーンズの李承浩(イ・スンホ)投手と、三星ライオンズの鄭現旭(チョン・ヒョンウク)投手をメインターゲットにしているようだ。

李投手は今年28歳のサウスポーで、WBCでは中継ぎピッチャーとして活躍した。基本的にはワンポイントピッチャーだが、2008年のアジアシリーズでは西武相手に3回を無失点に抑えるなど、ロングリリーフとしての実績もある。

一方の鄭投手もWBCではリリーバーとして活躍していて、今季韓国球界では2位タイとなる16ホールドをあげている。今年31歳となる右の本格派タイプで、李投手同様ロングリリーフを任せることもできる。

とにかく今年のライオンズの弱点は火を見るよりも明らかだった。試合を締めるピッチャーが最後まで見つからなかったために、14度ものサヨナラ負けを喫した。首位日本ハムとの勝利は12勝差。もしこのサヨナラ負けを半減させられれば、クライマックスシリーズにも進出できていただろう。だがそうならなかったのが、今年のライオンズの実力だった。

順調に行けばグラマン投手は来季5月までには復帰できる見通しらしいが、しかし術後ということもあり確かな計算をすることはできない。グラマン投手が間に合わなかった場合に備えて、やはりリリーバーの整備は急務だろう。そうなると補強ポイントも明確で、計算のできるリリーバーと左の大砲ということになる。

ライオンズは今日から西武第二球場で練習を再開している。とにかく今年味わった悔しさを忘れることなく、そして怪我なく頑張ってもらいたいと思う。そして来年の今頃は練習ではなく、西武ドームでクライマックスシリーズに挑んでいてもらいたい。

2009年10月15日 19:37

#5 石井義人



#5 石井義人 - Yoshihito Ishii

内野手(ファースト、サード、セカンド)、右投左打
1996年ドラフト4位
浦和学院高~横浜ベイスターズ~埼玉西武ライオンズ
埼玉県川口市出身、1978年7月12日生、178cm / 80kg
タイトル:月間MVP(2005年5月)
2009年推定年俸:4300万円
ニックネーム:ジャッキ(足がO脚で、車整備機具のジャッキみたいだから)


1996年、浦和学院高校時代に甲子園春夏連続出場を果たした石井義人選手は、同年のドラフト4位で横浜ベイスターズに入団した。新人時代から非凡な打撃センスは横浜首脳陣から高い評価を得ていたが、しかし守備に難があるため横浜時代はレギュラー獲得どころか、1軍定着も叶わなかった。

横浜時代の1999年はファームで.373というハイアベレージを残し、翌2000年から1軍で活躍するようになった。規定打席には達しなかったものの、その年は1軍で.328という好成績を残し、代打率に限っては.444という凄まじい数字を残した。だが2001~2002年の横浜は森祇晶監督が指揮を執っており、ライオンズの黄金時代を知る人ならお分かりだと思うが、守備を重要視する野球を好んでいた。その影響もあり、レギュラーを獲得することはできなかった。

そして守備に対するプレッシャーも年々増していき、それが原因で本来のバッティングを見失ってしまう時期もあった。だがプロ4年目となった2002年のオフ、石井義人選手に転機が訪れた。2対2のトレードにより、西武ライオンズに移籍することになったのだ。それでも移籍1年目はやはり守備を重視する伊原監督が指揮を執っており、やはり守備難が原因で出場試合はさらに激減した。しかし2004年に伊東監督が就任するとその才能は一気に花開く。

2004年は自己最多の58試合に出場し.304を打ち、ライオンズ12年振りの日本一に貢献。さらに2005年は125試合に出場し、自身初の規定打席に到達し.312という素晴らしい打率を残した。

2008年、伊東監督から渡辺久信監督に代わると、石井選手はそれまで以上にチャンスを与えられた。だがそれでもなお守備難を克服することは出来ず、絶対的なレギュラー獲得には至っていない。そして同年4月にはファーストへのコンバートを渡辺監督から指示され、DHとファーストでの併用機会が増えていった。

守備での出場機会が少ないためにエラー数自体は少ないのだが、しかし記録には残らないエラーを頻繁に起こしている。2009年も筆者が見ている限り、石井選手が普通に守備をこなしていれば勝てていたゲームが数試合あった。例えば勝ち越しランナーの進塁を許してしまう1プレーや、ファーストゴロでの連携ミスなど、エラーとして記録に残ってはいないが、ピッチャーの足を引っ張る守備がいくつかあった。

石井選手は、ひょっとしたら守備に対する意識が低いのかもしれない。実際にどう考えているかは筆者には分からないが、ライオンズに移籍してきて以来、石井選手の守備の上達は感じられない。だが筆者としてはそれも悪くはないと思う。石井義人選手といえば“打撃の職人”と呼ばれるほどバットコントロールの優れた選手だ。守備に意識が奪われてバッティングを崩してしまうようなら、少しくらい守備に目を瞑っても高いバッティング能力を活かしてあげた方がいいと思う。

ただそうなるとどうしてもDHでの出場がメインになってしまい、2009年のように125試合で.300を打っても規定打席に到達しないという結果になってしまう。だが首位打者争いに固執しないようなら、これもまたいいのかもしれない。

石井選手のバットコントロールの上手さは、筆者が見る限りバットが出てくるタイミングにあると思う。左バッター特有のスウィングとも言えるのだが、胴体のスピンよりも1テンポ遅れてバットが出てくる。そのためストレートに関しては、一番遅くなるポイントで打つことができ、変化球に関しても軌道を予測できるだけの余裕を持ってバットを振りにいける。そして左バッターである石井選手がレフト方向へのヒットが多いのも、ただ流し打ちをしているというわけではなく、このようなバットが出てくるタイミングが大きく影響している。

一般的なバッターは、バットは基本的には利き腕とは逆の腕で振り抜く。左バッターであれば右腕でバットを引っ張ってスウィングをするのが普通。だが石井選手の場合は、右腕でバットを振っているように見えるのだ。これはテニスで言うところのフォアハンドストロークに違い。石井選手がレフト方向へヒットを打つ時は、だいたいがフォアハンドになっている。逆にライト側に引っ張る時は、バックハンドに切り替えて振り抜くことができる。つまりピッチャーの投球に合わせて、フォアハンドとバックハンドをしっかり使い分けているのだ。

こういう素晴らしいバッティング技術を持っているからこそ、“打撃の職人”と呼ばれているのだろう。もしこれで守備を普通にこなすことができていれば、恐らくどこのチームでもレギュラーを獲得できるはずだ。石井選手は、DHのあるパ・リーグに移籍してきて本当に良かったと思う。あのままDHのない横浜にいたら、恐らくほとんど出場機会に恵まれることはなかっただろう。これこそ、トレードが大成功した選手の好例と言える。

ライオンズでは2008年からアーリーワークが導入されているが、石井選手ももちろん参加している。だが調子が悪くなると参加はしないそうだ。その理由は、調子が悪い時のバッティングフォームを身体に刷り込みたくないかららしい。この発言だけを聞いても、石井選手のセンスの高さをうかがい知ることができる。

石井義人選手はまだ31歳になったばかり。これからいよいよ円熟味を帯びる年齢に差し掛かる。2010年はベテラン選手として、まだまだ若いライオンズナインをしっかり引っ張っていってもらいたい。そして日本一奪回に向けて、今年以上にキラリと光るヒットを量産してもらいたい。レオの安打製造機はまだまだ健在だ。

 打撃成績 Batting Results






























横浜ベイスターズ
1997 10 18 17 2 4 1 0 0 5 0 0 0 1 0 0 0 0 2 0 .235 .235 .294
2000 41 61 58 6 19 3 0 1 25 6 1 0 0 0 3 0 0 9 3 .328 .361 .431
2001 53 81 67 7 19 5 0 0 24 8 0 0 0 1 13 0 0 16 2 .284 .395 .358
2002 22 23 20 2 5 1 0 0 6 1 0 0 1 0 2 0 0 7 0 .250 .318 .300
埼玉西武ライオンズ
2003 8 12 12 0 5 2 0 0 7 2 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .417 .417 .583
2004 58 169 138 22 42 9 0 2 57 16 1 1 1 0 30 1 0 24 4 .304 .429 .413
2005 125 471 414 48 129 25 3 6 178 38 7 5 1 1 51 3 4 74 9 .312 .391 .430
2006 67 213 186 32 58 10 0 3 77 16 3 0 2 1 23 1 1 35 1 .312 .389 .414
2007 92 296 260 26 66 14 0 2 86 17 7 0 4 3 29 0 0 53 2 .254 .325 .331
2008 108 335 306 31 85 21 1 4 120 29 0 1 0 4 25 2 0 53 2 .278 .328 .392
2009 125 422 383 48 115 17 3 6 156 39 3 2 5 1 30 1 3 73 7 .300 .355 .407
通算 709 2101 1861 224 547 108 7 24 741 172 22 9 15 11 206 8 8 350 30 .293 .364 .398

2009年10月15日 13:05

デーブ大久保コーチの復帰、見送りへ

9月上旬渡辺久信監督の強い要望により1軍コーチ復帰が有力視されていたデーブ大久保コーチ(現プロ担当スカウト)だが、2010年度の1軍コーチ復帰は正式に見送られることとなった。理由としては球団のコンプライアンスという観点から、時期尚早という判断が出されたようだ。それに加え、プロ担当スカウトとしてデーブ大久保コーチが成立させた水田選手と阪神藤田投手のトレード成功が評価され、少なくとももう1年プロ担当スカウトとしてチームの建て直し作業を支えてもらいたいという球団の考えもあるようだ。

ファンとしてはデーブ大久保コーチの復帰を心待ちにしていたのだが、こればかりは仕方がない。となると、果たして来年の打撃コーチは誰が就任するのだろうか。外部招聘も視野に入れて、11月1日から始まる秋季キャンプ直前に発表されるらしい。そして10月15日から西武第二球場で始まる予定の秋季練習は、現コーチ陣のまま行うようだ。

ちなみに来季のコーチ陣の再編成は今日から本格的に行われるらしい。果たして連覇を逃したことで、どんなコーチ陣に様変わりするのだろうか。バッティングコーチが最大の焦点となるはずだが、やはりここで期待したいのは清原和博さんの現場復帰だ。清原さん自身は現場復帰への思いが強いと常々報道されている。そういうことも踏まえていくと、清原コーチ誕生というのも、可能性はゼロではないだろう。

ただ筆者として強く望むのは、熊澤とおるコーチの1軍コーチ復帰だ。熊沢コーチはメッツ時代に大スランプに陥った松井稼頭央選手を復活させるなど、打撃理論に関してはずば抜けたものを持っている。選手としては二流だったかもしれないが、指導者としては一流だと筆者は思う。2008年に破壊力抜群だったレオ打線は、デーブ大久保コーチの指導も大きかったが、熊澤コーチの貢献度も非常に高かったのだ。

とにかく最も大切なことは、来年優勝するチームを作ることの出来るコーチングスタッフを結成させることだ。球団には、ぜひそのことにこだわったコーチ陣の再編成作業を行ってもらいたいと思う次第です。現場とフロントの意見を折り合わせるのは難しいと思いますが、選手、そしてファンのことを第一に考えて球団スタッフには頑張ってもらいたいと思います。

2009年10月13日 15:04

男道 清原和博の歩み~清原和博写真展

清原和博さんの写真展に行ってきました。清原選手のPL学園時代からオリックス時代までの写真パネルが100枚近く飾られた写真展。PL学園時代の活躍から知る筆者にとっては、本当に感慨深い写真展でした。しかも筆者が行った前日はオープニングセレモニーが行われていて、清原和博さんご本人が出席し、テープカットをされたそうです。それを知っていたら、きっと筆者もオープン日に行っていたと思います。

会場は千葉県船橋市にある東京ベイららぽーとで、10月10~25日まで開催されているそうです(無料)。関東圏内の方は、ぜひ一度足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

もちろんライオンズ時代の写真もたくさん飾られています。キャンプで特守を受けている場面や、若き日の渡辺久信投手との2ショット写真、南海・藤本投手から放ったプロ初ホームランの写真、オールスターで親友・桑田投手と対戦した時の写真、優勝が決定してファーストでガッツポーズをする写真などなど、西武ファンにとってはどれも見逃せない写真ばかりでした。

筆者は子どもの頃、テレビで西武戦がやっていると必ず観ていました。開幕戦、レギュラーシーズン、日本シリーズ、キャンプなどなど。写真を見ていると、その頃見たテレビの映像が鮮明に頭に蘇ってくるんです。優勝シーンはもちろんのこと、オールスターで初めてKK対決が実現した時も、筆者はテレビ観戦していました。

筆者の周りには、清原選手がFA移籍してしまったことで西武から離れてしまったファンが何人もいたんです。小中学校の頃は一緒に西武の帽子を被っていた友だちも、清原選手が移籍してしまうと西武からは離れていってしまいました。だからこそ筆者は清原選手が巨人を退団した際、何としても西武に帰ってきてもらいたいと思っていたわけです。プロ野球人生をスタートした球団で、プロ野球人生を終えてもらいたい、と。そしてその思いは工藤公康投手に対しても同じです。

ちなみに写真展のスタッフの方々も皆さんとても親切でした。5人くらいのスタッフの方に声を掛けてもらったのですが、「さすが清原展のスタッフさんだ!」と思える方々ばかりでした。そして筆者はそんなスタッフさんのご好意により、展示されている写真パネル2枚を清原選手のサイン付きで譲っていただけることになりました。展示後、自宅に届けられるのが本当に楽しみです。

筆者は小岩ジェッツというチームを作って現在野球を続けているのですが、素振りをする時は未だに清原選手の西武時代のバットを使っています。譲り受けた際は未使用品でしたが、まさに西武時代に清原選手が使っていたバットで、グリップエンドには「L3」と刻印されているんです。筆者が子どもの頃は、まさに西武・清原選手の全盛期でした。「かっ飛ばせ!キヨハラくん」というマンガも大人気でした。

やはりいつかは指導者として、ユニフォームを来て西武ドームに戻ってきてもらいたいと思います。清原選手の野球観は非常に繊細で、テレビ解説を聞いているだけで「他の解説者とはやはり違う!」と感じられます。ぜひその野球観を、再びライオンズで活かしてもらいたいと思います。渡辺監督・清原ヘッドコーチなんてコンビが誕生したら西武ドームはきっと、今年の動員数150万人という数字をあっさり塗り替えてしまう気がします。

2009年10月13日 14:21

中村剛也が48本塁打できた秘密

2年連続ホームランキングとなった中村剛也選手。筆者は数年前から、彼は必ず主力級の活躍をすると確信していた。だが正直なところ、まさかここまでのバッターに成長するとは思っていなかった。具体的には打率3割弱で30本塁打くらい打てるようになるのでは、と考えていた。しかし昨年は46本、今年は48本と、実際にはとてつもない数字を残すバッターへと成長を遂げた。

筆者の野球理論の中に、野球は“筋肉”で行うスポーツではないというものがある。もちろん野球というスポーツをこなすだけの、最低限の筋肉は必要だ。しかし、必要以上の筋肉量は、野球には必要ないと考えている。150kmのボールを投げるためにも、140mのホームランを打つためにも、必要なのはボディビルダーのような隆々とした筋肉ではない。

シンプルに考えてみよう。150kmのボールを投げるためには、腕を150kmのスピードでスウィングすればいいのだ。そして150kmのボールをホームランにするには、150km以上のスピードでバットをスウィングできればいい。ちなみに一流バッターのバットスウィングのスピードは150km以上だと言われている。

今回はヒットというものは無視することにして、ホームランについてのみ語ることをあらかじめご了承ください。筆者は、ホームランはバットスウィング、タイミング、角度の3点で打つものだと考えている。極論を言えば、フルスウィングをしなくてもホームランは打てるのだ。

アレックス・カブレラ選手のように160m弾を放ちたいというのなら話は別だが、普通の球場で、普通のホームランを打つためであれば、必要以上のパワー(筋肉)は必要ないのだ。それよりも、ホームランを打つためのポイントでしっかりとボールを叩くことの方が大事だ。

G.G.佐藤選手はライオンズの典型的なパワーヒッターだ。バットのどこにボールが当たろうが、パワーでスタンドインさせられる能力がある。だが調子の波が激しいことも事実だ。その理由は必要以上のフルスウィングにある。バットを最後まで振り抜くことと、フルスウィングを同意語として使っている指導者もプロアマ問わず未だ多いが、この2つは似て非なるものだ。

G.G.佐藤選手の場合は余分な力をバットスウィングに加えてしまっているため、スウィングに常にブレが生じてしまっている。調子が良い時は軸足にしっかりと体重が残りきれいなハンマースウィングが出来ているのだが、調子が悪くなると軸足に体重が残らなくなってしまう。つまり重心の位置が定まらないために、バットをイメージ通りの軌道でスウィングさせることができないのだ。

だが中村剛也選手は違う。これは本人も以前コメントしていたことなのだが、中村選手のホームランのほとんどは70~80%の力加減で打たれたものだ。逆にフルスウィングをした時は、ポップフライになることが多い。つまりフルパワーでバットを振ってしまうと、バットコントロールが難しくなり、ホームランを打つためのミートポイントから外れやすくなってしまう。

物理学的に野球を見ていくと、一般的なストレートをホームランにする場合、バットは10°という角度でアッパースウィングした時にボールが最も遠くまで飛んでいく。それ以上の角度だと打球が上がりすぎて普通の外野フライになる可能性が高まり、それ未満の角度だと打球そのものが上がりにくくなる。そして10°の角度でアッパースウィングした際、ボールの下2/3を叩くイメージで打つと、より遠くへ飛んでいく。

中村選手のホームラン映像を何十本と見ていくと、10°のアッパースウィングでボールの下2/3を叩けている打席がほとんどなのだ。中村選手はテレビ解説者には未だ「確実性が低い」と評価されているが、実はそんなことはなかったのだ。ホームランにこだわりを持つ中村選手の、ホームランが打てる確実性は非常に高かったのだ。

現に中村選手の今年の長打率は.651という驚異的な数字だ。オリックスのカブレラ選手.519、ローズ選手の.583、楽天の山崎選手の.519と比べると、いかに中村選手の.651が凄まじいかが分かる。ヒット10本中、6~7本は必ず長打になるのだから、この確実性はずば抜けている。

同じホームランバッターであっても、中村選手とG.G.佐藤選手は真逆のタイプだ。いわば日本人スラッガーと外国人スラッガーと言ったところだろう。具体的にどう違うかと言うと、一番大きな違いはタイミングの取り方だ。G.G.佐藤選手はボールが来るのをひたすら待つタイプのバッターなのだが、中村選手はピッチャーのモーションでタイミングを計っている。

ピッチャーの投球前、中村選手が打席で身体を揺らしていることは皆さんお気づきだと思うが、これはピッチャーのモーションでタイミングを計っている動作だったのだ。分かりやすく言えば、ピッチャーのタイミングを自分のタイミングとして使えているということ。これはピッチャーからしたら投げづらくて仕方がない。マウンドから見ているとひしひしと感じてしまうのだ。バッターが、自分(ピッチャー)のタイミングでボールを待っていることを。

中村選手がフォームを崩してスウィングするシーンを見たことがある人はどれくらいいらっしゃるだろうか?少なくとも筆者は数回程度の記憶しかない。中村選手のスウィングの安定感を褒めるテレビ解説者は多いが、その理由まで解説してくれる人は少ない。そしてその理由こそが、上述したピッチャーのタイミングでボールを待っているという点なのだ。

スウィングが崩されてしまうということは、ピッチャーの投球に対してタイミングが合わせられなかったということ。つまり逆の良い方をすれば、ピッチャーの投球にタイミングを合わせ続けられれば、スウィングを崩されることはほとんどありえないのだ。そしてこの打法をマスターしている有名なバッターが、シアトルマリナーズのイチロー選手だ。ただし中村選手とイチロー選手では求めるものが違うため、ホームラン数と打率それぞれに大きな違いはあるが。

ピッチャーの投球にタイミングが合った時のメリットは非常に大きい。まずミートタイミング時の両腕の関係が、ほぼ二等辺三角形になる。この状態でボールを叩いた時が、スウィングが生み出したパワーを最もボールに伝えることができる。そして重心を使ったしっかりとしたスウィングがキープできるため、慣性モーメント(遠心力と考えてください)も有効活用できる。

ボールを遠くに飛ばすためには慣性モーメントを活用することが大切になってくるのだが、慣性モーメントは身体の芯がシャープであるほど強くなる。つまり慣性モーメントだけでバッティングを考えた場合、太った選手(または筋骨隆々の選手)よりも痩せた選手の方が慣性モーメントは強くなる。筆者はこのことを考えて、中村選手は30本塁打のバッターと予想していたのだ。もし中村選手が、若き日の清原和博選手のような細身の体型であったなら、筆者は迷わず50本打つようになると言い切っていただろう。

だが、それを差し引いたとしても中村選手のスウィングは、まさにホームランを打つために計算されたスウィングだと言うことができる。そして昨年辺りから、中村選手自身のホームランに対する意識も変わってきたのだろう。それまではバットを寝せて構えていたのだが、しっかりと立てて構えるようになった。

バットを寝せて構えるとバットを最短距離で出せるため、ホームラン数は減るがヒットに対する確実性は増す。逆にバットを立てるとヘッドの重さを最大限に引き出すことができるため、ヒットに対する可能性は下がるが、打球の飛距離は確実にアップする。ちなみに中村選手が怪我でファームにいた時期4番に座った中島選手だが、3番では寝せて構えていたバットを立てて構えていた。恐らく4番としてホームランを欲しがったためだろう。

風貌からはとても想像できないが、中村剛也という選手は我々ファンが想像できないほどクレバーな選手だ。ホームランを打つ確率を少しでもアップさせるために、この2年は様々な試行錯誤を繰り返している。そしてその試行錯誤が実を結び、去年は46本、今年は48本のホームランをスタンドに叩き込んだ。来年以降はテレビ解説者も、中村選手に対し確実性が低いなどとは言うべきではないだろう。中村選手のホームランを打つための確実性は、非常に高いのだから。

2009年10月11日 17:28

#48 武隈祥太

#48 武隈祥太 - Syota Takekuma

投手、左投左打
2007年ドラフト4順目
北海道旭川工業高等学校~埼玉西武ライオンズ
北海道上川郡東神楽町出身、1989年11月24日生、178cm / 77kg
2009年推定年俸:600万円
球種:カーブ、スライダー、チェンジアップ


筆者が初めて武隈投手のピッチングを見たのは、2009年の最終戦だった。そしてこの試合は武隈投手自身にとっても、記念すべく1軍でのプロ初登板となった。内容的には2番手として3回2/3を投げて、4安打2四球3失点というほろ苦いデビュー戦となった。しかしこの投手は、来年は必ず戦力になると筆者は確信した。恐らく渡辺監督もそう感じたはずだ。

武隈投手の2009年のほとんどはファーム暮らしだった。高卒2年目のピッチャーだったのだが、23試合に登板して3勝11敗、防御率は5.44という成績。決して褒められたものではないが、高卒2年目、しかも実戦となると1年目とも言える状況でこの数字は悪くない。ついつい高卒すぐに活躍し出した松坂大輔投手や、涌井秀章投手を思い浮かべてしまうが、この2人の方がある意味異常だったのだ。

武隈投手はファームでも、唯一の1軍登板でも良い結果を出すことはできなかった。だがそれには大きな理由があったのだ。もしその理由さえ秋季・春季キャンプで克服することが出来れば、このピッチャーは大きな戦力となるだろう。上手く行けば、近い将来ローテーションピッチャーになるかもしれない。

武隈投手が卒業した旭川工業のOBには、オリックスのエースとして活躍された星野伸之投手がいる。武隈投手の投げ方は、実にこの星野投手にそっくりなのだ。いや、厳密に言えばピッチングフォームはそれほど似てはいない。似ているのは、ピッチングモーションだ。特に骨盤から肩にかけての身体の使い方がよく似ている。

ストレートこそマックス138kmと決して速くはないが、筆者が見ている限り、この球速以上にバッターの手元で伸びている感じがした。つまり、活きたストレートを投げていたのだ。これは身体の筋肉をスマートに使えている証拠だ。どこか数ヵ所の筋肉だけでボールを投げるのではなく、筋肉を満遍なく使うことによって初めて投げられるようになるストレートだ。恐らく酷使されない限りは、武隈投手が肩・肘を故障することはこの先ないだろう。それくらい美しいモーションで投げている。

フォームではないのだ。理論的に言えば、フォームなどどうでもいい。“ピッチングフォーム”というのはあくまでも和製英語で、ベースボールの世界では通用しない言葉だ。大切なのは“ピッチングモーション”だ。と、偉そうに書いては見るものの、この知識は筆者が読んだ本からの受け売りであって、決して筆者の言葉ではない(笑)

しかしともあれ、ピッチングに大切なのはモーションだということは確かだ。まだ完璧とは言えないものの、テイクバックからフォロースルーまでの流れは、理想的なモーションに見える。腕の振りもとてもしなやかで、変化球を投げる際でもよく振れている。これならもう1~2ステップ踏むだけで、1軍で活躍できるピッチャーになれるはずだ。

さて、上述した武隈投手が打たれる理由をここで解説したいと思う。一言で言えば、木村投手と真逆のピッチャーなのだ。木村投手は試合になるとストライクが取れずに、ボールをストライクゾーンに置きに行って痛打されている。だが武隈投手の場合はその逆で、ボールゾーンに投げることが出来ていないのだ。

もちろん高卒2年目のプロ初登板でそこまで求めるのは酷かもしれないが、しかし打たれてしまう理由はそこにある。極端な例を挙げると、2ストライク取ったあとでもストライクゾーンで勝負してしまっているのだ。ストライクゾーンのボールは、バッターからすると打てる範囲のボールという意味になる。良いピッチャーになると、2ストライク後はほとんどストライクゾーンには投げない。ボール球を振らせて打ち取っている。

もし武隈投手が今後フェニックスリーグ、秋季キャンプでその部分を学ぶことができれば、セットアッパーとしてではなく、先発ピッチャーとして活躍できるようになるだろう。変化球に関してはすでにプロである程度は通用するレベルにある。あとはこれから少しずつ精度を上げていけばいいだけだ。そしてその変化球をストライクゾーンに入れるだけではなく、ボールゾーンに散らせる技術さえ身につけられれば、武隈投手がブレイクするまでにそう時間はかからないだろう。

それにしてもライオンズのスカウト陣は本当に素晴らしい。高校時代は試合経験にも乏しく、まったくの無名投手をよくぞ北海道から探し出し、しかも連れてきたと思う。これは完全にスカウトのファインプレーだ。筆者は来年、若手投手の中では特に武隈投手に注目して行きたいと思う。2009年秋のフェニックスリーグでもどんなピッチングをするか非常に楽しみだ。

 投球成績 Pitching Results

























2009 1 0 0 0 0 0 0 17 3.2 4 0 2 0 3 0 0 3 3 7.36
通算 1 0 0 0 0 0 0 17 3.2 4 0 2 0 3 0 0 3 3 7.36

2009年10月10日 01:01

三浦貴選手、2度目の戦力外通告

この季節は本当に辛い。先日三井・岡本・山本歩投手らが戦力外通告されたかと思ったら、昨日は三浦貴(たか)選手の戦力外通告が発表された。三浦選手にとっては人生2度目となる戦力外通告だ。2年前にも巨人で戦力外通告を受けたのだが、同年のトライアウトが切っ掛けでライオンズ入りしていた。

実はこの三浦選手は、筆者と同じ歳なのだ。そして筆者は、三浦投手が東洋大学時代から密かに注目していた。21~22歳の頃だったと思うが、筆者はその頃、仕事をしながら野球トレーナーの勉強をしていた。プロのトレーナーになりたかったわけではなく、何とか自分の肩を自分で治したかったからだ。

その勉強の甲斐あって、生理学的に適切な筋肉の使い方でボールを投げる方法を学んだ。そして、どのように身体を使えば良いボールを投げることが出来るのかも知った。実は大学時代の三浦投手は、その時筆者が学んだ投球理論に適した素晴らしいフォームでボールを投げるピッチャーだったのだ。

そう、三浦選手はプロ入り直後まではピッチャーだったのだ。2000年のドラフト3位で巨人入りして、1年目からリリーバーとして大活躍をした。だが順調に歩いてきたかに思われたプロ生活の、2年目に落とし穴が待っていた。その年の3試合目の登板時、広島カープの緒方選手の頭にデッドボールを当ててしまい、規定成立後初の危険球退場投手となってしまった。それ以来、三浦投手は投球イップスにかかってしまった。

投球イップスとは、一言で言えば投球恐怖症のようなものだ。精神的部分が身体の動きを阻んでしまい、まともにボールを投げることができなくなってしまうのだ。ある意味心の病気と言えるのかもしれない。筆者としては、何とかイップスを克服してもらいたかった。だが当時の巨人原辰徳ヘッドコーチは、三浦投手の高い身体能力を活かすためにあっさりと野手転向させてしまった。当時原ヘッドは「三浦は投手としては5000万円止まりの選手だが、野手に転向すれば2億円稼げるようになる」と言って説得したらしい(巨人事情は詳しくは分からないが)。

だが筆者の考えは真逆だった。ピッチャーとしてイップスを克服していれば、きっと今なお1軍で投げ続けていたと思う。カーブとフォークが武器のピッチャーだったのだが、球速や変化球の精度以上に、球質の素晴らしいピッチャーだった。もう少し経験を積めば、きっと素晴らしいセットアッパーになれていたと思う。

そんな三浦貴選手は高校時代、浦和学院で石井義人選手と同級生だった。時を経て再びチームメイトとなった2人。だが一緒にプレーが出来たのも僅か2年の間だけだった。もし三浦選手にまだ野球をやりたいという情熱が残っているのなら、ぜひもう一度ピッチャーとして再チャレンジしてもらいたいと思う。NPBじゃなくてもいい。独立リーグでも台湾球界でもどこでもいい。とにかく三浦選手には、悔いのない野球人生の終わりを迎えてもらいたい。

三浦貴選手は、プレーへの情熱さえ衰えていなければ、まだまだ活躍できる選手だと筆者は信じている。そしてそのためにも、まずは合同トライアウトで実力を出し切ってもらいたい!

2009年10月09日 01:07

渡辺久信監督、2011年まで契約延長

今年で2年契約最終年を迎える渡辺久信監督が、さらに2年間契約が延長されることになった。推定年俸は7000万円。今シーズンは主力に怪我人が続出するという状況でBクラスに落ちてしまったが、それでも勝率5割をキープした指導力、そして昨年の日本一、さらには観客を楽しませることのできる“ナベQ野球”が高く評価されての複数年契約となった。

渡辺監督が就任してから復活した選手、伸びた選手は本当に多い。ピッチャーで言えば星野智樹投手が復活したことが大きかった。伊東監督在任中は年々成績を落としていた星野投手だったが、渡辺監督が就任してからは去年・今年と非常に素晴らしい活躍を見せてくれている。

また、伊東監督の下では伸び伸びとプレーをすることのできなかった片岡易之選手が、渡辺監督の下では大きな成長を遂げた。セオリーや型を重視する伊東野球と正反対のナベQ野球において、チームを引っ張る素晴らしい活躍を見せてくれている。それもこれもやはり渡辺監督の、片岡選手への気配りが大きな切っ掛けとなっていた。

そして高校時代には“難波のカブレラ”と呼ばれ注目されていた未完の大砲・中村剛也選手も、渡辺監督が連れてきたデーブ大久保コーチの指導により目覚めることになった。2003年に入団してからの5年間のホームラン数はトータルで40本だったのが、ブレイクした昨年だけで46本、今年は48本を放ち2年連続ホームラン王はほぼ確実は状況だ。しかも今年はさらに打点王の獲得も確実視されている。

渡辺監督は選手を叱らないというイメージが強く、実際のその方針は基本路線では貫いている。しかしそれはあくまでも、一生懸命プレーした選手に対してだ。手を抜いたプレーや練習態度を見せる選手に対しては、選手が萎縮するほど激しい雷を落とすこともある。ただそれは、1軍の監督になってからはどうやらなさそうだ。つまり選手は誰一人として手を抜いていないということである。

筆者が最も魅了され、憧れたプロ野球選手が渡辺久信投手だった。それこそ前橋工業時代からのファンだ。その渡辺久信投手が2軍コーチとしてライオンズに復帰し、翌年には2軍監督に。そして2008年にはついに1軍を率いる監督になった時は、ファンとして純粋に嬉しかった。

ナベQ野球はまだまだ完成には至ってはいない。選手に関しても、コーチに関しても、まだまだ向上する余地は非常に大きい。ナベQ野球が完成に近づいた時、本当の意味でライオンズの黄金時代が再来すると思う。その道のりはまだまだ険しいとは思うが、まずはこれからの2年、また強いチームを作り直してもらいたいと思う。そして来年の今頃は、クライマックスシリーズや日本シリーズにワクワクしていられる状況であって欲しいと切に思う。

2009年10月08日 20:35

●2009/10/07 日本ハムvs西武最終戦

3:05
埼玉西武
日本ハム × 13

北海道日本ハムvs埼玉西武 24回戦・最終戦 札幌ドーム(観衆:17,623人)
埼玉西武ライオンズ 12勝12敗0分
2009年全日程終了 144試合70勝70敗4分

継投:●木村文和武隈祥太~長田秀一郎~山岸穣
敗戦投手:木村文和 0勝4敗 8.56
ホームラン:中村剛也(48号)


【ゲームレビュー】
4月3日に「やっと始まった」と思ったプロ野球も、埼玉西武ライオンズは今夜の144試合目にて全日程を終了した。この3年間で2度目のBクラス。常勝軍団だった黄金時代を思い返すと、信じられないような結末だった勝率5割での4位。だが正捕手と抑えのエースを欠いたという事実を考えると、十分に健闘したと言えるだろう。もしあとほんの少しでも投打が噛み合っていれば、優勝争いにも加われていたと思う。パ・リーグ6チームは、年々チーム力が均衡化してきた。連覇をするのも非常に難しい状況だ。

4月3日の開幕戦から書き始めたこのブログも、これで144回目のゲームレビューということになる。この間のアクセス数をチェックしてみると、延べ9万人の方に25万ページ開かれていた。書き始めた当初は、まさかこれほどまで多くの方に読んでいただけるとは、まったく想像していなかった。しかも今では読者の方から、ブログへの応援メールまでいただけるようにもなりました。まだ開設してたった半年のブログですが、144試合の間ご愛読いただき、本当にありがとうございました。心から感謝をし、心から嬉しく感じています。2009年のライオンズの試合はすべて終わってしまいましたが、オフシーズンもなるべく「日刊」で書き続けたいと思っていますので、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

では、今年最後のゲームレビューと行ってみたいと思います。先発したのは来年への期待を込められての木村投手だった。だが今年最後のチャンスをものにすることはできなかった。ノックアウトされた後は、数分間に渡り渡辺監督の直接指導を受けたようだ。一体どんなアドバイスがされたのだろうか。とても気になるところではあるが、さすがにその内容までは分からない。

今夜の木村投手は150km以上の、いつも以上に速いボールも投げていた。最後の登板ということで、ある意味開き直って投げられたのだろう。だがそれが吉とは出なかった。3回途中までで7安打4四死球5失点。まるで試合を組み立てることができなかった。コントロールは全体的に高めで、低目へのボールの大半が1バウンドになってしまった。

この現象について筆者の独自論を展開させてもらうと、木村投手は決してストライクが入らないピッチャーではないのだ。ブルペンではストレートも変化球も、ほとんどストライクゾーンに投げることが出来ているはず。でなければファームでも試合に出させてもらえるはずはない。それどころか、プロ野球選手になれたはずはない。それなのになぜマウンドに登るとノーコン病が顔を出してしまうのか?その理由は、いろいろなことをまだ理解し切っていないからだ。

まずボールを投げるために必要な身体の構造はもちろんのこと、グラウンドに関することも理解できていない。そしてさらに、ストライクゾーンを縦・横の2次元でしか使えていない。勝てるピッチャーはストライクゾーンを、縦・横・奥行きの3次元で使いこなすことができる。

身体の構造については、数日前の記事ですでに書いているので省略しようと思う。今日はグラウンドの構造と、ストライクゾーンの話をして行きたい。まずグラウンドの構造だが、ピッチャーにとってもっとも大切なのはマウンドと呼ばれる場所だ。内野のちょうど中間点にある直径18フィート(5.49m)、高さ10インチ(25.4cm)の丘とでも言おうか。このマウンド、そもそもどうしてここだけ高くなっているのか、皆さんはご存知だろうか?

以前筆者の野球仲間の1人で、プロ野球でも活躍したあるピッチャーに同じ質問をしたことがあった。大活躍こそできなかったが、プロ野球で何勝かは挙げているピッチャーだ。だがその彼はマウンドの存在理由を知らないばかりか、そんなこと考えたこともないと言い、筆者の話を聞いたあとびっくりしていた。「現役時代にそれを教えてもらいたかった」とも言われた。

かいつまんで話をすると、人間の骨格・筋肉の構造を正しく使ってボールを投げられると、ボールは決して低目へは行かない。真っ平らなところでキャッチボールをすると、相手の胸から顔の高さのボールだとナイスボールが行くのに、低めに投げると全然ボールに勢いが出ないという経験をすると思う。特に“投げ方”を教わる前の野球選手ならなおさらだ。

大昔に野球を発明した人たちは、そのことを頭ではなく、身をもって理解をしていた。平地でキャッチボールをすると、高めには良いボールが行くのに、低めには良いボールが行かないということを理解していたのだ。だからアメリカでベースボールを始めた人たちは、低めにボールを投げなければいけないピッチャーの立ち位置だけ、10インチ高くしたわけなのだ。そしてその傾斜を使うことにより、ピッチャーは低めにも良いボールを投げられるようになった。

木村投手は、きっとこのことをまだ知らないのかもしれない。いや、知っているかもしれないが、少なくとも筆者にはそれは今のところ感じられない。木村投手は、ボールのコントロールを手先で行っているように見えるのだ。

マウンドのサイズは基本的には万国共通だ。だが球場によってその傾斜はそれぞれ。例えば東京ドームのマウンドの傾斜は他の球場よりも角度がきつい。一般的に傾斜のきついマウンドは速球派、緩いマウンドは変化球投手に有利だとされている。これは正しい認識だ。変化球は基本的には沈むボールが大半なので、マウンドの傾斜を使わなくても自動的にボールは重力とマグナス力によって低めにコントロールされていく。逆にホップする方面に対してマグナス力が働いているバックスピン系のストレートの場合、18.44mの距離では変化球ほど重力の影響は受けないため、それを低めにコントロールすることはなかなか難しい。

筆者としては、速球派の木村投手にはもっとマウンドを有効活用して欲しいのだ。もっとマウンドの傾斜を利用して低めにコントロールすることを覚えれば、あの150kmを超えるストレートを弾き返すバッターはそうは現れないだろう。手先や腕を使って低めにコントロールしようとしてはいけない。マウンドの傾斜を使って、自動的に低めにコントロールされるピッチングをマスターしてもらいたい。そうすればきっと、元祖41番に匹敵するほどのピッチングが出来るようになるはずだ。

マウンドは、ピッチャーが目立つために他の8ポジションより高くなっているわけではない。ちゃんと理由があって高く設定されているのだ。その理由を理解し、それを利用できるようになれば、きっと木村投手は来年大化けするだろう。柔よく剛を制すとはよく言うが、これは相手に対してだけ使う言葉ではない。自分自身の剛を、柔により制すこともまた、プロの選手には必要なことなのだ。

筆者はここまで144試合、プロの野球選手でもないのに偉そうなことを書いて来たが、それでもご愛読くださった方、本当にありがとうございます。筆者は怪我によりプロへの道どころか、高校野球さえ断念した身ですが、野球の好き度に関してはプロ野球選手に勝らぬとも劣らないと思っています。だからこれからもっともっと野球のことを勉強して、もっともっと楽しんでいただける記事を書けるように頑張っていきますので、これからも日刊埼玉西武ライオンズを、どうかどうかよろしくお願いいたします。

2009年10月07日 22:08

●2009/10/06 日本ハムvs西武23回戦

4:14 10 11 12
埼玉西武
日本ハム 10

北海道日本ハムvs埼玉西武 23回戦 札幌ドーム(観衆:35,442人)
埼玉西武ライオンズ 12勝11敗0分

継投:許銘傑~小野寺力~土肥義弘~ベイリス~H藤田太陽~●西口文也
敗戦投手:西口文也 4勝4敗 5.11


【ゲームレビュー】
まず最初に北海道日本ハムファンの方、そして選手、優勝本当におめでとうございます。西武ファンとしては非常に悔しいですが、でも今年のファイターズは投打がガッチリと噛み合っていて、本当に良いチームでした。これからクライマックスシリーズを迎えますが、ぜひ楽天、ソフトバンクと共にベストを尽くしてください!

それにしても西武ファンとしては本当に悔しい。当然選手たちはもっと悔しかったはずだ。だが今年のライオンズがもしクライマックスに進出していたとしても、そこを勝ち上がれたかは分からない。今年のライオンズは日本ハムとは真逆で、最後まで投打の噛み合わない状態が続いてしまった。

サヨナラ負けで目の前で胴上げを見る羽目にはなってしまったが、しかしライオンズナインたちはよく健闘してくれたと思う。土壇場の9回、日本ハムのクローサー武田久投手を打ち崩したのは見事だった。あの場面は、まさにライオンズの執念が感じられた。インフルエンザで栗山後藤両選手、膝痛でG.G.佐藤選手と、主軸打者を3人も欠いた中での4得点は高く評価していいと思う。

そして許投手を継いだリリーバー陣も奮闘し、12回まで日本ハムに決勝点を与えなかった。最後西口投手は打たれてしまったが、これは西口投手が悪くて打たれたという内容ではなかったと思う。確かに先頭バッターを出してしまったことは痛かったが、しかしこれは日本ハムナインの勝利への執念が、そしてスタンドで応援する日本ハムファンの熱い応援が生んだヒット、そして決勝点だったと思う。恐らくあの場面、西口投手でなくても打たれていただろう。

その西口投手だが、状態は本当に良いと思う。夏場に投げていた144kmのストレートよりも、ここ最近投げている139kmのストレートの方がずっと球質も良い。夏場に投げていた144kmのボールは初速と終速の差が、テレビ画面でも感じられるほど開いていたのだが、ここ最近投げられている139km前後のストレートは、非常に伸びがある。もしシーズン当初からこのボールを投げられていれば、4勝で終わることはまずなかっただろう。そういう意味では、来年の西口投手にはリベンジという意味でも期待できるかもしれない。

さて、今日はボカチカ選手とワズディン投手の退団が正式に発表された。ここで気になってくるのがベイリス投手の去就だ。1軍で投げ続けていて、しかも年俸も1500万円(実働約2ヵ月)と格安ということもあり、残留の可能性は十分にあると思う。ただ、期待されたほどのピッチングができなかったことは確かだ。

まず球速はサイドから150km以上という触れ込みだったが、試合を見ている限り筆者は一度もベイリス投手の150kmを目にすることはできなかった。もちろんこれはメディアが間違った情報を書いていただけ、という可能性も否めないが。だができれば、常時140km後半のストレートは欲しかった。そうすればスライダーやチェンジアップにも奥行きが出て、もっと有効に使えただろう。

ベイリス投手の変化球の中にはそれほどずば抜けた球種がない。つまりウィニングショットがないのだ。そのため少しずつボールを動かしてバットの芯を外すという投球スタイルなのだが、その割にはコントロールは決して良いとは言えなかった。もちろんボールへの慣れという点も大きかっただろう。筆者も触り比べたことがあるのだが、NPBのボールとMLBのボールは、重さにしろ質感にしろけっこう違う。この違いによって苦しんだ点は、少なからずあったと思う。WBCのキャンプで岸投手がMLBのボールに苦しんだことを思い出せば、このアジャストの難しさは分かってもらえると思う。

筆者としては、NPBのボールに慣れたベイリス投手が、来年どんなピッチングを見せてくれるかということに非常に興味がある。松坂世代でもあるし、正捕手の細川捕手は英語でのコミュニケーションも取れる。いや、実際に英会話ができるのかどうかは分からないが、マウンド上で日本語の分からないアメリカ人ピッチャーと会話をしているということは、そこそこの英語力は持っているということだろう。

ベイリス投手にとって、ライオンズは良いチームだと思う。同じサイドハンドスローで素晴らしい実績を残してきた潮崎哲也ピッチングコーチもいるし、同世代の選手たちは外国人選手に対しとてもフレンドリーな性格だ。中島選手も外国人選手と会話をするために、高校時代にもっと英語の勉強をしておくんだったと言っているほどだ。

そういうチームカラーでもあるため、何とかあと1試合良いアピールをして、残留に向けて頑張ってもらいたいと思う。そして結婚したばかりの美人の奥様と、来年も日本で新婚生活を送ってもらえたらと思う。

2009年10月07日 00:44

1軍登録・抹消情報(10/6)

▼1軍登録抹消
#6 後藤武敏外野手

2009年10月06日 15:31

○2009/10/05 日本ハムvs西武22回戦

3:45
埼玉西武 10 14
日本ハム

北海道日本ハムvs埼玉西武 22回戦 札幌ドーム(観衆:41,999人・満員御礼)
埼玉西武ライオンズ 12勝10敗0分

継投:山岸穣~○小野寺力~Hベイリス~H土肥義弘~S藤田太陽
勝利投手:小野寺力 3勝5敗16S 4.08
セーブ:藤田太陽 2勝0敗3S 2.16
ホームラン:高山久(1号)、中村剛也(47号)
ヒーローインタビュー:中村剛也


【ゲームレビュー】
「目の前で胴上げは見たくない!」今夜はライオンズナインが抱くその気持ちが全面に出た一戦だった。バッターにしろ、リリーバーにしろ、本当に強い気持ちが感じられた。その中でも特に、小野寺投手からは非常に強い闘志が感じられた。3イニングを投げて3奪三振のパーフェクトリリーフ。1本のヒットも許さなかった。

シーズン終盤に1軍復帰して以来、小野寺投手は本当に素晴らしいピッチングを続けている。これで復帰後3試合で、5回1安打6奪三振1失点。復帰後最初の2打者に対しては不安定なマウンド捌きだったが、その後は本来の小野寺投手のピッチングがしっかりと戻ってきた。具体的には「腕を振ろう」と頭で意識して腕が振られているのではなく、腕が良く振れるフォームで投げられていることで自動的に腕が触れている状態だ。これが出来ていれば、そう簡単に打たれることはないだろう。

ピッチャーというのは不思議なもので、「腕を振ろう」「肘を上げよう」と意識してしまうと、その瞬間からフォームのバランスが崩れてしまう。だからこそ無意識でベストな身体の使い方ができるように、何度も何度も反復練習をするわけなのだ。そうできることにより、直感でボールを投げられるようになる。つまり、身体が自然に動いてくれるという状態だ。

小野寺投手には、ぜひ今の状態を忘れずに来シーズンを迎えてもらいたいと思う。そうすればきっと、グラマン投手が開幕に間に合わなかったとしても、まったく問題はないだろう。小野寺投手は本当に素晴らしい資質を持ったピッチャーなだけに、早く9回のマウンドに戻ってきてもらいたい。それによりグラマン投手を8回に回すことができれば、ライオンズの野球は7回までで終わらせることができるわけだ。7回までリードを守れれば、勝ちが一気に近づいてくる。そしてこの状況を作ることが出来れば、先発ピッチャーやリリーバーの負担はグッと減って、常に伸び伸びとボールを投げられるようにもなるだろう。

さて、今日のヒーローはもちろん小野寺投手だけではない。中村選手赤田選手も非常に良い仕事をした。中村選手の47号ホームランは昨年の46本を抜き、自己最多ホームランとなった。消化試合でも決して集中力を失わず、自分のベストスウィングを守り続けられる中村選手は、本当に凄い。だがそのスウィングをするために、我々ファンが見えないところで数え切れないほどバットを振っているはずだ。

そして小野寺投手の親友でもあるキャプテン赤田選手も、栗山選手のインフルエンザにより回ってきたチャンスをしっかりものにした。常時試合に出場しているわけではない赤田選手がバッティングで貢献することはとても難しい。そんな中での3安打猛打賞は非常に評価できると思う。やはりキャプテンはグラウンド上にいてもらうのがベストだ。赤田選手も今日の好調さをしっかりキープし、来シーズンに繋がる終わり方を迎えてもらいたい。

先にも書いた通り、ここに来て栗山選手がインフルエンザに感染してしまった。そして後藤選手にもその疑いがあるらしく、現在は2人ともチームからは隔離されている状況らしい。シーズンも残り2試合となったが、少しでも早い回復を願いたいと思う。

ちなみにさらに2人、石井一久投手は内転筋の張り、G.G.佐藤選手が膝痛の悪化で登録抹消された。もちろん2人とも急に痛くなったのではなく、シーズン中からずっと痛みはあったのだろう。そんな状況の中、本当によく頑張ってくれたと思う。今はしっかり療養し、ベストな状態で秋季キャンプを迎えてもらいたい。

2009年10月05日 22:00

1軍登録・抹消情報(10/5)

▲1軍選手登録
#48 武隈祥太投手
#52 星秀和内野手
#44 高山久外野手

▼1軍登録抹消
#1 栗山巧外野手

2009年10月05日 21:57

埼玉西武ライオンズ2010年度・契約更改情報

このページは随時更新されていきます。
2010年1月25日現在 全選手契約更改完了
 投手 Pitcher
選手名 2009年推定年俸 2010年推定年俸
11 岸孝之 7,500万円 1億2,000万円
12 岡本慎也 8,100万円 戦力外→韓国LG
13 西口文也 2億円 FAせず残留 / 1億2,000万円+出来高
14 小野寺力 4,400万円 4,100万円
15 大沼幸二 3,000万円 3,000万円
16 石井一久 2億5,000万円 1億9,000+出来高
17 山崎敏 1,500万円 17→29 / 1,200万円
18 涌井秀章 1億2,000万円 2億円+最大2,000万円のの出来高
19 平野将光 1,400万円 1,300万円
20 野上亮磨 1,300万円 1,500万円
21 中崎雄太 800万円 800万円
23 許銘傑 2,000万円 契約
24 松永浩典 1,200万円 1,200万円
25 正津英志 2,800万円 引退→中日スカウト
26 星野智樹 6,000万円 5,450万円
28 藤原良平 1,100万円 1,000万円
29 三井浩二 5,700万円 戦力外→楽天入団テスト(不合格)
ソフトバンク入団テスト(不合格)
30 岡本篤志 750万円 30→59 / 650万円
34 長田秀一郎 1,500万円 1,200万円
35 岩崎哲也 2,200万円 35→25 / 2,000万円
36 山岸穣 1,600万円 1,300万円
37 ワズディン 5,000万円 自由契約
38 土肥義弘 1,500万円 FAせず残留 1,200万円
40 山本淳 960万円 800万円
41 木村文紀 700万円 文和→文紀 800万円
42 ベイリス 1,500万円 自由契約
45 藤田太陽 1,200万円 1,500万円
47 帆足和幸 7,500万円 8,600万円
48 武隈祥太 600万円 600万円
50 田沢由哉 570万円 50→61 野手転向 550万円
54 グラマン 1億5,000万円 契約
57 谷中真二 900万円 800万円
59 山本歩 800万円 戦力外→2軍用具担当補佐
62 朱大衛 600万円 600万円
66 田中靖洋 570万円 550万円
68 宮田和希 500万円 500万円
69 上原厚治郎 600万円 500万円
 野手 Fielder
選手名 2009年推定年俸 2010年推定年俸
0 大崎雄太朗 1,200万円 1,400万円
1 栗山巧 6,600万円 7,100万円
2 銀仁朗 1,600万円 2,500万円
3 中島裕之 2億1,000万円 2億5,000万円
4 清水崇行 5,000万円 引退
5 石井義人 4,300万円 FAせず残留 5,500万円
6 後藤武敏 2,400万円 2,550万円
7 片岡易之 1億円 1億1,000万円
8 平尾博嗣 4,050万円 FAせず残留 / 3,400万円
9 赤田将吾 5,000万円 4,000万円
10 佐藤友亮 3,450万円 3,500万円
22 野田浩輔 1,200万円 1,000万円
27 細川亨 9,000万円 7,100万円+出来高最高1,500万円
31 坂田遼 1,000万円 1,000万円
32 浅村栄斗 600万円 600万円
33 江藤智 5,000万円 引退→巨人育成コーチ
39 岳野竜也 800万円 800万円
43 原拓也 1,200万円 1,400万円
44 高山久 1,000万円 800万円
46 G.G.佐藤 6,700万円 1億円500万円+出来高
49 上本達之 600万円 1,200万円
51 大島裕行 1,250万円 1,000万円
52 星秀和 600万円 52→33 / 560万円
53 三浦貴 700万円 戦力外
55 ボカチカ 6,500万円 自由契約
56 黒瀬春樹 700万円 650万円
58 松坂健太 1,000万円 900万円
60 中村剛也 7,000万円 1億5,000万円
63 吉見太一 900万円 700万円
64 中田祥多 600万円 600万円
65 斉藤彰吾 600万円 600万円
67 梅田尚通 600万円 600万円
 新加入 New Face
選手名 2009年所属 2010年推定年俸
55 工藤公康(投) 横浜 / 5,500万円 3,000万円+出来高・1年契約
9 阿部真宏(内) オリックス 3,300万円
17 菊池雄星(投) 花巻東高D1 契約金1億+出来高5,000万円
年俸1,500万円
4 美沢将(内) 第一工業大D2 契約金7,500万円 / 年俸1,200万円
12 岩尾利弘(投) 別府大D3 契約金5,000万円 / 年俸1,200万円
53 石川貢(外) 東邦高D4 契約金3,500万円 / 年俸600万円
35 松下建太(投) 早稲田大D5 契約金3,500万円 / 年俸1,000万円
30 岡本洋介(投) ヤマハD6 契約金3,000万円 / 年俸1,000万円
50 シコースキー(投) ロッテ / 7,500万円 年俸6,400万円 / 1年契約
42 ブラウン(外) ドジャース3A 年俸4,600万円 / 1年契約

2009年10月05日 16:01

○2009/10/04 楽天vs西武最終戦

3:04
埼玉西武 10
東北楽天

東北楽天vs埼玉西武 24回戦・最終戦 Kスタ宮城(観衆:20,480人)
埼玉西武ライオンズ 12勝12敗0分

継投:○涌井秀章
勝利投手:涌井秀章 16勝6敗 2.30
ホームラン:中村剛也(46号)、中島裕之(22号)
ヒーローインタビュー:涌井秀章


【ゲームレビュー】
今日はエース涌井投手の今シーズン最後の登板となった。上位進出という望みがなくなった直後の試合ではあったが、エースらしい集中したピッチングを魅せてくれた。モチベーションを保つのが難しい中、本当に良く頑張って投げてくれたと思う。今日の勝利で16勝となったわけだが、これで最多勝は確定したと言っていいだろう。奪三振も199個に達したが、ホークスの杉内投手が193個のため、こちらは抜かれる可能性が高い。だが最多勝だけでも素晴らしいし、何よりも怪我なく211イニング投げたというプロセスが素晴らしかった。涌井投手は、今シーズンはエースとしての仕事をしっかりこなしてくれた。

今日のピッチング内容は9回完投勝利で、楽天打線を2点に抑えたわけだが、筆者が見た限りでは決して調子は良さそうではなかった。9月以降ずっと感じていたことなのだが、ピッチングに疲労感が感じられた。涌井投手自身これは自覚しているようで、前回の登板後はトレーナーに対し、トレーニングメニューを軽くしてもらうよう直訴している。

涌井投手のピッチングフォームを少し解説してみたいと思う。涌井投手のピッチングフォームは、プロの一流投手からも非常にバランスが良いと評価されるフォームだ。前足(右投げの涌井投手は左足)を上げた際、軸足と胴体がきれいな一直線を描く。少し難しく表現すると、これは重心が右股関節にしっかり乗っていることを表す。重心がしっかり右股関節に乗ると、その重心を今度は左股関節に移しやすくなる。これが、体重移動がスムーズに出来ている、という意味なのだ。

ここまでを見ると、涌井投手のフォームは実に理想的だ。しかしこれをさらに深く、生理学的に見ていくと、涌井投手のフォームは決して完璧ではない。見た目のバランスは良いのだが、筋肉や関節の使い方は決して上手とは言えないのだ。

まず、せっかく股関節を上手く使えているのに、骨盤を上手く使えていない。涌井投手が今後、意識して骨盤を使えるようになれば、ボールのスピードはもっと増すはずだ。なぜなら肩関節と背骨は、生理学的には骨盤が司令塔になっているのだ。つまり骨盤をもっとスムーズに意識して動かせるようになれば、胴体のスピンと腕のスウィングスピードがもっと増してくる。そして腕のスウィングスピードが増せば、ボールのスピードは自ずとアップする。

時速0kmのボールに一瞬で145kmのスピードを与えるには、腕を145kmの速さでスウィングする必要がある。想像してもらえば分かりやすいと思うが、腕を145kmでスウィングさせるためには非常に大きな力が必要になり、同時にそれと同じだけの負荷が掛かってくる。

数日前の記事でスパイラル投法の話をしたが、実は涌井投手はこれがまったくできていない。いや、できていないと言うのは正しくない。取り入れていない。涌井投手の腕の使い方は二重振り子投法と言われるもので、これは肩や肘に非常に大きな負荷をかける。涌井投手の場合は他の二重振り子投法のピッチャーとは異なり、人の何倍も走りこむことで強靭な下半身を得ている。そのおかげでボールには力が生まれ、コントロールも安定する。だが下半身に疲労が溜まった時、二重振り子投法だとどうしても息切れしたピッチングになってしまうのだ。

9月以降の涌井投手のピッチングはまさにそんな状態だった。WBCから続く身体への負荷はついにピークを迎え、下半身主導のピッチングが出来なくなってしまった。そうなってしまうと、二重振り子投法だけではボールに切れを生み出すことはできない。最近の涌井投手の不調の原因のすべてはここにあったのだ。

筆者は涌井投手を横浜高校時代からずっと見続けているが、唯一心配だったのが肩・肘の故障だった。その要因は二重振り子投法にある。肩周りには約40個の筋肉が存在しているのだが、二重振り子投法の場合、その1/3の筋肉を効率的に使うことができずにいる。つまり残り2/3の筋肉に、より大きな負荷が掛かってしまっているということだ。もっと細かく言えば、肩周りの外側の筋肉により大きな負荷が掛かってしまっている。涌井投手の場合25歳を越していくと、三角筋や僧帽筋、肩関節胞に故障を抱える可能性が高まるだろう。

逆に、身体の線が細くても長年まったく肩に故障を抱えないピッチャーもいる。ライオンズで言えば西口投手だ。西口投手の場合はスパイラル投法ができているため、投球時に必要な100の負荷を、肩周り40の筋肉で2.5%ずつ均等に分散させることができている。だからあれだけ身体が細くても、肩の大きな故障がまったくないのだ。

ただ西口投手の場合は内転筋に故障癖があるが、これは西口投手のフォームに要因がある。西口投手は左足をクロス気味(3塁方向寄り)に踏み出すため、内転筋に非常に大きな負荷がかかってしまう。いわゆる諸刃の剣というやつだ。バッターからはボールが非常に見にくくなり、ボール自体にも切れが増すのだが、どうしても内転筋痛を回避することはできない。

涌井投手に話を戻すと、二重振り子投法というのは一部の筋肉に大きな疲労を与えてしまう。そのため回復にも時間が掛かってしまう。その証拠、とまでは言えないものの、勝てなかった昨年の涌井投手のピッチングは、まさに今年9月のような投球が続いていた。2007年は213イニング投げていて、2008年はその疲れが抜け切れずに涌井投手本来のボールを投げられるようになったのは、クライマックスシリーズに入ってからのことだった。

こうして考えていくと、来年涌井投手が沢村賞をもらえるほどのピッチャーになるためには、練習以上に疲労回復に努める必要があると言える。技術的には一流に近づきつつあるため、焦って技術を磨く必要はもうない。あとは肩の疲れをどれだけ抜き去ることができるかだ。肩の疲れさえしっかり抜くことができれば来年の今頃、涌井投手は沢村賞を手にできる数字を残せているはずだ。

2009年10月04日 17:32

1軍登録・抹消情報(10/4)

▼1軍登録抹消
#16 石井一久投手
#47 帆足和幸投手
#46 G.G.佐藤選手

2009年10月04日 17:29

●2009/10/03 楽天vs西武23回戦

3:17
埼玉西武 11
東北楽天 × 14 16

東北楽天vs埼玉西武 23回戦 Kスタ宮城(観衆:20,901人)
埼玉西武ライオンズ 11勝12敗0分

継投:●帆足和幸~長田秀一郎~小野寺力木村文和
敗戦投手:帆足和幸 9勝6敗 3.59
ホームラン:細川亨(4号)、G.G.佐藤(25号)、上本達之(4号)


【ゲームレビュー】
2009年の埼玉西武ライオンズは4試合を残し、140試合目で終戦を迎えた。4位確定。日本一になった翌年のBクラス転落は、前身である西鉄以来実に50年振りの屈辱となった。悔しいが、これが今年のライオンズのチームとしての実力だった。選手個々としての実力は昨年よりも上がったとは思うが、チーム全体として考えると、昨年のような躍動感は感じられなかった

今年の敗因を簡単に見ていこうと思うが、中でも最たる敗因はリリーバー陣の不調だった。グラマン投手が肩関節胞断裂によりシーズン早々離脱すると、その後のリリーバー陣はほぼ総崩れ状態となってしまった。リリーバーの不調が先発陣に負担をかけ、先発陣も涌井投手岸投手以外はリリーバーに釣られるように不調を極めていった。

リリーバー陣の中でも孤軍奮闘したのは星野智樹投手だった。星野投手だけはシーズンを通してほぼ安定した成績を残した。だがシーズンの最後は前半戦の付けが出てしまい、息切れ状態になってしまった。それでもリーグ2位の62試合という登板数は十分誇れる数字だ。

ライオンズのリリーバー陣は全体的に高齢化していた。先日戦力外通告をされた三井投手・岡本慎也投手に、引退を決意した正津投手。渡辺監督としてはこの3投手には今年もそれなりの期待をしていたと思うのだが、三井・岡本両投手は最後まで調子を上げることが出来ず、正津投手も肘痛が癒えることはなかった。その上中堅・若手リリーバーもなかなかチャンスを活かすことが出来ず、結局最後まで信頼を得るほどの投手は現れなかった。

一方打線の方は、今年は本当につながりが悪かった。また、打撃コーチの策も本当に少なかった。だがこの点に関しては2010年はデーブ大久保コーチが復帰予定なので、大幅に改善されると思う。デーブコーチは本当に野球に対して真摯で、非常に勉強熱心なコーチだ。今年一年はプロ担当編成スタッフとして球場外から野球を見ることで、さらに野球の知識を増やしたに違いない。来季はデーブコーチの復帰と共に、破壊力抜群の打線復活にも期待をしたい。

そして今年打線において一番痛かったのは、細川捕手の怪我とボカチカ選手の不調だろう。昨年はこの2人で36本塁打・105打点だったのが、今年は17本塁打・45打点と半減してしまった。ボカチカ選手は来季も残留を希望しているが、実情は厳しいだろう。打撃は好不調の波が大きすぎたし、守備に関しても決して安心して見ていられる選手ではない。打撃が良ければDHということも考えられたが、今季の数字ではとてもじゃないがDHは考えられなかった。

こうして見ていくと来季の補強ポイントは明確になってくる。まず最優先事項はリリーバーの整備だ。グラマン投手は手術が成功したとは言え、100%来年の開幕に間に合う保証はない。もしグラマン投手が間に合わなかった場合に備える必要がある。ワズディン投手の契約終了は確実だが、ベイリス投手はまだ分からない。だがベイリス投手も絶対的な投球をするタイプではないため、セットアッパーとしては活躍できてもクローサーとなると難しいだろう。

そうなってくると、やはり補強を考えていくしかない。筆者個人としては、2軍でくすぶっている中堅野手2人との交換トレードで、巨人のマイケル中村投手を獲得してはどうかと思っている。クローサーとしての実績は十分だし、今年の巨人にとっては決して不可欠と言える投手ではなかった。

そもそもクローサーの資質を考えていくと、1コントロールが良い、2ウィニングショットがある、という2点がとても重要になってくる。スピードが重要視されることもあるが、筆者的にはあるに超したことはないが、必ずしも速くなくてはいけないとは考えていない。現にサイドスローだった鹿取義隆投手や潮崎哲也投手は、1と2は優れた投手だったがスピードはなかった。それでも2人ともクローサー役として十分な実績を残した。

もちろん小野寺投手が目覚めてくれるのがベストなのだが、しかしチームの勝利を考えた時、そこに期待をしてしまうと少し恐さが残る。もし目覚めてくれなかったら、また今年と同じようなリリーバーの状況に陥ってしまう危険がある。やはりトレードや新外国人投手で補強するしかないだろう。

もう1点、大きいのが打てる左打者が必要だ。石井義人選手は素晴らしいバッターではあるが、しかし石井選手が5~6番に入っていても相手に恐さを与えることはできない。やはり5~6番はある程度ホームランを期待できるバッターでなければならない。G.G.佐藤選手は恐らく来季は5番に戻ってくるだろう。そうなれば5番不在問題は解決できるものの、今度は6~7番不在問題が出てきてしまう。

筆者が来季の打線を考えた場合、以下のような打順になった。

1番 片岡易之 セカンド
2番 栗山巧 センター
3番 中島裕之 ショート
4番 中村剛也 サード
5番 G.G.佐藤 ライト
6番 後藤武敏 レフト
7番 左の外国人、もしくは坂田遼 DH
8番 細川亨 キャッチャー
9番 石井義人 ファースト

ライオンズは右打者は充実しているが、左打者となると枚数が少ない。坂田選手などはファームで素晴らしい数字を残しているため、来季は1軍戦力として期待しても良いと思う。ファームとは言え打率.342で、9本塁打はかなり魅力的だ。まだまだ荒削りだが、左打者でホームランが期待できるのは打線編成としては使い勝手が良い。

今季は渡辺監督の意向で外国人バッターの補強は行わなかったが、来季はボカチカ選手の残留も微妙な情勢というところで、確実に補強を行ってくるだろう。あとは編成チームがどれだけ信頼の置ける左バッターを連れて来れるかという一点に絞られる。もしブラゼル選手クラスのバッターを連れて来て6~7番に据えることができれば、打線は一気に厚みを増すだろう。

ファンとしては本当に残念だし、選手は我々以上に悔しいはずだ。4位ということは、ファイターズがこのまま優勝すれば2011年の開幕は札幌ドームで迎えることになる。開幕戦を本拠地で迎えられない悔しさは相当なものだ。今季の残り試合は4。この4試合もただ消化試合にするのではなく、来季を見据えたライオンズらしい戦い方で締めくくり有終の美を飾ってもらいたい。そして目指すはもちろん、チャンピオンフラッグの奪還だ!!

2009年10月04日 01:14

江藤智選手、20年間の選手生活にピリオド

西武ファンにとって非常に悲しいニュースが飛び込んできた。球団は9月下旬、江藤智選手に対し戦力外通告を行った。江藤選手には40歳まで現役でやるという目標があり、39歳の今年、それは目前だった。戦力外通告を受けた後は他球団に移籍してプレーを続けることも考えたようだが、悩んだ末、引退を決意したようだ。

子どもの頃は東京都東大和市(西武ドームに最も近い東京の市)に住み、西武ライオンズのファンクラブにも入っていた江藤選手。1988年のドラフト5位指名で、キャッチャーとして広島カープに入団し、93年にはホームラン王、95年にはホームラン・打点の二冠に輝く、球界を代表するスラッガーだった。

その後99年のオフにはFA宣言をして巨人に移籍。移籍後2年目までは30ホームランを放ちチームの勝利に大きな貢献をしたが、3年目以降はなかなか本来の打力を発揮することが出来ず、ホームラン数も年々減っていった。そして2005年オフ、西武からFA宣言し巨人入りした豊田清投手の人的保証として、江藤選手は西武へと移ってきた。巨人側の人的保証プロテクトリストに、江藤選手の名前が入らなかったのだ。

だが江藤選手にとっては、この移籍は本当に吉と出たと思う。2006~2009年、数字的には本領を発揮することは叶わなかったが、しかし「江藤智」という存在は、若い選手の多いライオンズにとってはまさに生き字引となった。特に2008年の日本一は江藤選手という心の支柱がなければ達成できなかったはずだ。渡辺監督もこのことについては、江藤選手のことを「影のMVP」と称えている。

そして江藤選手が残した最も大きな遺産は、中村剛也選手の成長だ。江藤選手はライオンズにアーリーワークが導入された昨年から、中村選手に付きっ切りでホームランバッターとしての心得を教え続けた。そしてそのアーリーワークを、誰よりも精力的にこなしていたのが江藤選手だった。こんな大ベテランが一生懸命やっているのに、それを見た若い選手たちが一生懸命やらないわけにはいかない。昨年ライオンズが日本一を達成することができたのは、そんな江藤選手の姿があったからだ。

今年6月13日の試合では、江藤選手は史上35人目となる1000得点を達成した。得点とは出塁し、ホームベースまで還って来た回数のことだ。この記録はヒットを打つだけでは達成できない。代走を出されてしまえばそのランナーがホームインしても、打ったバッターには得点は記録されない(代走で出たランナーに得点が記録される)。つまり自分の足でしっかりホームベースまで還って来なければ記録は付かないのだ。江藤選手は20年に及ぶ現役生活の中で、実に1000回もホームベースに還って来た。この記録は地味ではあるが、しかしチームに貢献したという何よりの証であると思う。

球団は戦力外通告をした後、江藤選手の引退セレモニーを行う意向を示した。だが江藤選手がそれを固辞。理由は、クライマックスシリーズ進出を目指してチームが戦っている最中に、そんなことはできないというものだった。ライオンズの中で最も人望がある江藤選手。そして勝利への執念を最も強く持っていたのもまた、江藤選手だったのかもしれない。

今後は指導者として球界に残るとのことだが、筆者は強く強く思う。来年以降もコーチとして絶対にライオンズに残ってもらいたい!と。もはや江藤選手は広島の人でも、巨人の人でもない。誰が何と言おうともう立派なレオ戦士なのだ!江藤選手には今後もライオンズで、若獅子たちを指導して行ってもらいたい。

筆者がよく覚えている江藤選手の思い出は、2006年4月15日の試合だ。筆者はその日、西武ドームのバックネット裏で観戦していた。試合的には田崎投手ら投手陣が打ち込まれてしまう内容だったのだが、しかしこの日活躍したのが移籍1年目の江藤選手だった。大敗ムードの試合において、江藤選手は美しい放物線を描く、まさにスラッガーの打球でホームランを放った。そう、この日は江藤選手の誕生日だったのだ。ライオンズファンからは「ハッピーバースデー」の合唱が沸き起こっていた。

筆者は江藤選手が大好きだ。心から野球を愛する選手の1人だったと思う。そしてとにかく人望が厚い。高木浩之選手(現西武アマチュア担当スカウト)の引退セレモニー、それまでほとんど接点のなかった2人だが、高木選手はセレモニー後、江藤選手の胸を借りて号泣していた。そうしたくなる江藤選手、そうさせてしまう江藤選手。江藤選手は選手としてだけではなく、1人の人間としても素晴らしい野球選手だった。

今後は更なる発展と技術向上のため、コーチとして野球界に貢献していってもらいたいと思います。江藤選手、20年間本当におつかれさまでした。そして本当にありがとう!!

江藤智選手
通算1834試合、6865打席、1559安打、364本塁打、1023打点、生涯打率.267

2009年10月02日 12:33

○2009/10/01 西武vsロッテ最終戦

2:44
千葉ロッテ
埼玉西武 2×

埼玉西武vs千葉ロッテ 24回戦 / 最終戦 西武ドーム今季最終戦(観衆:25,207人)
埼玉西武ライオンズ 10勝14敗0分

継投:西口文也~○岸孝之
勝利投手:岸孝之 13勝5敗 3.26


【ダイジェスト】


【西武ドーム最終戦セレモニー】


【ゲームレビュー】
今シーズンの西武ドーム最終戦となったこの試合は、素晴らしい形で幕を下ろすことができた。西口投手岸投手の師弟リレーでしっかりとゲームメイクをし、0-1とビハインドのまま迎えた9回裏、先頭の中島選手が執念のヒットで出塁し、4番の中村選手がフォアボール。そして続くバッターはピンチバンターとして登場した佐藤友亮選手

100%の確率でバントを成功させなければならない場面、佐藤選手は本当に素晴らしい仕事をしたと思う。セオリー通り3塁手に強めのバントを取らせ、2人のランナーをしっかりと送った。これで1アウト3塁・2塁。この一打サヨナラの場面に登場したのが、今最も頼りになる男の1人、G.G.佐藤選手だ。

G.G.佐藤選手は初球を叩き、チームバッティングを意識した右打ち。打球はかなり詰まったが、最近のG.G.佐藤選手の決めセリフよろしく、気持ちでふっ飛ばしたライト前ヒットとなった。これで3塁ランナーがホームインし同点、さらには代走の2塁ランナー赤田キャプテンも好走塁で一気にホームインし、逆転サヨナラ勝利となった!

中島選手の執念のヒットも素晴らしかったし、中村選手の冷静な選球眼も見事だった。そして友亮選手の非常にプレッシャーのかかる場面でのバントも鮮やかで、赤田キャプテンの好走塁も地道な練習の積み重ねで生まれた判断だったろう。そしてサヨナラ打を放ったG.G.佐藤選手、打ち気に逸っても仕方のない場面ではあったが、初球からすでに大きいのを捨てた右方向へのチームバッティングは、今年一番大きな仕事と言っていいだろう。

渡辺久信監督は昨日の試合後、「気持ちが入っていない。敗戦の原因は気持ちだ」とコメントを残した。このコメントに対し、多くの西武ファンはブログで「ファンが諦めずに応援しているのに、そんなことを言って欲しくはなかった!」と書き綴っていた。確かにそうだとは思うが、筆者が思うに、渡辺監督は「気持ちが抜けていた」と言ったのではなく、「気持ちが(試合に)入っていない」ことを強調していたと思う。

気持ちが(試合に)入っていないとは、気合いは十分入っているのに、「もう負けられない」というプレッシャーにその気合いが押しつぶされそうになっている状態のことだ。渡辺監督としては選手に対し、「ビビるな!」ということを伝えたかったのだと思う。なぜなら渡辺監督は、我々ファンよりもずっとずっと選手たちを信頼しているからだ。しかもこんな崖っぷちになっても、渡辺監督は決して弱気な采配はしない。常にチームの先頭に立って選手を鼓舞している。だからこそ、たかだかレギュラーシーズンでの「もう負けられない」状態に押しつぶされそうになった選手に対し、悔しさが溢れてしまったのだろう。クライマックスシリーズや日本シリーズのプレッシャーは、さらに重いものなのだから。

結果的には今シーズン最後となった西武ドームでの試合を、最高の形で締めくくることが出来た。残すは楽天との2試合、日本ハムとの3試合の合計5試合のみだ。144試合という長丁場も、もうすでに139試合を消化してしまった。そして3位は楽天ではなくソフトバンクとなってしまった。これは残念ながら西武にとっては良い知らせではない。残り試合をソフトバンクが全敗しても最終勝率は.525で、西武が残り全勝しても.521にしかならず、逆転することはできない。

こうなったからには、あとはもうとにかく楽天2連戦で確実に連勝をするしか西武に残された道はない。先発は恐らく帆足投手涌井投手だろう。ここまで来たら泣いても笑ってもあと5試合、選手にはとにかく悔いの残らないプレーをしてもらい、ファンはそのプレーを一生懸命後押ししていきましょう!

残り5試合、i believe lions!!

2009年10月01日 21:06

 1  |  2  |  3  |  4  |  5  | All pages


Copyright(C) 2009-2010 日刊埼玉西武ライオンズ All Rights Reserved.