<< 週間・選手ページランキング(6/28~7/5) | ホーム | #99 渡辺久信 >>
小岩ジェッツ

#9 赤田将吾

09-01.jpg

#9 赤田将吾 - Shogo Akada

外野手、右投両打
1998年ドラフト2位
日南学園高~埼玉西武ライオンズ~オリックス
鹿児島県曽於郡大崎町出身、1980年9月1日生、179cm / 83 kg
2009年推定年俸:4,600万円
尊敬する選手:松井稼頭央選手
オフィシャルブログ
2006年からキャプテン、2007年から選手会長兼任

赤田選手のトレードは、西武側の要望で実現
赤田将吾選手、18日朝に伝えられたトレード
赤田将吾選手、オリックス阿部選手とトレード成立
赤田将吾選手が3割を打つために必要なこと
一安心・赤田将吾のトレード報道は誤報
赤田将吾、阪神・藤田太陽とトレード合意
いわゆる松坂世代の1人。高校時代から優れた身体能力をプロスカウトから高く評価され、98年のドラフト2位でライオンズに入団した。ちなみにこの年のライオンズのドラフト1位は、松坂大輔投手であった。入団当初の赤田将吾選手は主にセカンドとして起用されていた。だがルーズショルダーだったため、どうしても至近距離への送球が安定せず、2年目以降は外野手にコンバートさせられた。外野であれば送球は基本的に全力で投げられるため、送球に支障が出ることもなくなった。

俊足巧打のバッターとして1年目から期待されていたが、5年目まではなかなかその実力を発揮することが出来ず、コーチから「赤田は一番苦手なスポーツで飯を食っている」と酷評された時期もあった。しかしそれでも決して挫けず、誰よりも豊富な練習量で努力を続けていった。

最初の転機は2001年に訪れた。当時の東尾監督のアドバイスで、俊足を活かすためにシーズン途中からスイッチヒッターに転向した。東尾監督は松井稼頭央選手をスイッチに転向させて成功させたという実績があったため、赤田選手も挑戦することになった。スイッチに転向すると失敗してそのまま終わってしまう選手と、大成功する選手の二極分化する傾向があるのだが、赤田選手の場合は成功だったと言える。しかしスイッチ転向が実り始めたのはその3年後、2004年のことだった。

2004年の赤田選手は前半戦はベンチスタートが多く、試合終盤の守備固めで起用されるパターンばかりだった。しかし小関選手の不調により、後半戦は2番バッターとして先発出場する機会が増えた。この年の最終打率は.259と決して高くはないのだが、レギュラーに定着した後半戦だけの数字を見ると、.300近い打率を残している。そしてすでに1番に定着していた佐藤友亮選手と共に打線を牽引していった。

この1・2番コンビはプレーオフと日本シリーズでも機能し、2004年はチームを12年振りの優勝に導く活躍を見せた。シーズンの後半戦は2人とも出塁率が3割を超え、しかも2人とも俊足であるため、他チームからはかなり嫌がられる存在となった。

2005年以降は着実に打率を上げていき、すっかりセンターとしてレギュラーに定着した。2005年は前半戦に打撃で苦しんだため打率は.272で終わってしまったが、翌2006年(この年からキャプテンに就任)は.293としっかり結果を残した。しかも交流戦以降の数字だけを見ると、打率は.300を超える。例年通り、やはり赤田選手は夏場に強いということを改めて証明する形となった。

2004年以降は着実にステップアップしてきたと思われた赤田選手だったが、2007年(松坂投手に代わり選手会長も兼務)は原因不明の肩痛に悩まされることになる。ライオンズで肩痛をわずらった選手と言えば最近では石井貴コーチがいたため、赤田選手は貴コーチにいろいろと相談して、効果のあった治療はすべて試して行ったらしい。しかしこの年は9月5日にやっと1軍に戻って来れたものの、赤田選手が調子を上げる前にチームは5位でシーズンを終えてしまった。実に26年振りのBクラス転落となってしまった。

そして日本一になった2008年は、開幕当初はボカチカ選手や松坂健太選手にレギュラーの座を奪われてしまうのだが、2人が調子を落とすとレギュラーとして起用される機会が増えて行った。そして4月25日のオリックス戦では、人生初のサヨナラ満塁ホームランを放っている。だが悪夢は5月1日に訪れた。せっかく肩痛から復活してきたと言うのに、今度は打球を追いかけフェンスに激突してしまい、左足首関節を捻挫してしまった。この時の赤田選手の痛みを堪える苦悶の表情を、筆者は今なお鮮明に記憶している。

捻挫から復帰できたのは8月に入ってからだった。後藤武敏選手が外野手として結果を出していたため併用される機会が増えたが、しかし9・10月には.300以上の打率を残す活躍を見せ、復活を強くアピールした。しかもクライマックスシリーズでは12打数6安打1本塁打3打点と打ちまくり、日本シリーズでも11打数3安打と日本一に貢献し、アジアシリーズでもチームをアジアチャンピオンに導く活躍を見せた。

しかし今年2009年は開幕当初から打撃不振に苦しみ、この記事を書いている今現在は2軍で調整をしている。しかしここ最近は2軍でしっかりと結果を出しているので、1軍再昇格の日も遠くはないはず。やはりキャプテンには1軍にいてもらわなければ困る。赤田選手は1軍に必要な選手なのだ。ファンも1日でも早い1軍復帰を心待ちにしている。

さて、赤田選手はチーム内外から強い人望を集めている。野球に対しては誰よりも熱心だし、ファンサービスに関しても親友である小野寺投手と共に、球界の見本となるような活動を続けている。2005年オフに「侍魂」というブログを立ち上げたのも、ファンサービスの一環だった。そしてこの人間性を伊東前監督に高く評価され、2006年からキャプテンにも選任された。

しかし2006年のオフは、真面目すぎる赤田選手にとってとても悲しい出来事があった。それは契約更改の席での出来事。交渉中に担当の球団職員が携帯電話を鳴らしてしまうという失態を演じてしまった。この行為に腹を立てた赤田選手は、この日の交渉は打ち切り、翌日再度交渉の席を設けることになった。だがその席でも交渉担当が携帯電話を鳴らしてしまい、赤田選手はあまりのショックにトイレに駆け込み涙を流すという出来事があった。

契約交渉と言えばプロ野球選手にとっては年に一度のビジネスの場。一年間の給料がすべてこの交渉1回によって決まってしまう。人生を左右するようなそんな交渉の場で無神経に鳴らされた携帯電話。赤田選手が悔しさの涙に暮れた気持ち、筆者にはよく理解できる。赤田選手の言葉通り、一般企業で交渉中に携帯電話を鳴らすようなことがあれば、即契約破談となる可能性が高い。そういう意味でも、当時の球団職員の社会人としてのレベルは高くはなかった。

この出来事の後はお互いに謝罪をし、今では何の遺恨も残っていないらしい。だが赤田選手のトレードの噂が絶えなくなったのはこれ以降だったように思う。今年に限っては「トレード内定」という報道までされた。もちろんそれは誤報だったわけだが、ファンからしたら本当に胸が痛む報道だった。

全国のライオンズファンに1番人気がある選手は中島選手だろう。しかし毎日西武ドームに通っているようなコアなファンの中では、赤田選手の人気が最も高い。これはやはり赤田選手が埼玉西武ライオンズを、そしてファンを誰よりも強く愛している結果だと思う。先日のトレード報道があった直後、球団は赤田選手に対し「トレードが内定したという事実はありませんので、これからも安心して頑張ってください」と伝えたらしい。赤田選手も安心だったろうが、これにはファンも安心した。

チームが苦しい時、やっぱり1番必要なのはキャプテンという精神的支柱だ。赤田選手にはとにかく1日でも早く1軍に復帰してもらいたい。

ところで今年の1月に開かれたファンイベント。赤田キャプテンに挑戦状を叩きつける選手が現われた。それは片岡易之選手。片岡選手はトークショーで、赤田キャプテンの目の前で、キャプテン奪取宣言を披露した。これが本気なのかはリップサービスだったのかは分からないが、しかし片岡選手が背負う背番号7は、石毛宏典さんが背負っていた番号だ。ミスターレオ石毛、まさにライオンズ黄金時代のキャプテン。その7のDNAを受け継いだ片岡選手なだけに、ひょっとしたら本気だったのかもしれない。

しかし赤田キャプテンには、そうかんたんにはキャプテンの座を奪われて欲しくはない。そのためにも必要なのは、1軍での活躍だ。赤田選手は夏場に強いということは立証済み。きっと梅雨が明ける頃には1軍に復帰し、熱い夏の空の下で大活躍をしてくれるはずだ!ファンは楽しみにしている。元気な姿の暴れん坊将吾を!

baseball 記事を楽しんでもらえたら、ランキングに1球の投票をお願いいたします。
にほんブログ村 野球ブログ 埼玉西武ライオンズへ

2009年07月06日 05:55 


Copyright(C) 2009-2010 日刊埼玉西武ライオンズ All Rights Reserved.
メールの宛て先