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小岩ジェッツ

ライオンズ前選手会長、小関竜也選手引退

元西武ライオンズ主力の小関竜也選手が引退してしまった。西武退団後は巨人、横浜とチームを渡り歩いたが、昨シーズンで横浜を自由契約になり、2度目のメジャー挑戦をしていたが、4月14日、正式に引退表明がされた。

筆者が初めて小関選手を西武ドームで見たのは、確か98年の開幕戦か、開幕直後の試合だったと思う。背番号はその頃まだ51番で、主に9番ライトで出場していた。抜群の守備力を誇り、シュアなバッティングに正確なバントは、98・02・04年のチームの優勝に大きく貢献した。当時のライオンズは松井・大友・高木大成の三羽ガラス全盛期で、そこに小関選手が加わり、1~3、9番の俊足カルテットは他球団を脅かした。

だが成績が残せなかった2005年オフ、小関選手は大幅減俸を強いられ、その球団の評価に納得ができず退団という形に繋がってしまった。2005年は確かに数字は残せなかった。しかし選手会長としてチームを引っ張った功績は大きい。小関選手は、一年ダメなだけで手放していいような選手ではなかった。当時の伊東監督もこの時、「(2006年は)小関は若手と競わせるつもりだった」と残しており、フロントと現場の意思疎通ができていないことも浮き彫りになった。

西武退団後、小関選手はメジャー移籍を目指してトライアウトなどに参加していた。この時は安定した守備力を買われてミルウォーキー・ブルワーズとのマイナー契約がまとまりかけたのだが、しかしその後、ブルワーズ・マイナーの外国人選手枠が埋まっていることが判明し、契約は白紙に戻されてしまった。その他ビザの問題もあったと言われている。

そして2006~2007年は巨人、2008年は横浜でプレーしたが、小関選手の本来の実力を発揮することはできなかった。

古い西武ファンなら当然覚えていると思うが、小関選手の登場時は、西武ドームで最も盛り上がる瞬間だった。「ジーパンのテーマ」を登場曲に選び、そしてファンはそれに合わせて「オ・ゼ・キー!」と声援を送る。筆者も小関コールをしたのをよく覚えている。あれはまさに鳥肌モノの応援だった。

若い頃の小関選手は、まだオリックスにいたイチロー選手と比較されるのを嫌がった。背番号も同じ51番で、左打ちのライトという点でも同じだった。それで2000年以降は、自身が憧れていた掛布雅之と前田智徳が背負っていた31番に変更している。その後の大活躍に関しては、周知の通り。

ちなみに国学院栃木高時代はエースで4番を打っていて、その時の控えピッチャーは現ロッテの渡辺俊介投手だった。

この引退のニュースは西武ファンにとっては本当に寂しいニュースだった。本来なら小関選手は今もライオンズのユニフォームを着ていなくてはいけない選手だったのだから。

だがいつかまた、指導者としてライオンズに帰ってきてくれたらと思う。それまではスポーツジャーナリストとして、野球解説者としてさらに野球知識を貯めこみ、将来のライオンズのために修行を続けていて欲しい。そしていつか必ず、小関選手にはライオンズに帰って来てもらいたい。それがファンの総意だと思う。

小関竜也選手オフィシャルブログ NEVER BE DEFEATED(決して負けない)

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2009年04月15日 02:59 




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