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小岩ジェッツ

#1 栗山巧

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#1 栗山巧 - Takumi Kuriyama

外野手(レフト、センター)、右投左打
2001年ドラフト4順目
育英高校~埼玉西武ライオンズ
兵庫県神戸市西区出身、1983年9月3日生、177cm / 78kg
タイトル:最多安打(2008)、ベストナイン(2008)
2010年推定年俸:7100万円

一本足に目覚めた栗山巧選手、首位打者争いへ

ライオンズの選手は他のチームよりも多く練習をすることで知られているが、その中でも栗山選手は一番練習をしている選手の一人。野球に対して本当に真面目で、真摯な姿勢を崩さない。以前は野球がおろそかになるかもしれないという理由で、恋愛や結婚は当分しないとまで言い切ったほど。

デーブ大久保コーチが考案し、2008年から導入されたアーリーワークにも毎日必ず参加してバッティング練習などをしている。そして練習や試合を終えて帰宅してからも、部屋で黙々とバットを振っている。そんな栗山選手を、筆者は背番号52番の頃から応援している。

最初に1軍に上がって来たのは2004年だった。そして翌2005年には1軍に定着して84試合に出場し、打率.297という素晴らしい数字を残した。しかしこの頃はまだ守備に難があった。打球の憶測を誤り、外野フライで済むところを長打にしてしまったり、クッションボールに手間取ることもあった。それは一部のファンに「栗山はDHでしか使えない」と言われていたほどだった。

だがそういうことを言うファンに対し、筆者はいつも反論していた。「栗山選手は必ず素晴らしい主力選手に成長する!」と言い続けてきた。そう信じ続けてきた甲斐もあり、今では押しも押されぬライオンズの2番バッターに、そしてチームの顔に成長した。誰よりも野球に対し真面目に取り組み、誰よりも練習を重ねてきた栗山選手なのだから、主力に成長するということは疑いようもなかった。

そして誰よりも強いハートを持っている。それは2006年8月1日ロッテ戦での出来事だった。栗山選手は空振りで右手首を傷めてしまったのだが、その直後も痛みを押して出場し、何とその試合、当時ロッテの守護神だった小林雅英投手から満塁ホームランを放った。その日はアイシング治療などで様子を見たが、翌日病院で検査をすると、骨折だったことが判明した。これが原因でしばらくはファームで回復に努めたが、シーズン終盤には再び戦列に復帰し、プレーオフでも1番バッターとして出場している。

栗山選手は、チーム1の俊足でもある。本気でタイムを競ったら、恐らく片岡選手よりも栗山選手の方が足は速いのではないだろうか。それでも栗山選手の盗塁数が片岡選手に及ばないのは、2番バッターであるため。2番は出塁をすると、必ずクリーンアップを迎えることになり、クリーンアップが打席に立つ時は、単独スチールなどの作戦はあまり用いられない。

ちなみに打席から1塁までのタイムは、片岡選手の4.15秒に対し、栗山選手は3.90秒と若干早い。もちろん右打席・左打席の違いはあるが、同じ左打ちのソフトバンク川崎選手の3.97秒を上回り、ヤクルト青木選手の3.80秒と比べても引けを取らない。もし栗山選手が1番や6番以下を打っていたなら、きっと片岡選手に並ぶ盗塁数を記録しているはずだ。

そんな栗山選手は兵庫県出身だけあって、子どもの頃はオリックスのファンクラブに入っていたらしい。イチロー選手のサインボールも持っているらしく、プロ野球選手になるのは子どもの頃からの夢だったそうだ。そして常に全力プレーの栗山選手は今、プロ野球選手を夢見る少年から、少年少女たちに夢を与えるプロ野球選手となった。きっと栗山選手は、これからも子どもたちに夢を与え続けてくれるに違いない。ライオンズの背番号1と言えば、現ホークスの秋山幸二監督が背負っていた由緒ある背番号だ。これからもその背番号に恥じない活躍をし続けてくれるはずです。栗山選手のこの紹介文を目にされたら、これからぜひ、今まで以上に栗山選手を応援してあげてください!



4月9日オリックス戦で、ヒーローインタビューを受ける栗山選手
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2009年05月07日 15:18 


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