#16 石井一久

#16 石井一久 - Kazuhisa Ishii
投手(先発)、左投左打
1991年ドラフト1位
東京学館浦安高~ヤクルト~L.A.ドジャース~N.Y.メッツ~ヤクルト~西武
千葉県千葉市若葉区出身、1973年9月9日生、183cm / 85kg
タイトル:最多奪三振(1998、2000)、最優秀防御率(2000)、最高勝率(1995)、 月間MVP(1995年8月、1997年9月)、月間最優秀新人(2002年4月メジャー)
2009年推定年俸:2億8,000万円
球種:スライダー、カットボール、フォーク、チェンジアップ、ツーシーム
配偶者:木佐彩子夫人(フリーアナウンサー)
石井一久投手が今季9勝止まりだった原因
石井一久投手が、とにかく面白いエピソードの多い選手であることは間違いない。まず日本シリーズ。2001年にヤクルトが日本一になった瞬間、誰よりも早くベンチを飛び出し、古田捕手よりも先に胴上げ投手の高津臣吾投手に抱きついた。普通はまず胴上げバッテリーが抱き合うのだが・・・。そして2008年に埼玉西武ライオンズで日本一を達成した瞬間も、フライング気味にベンチを飛び出し、胴上げ投手のグラマン投手に真っ先に抱きついた。
近年胴上げする際、胴上げには背を向けて、カメラに向かって万歳するのが流行っているが、これを最初にやり始めたのが石井一久投手だった。そして胴上げ後にグラウンドで記念撮影して回るのも、やはり石井投手らが最初にやり出したと言われている。
また、プロ野球史上まれに見るほどのイタズラ好きで、2001年の胴上げではヤクルトの同僚であった石井弘寿投手と共謀し、小柄な若松監督を空中で一回転させた。古田捕手曰く、胴上げ前からやる気満々だったとのこと。その他では同僚選手の携帯電話の着信を勝手に変えたり、GPSを勝手に登録して、その選手の行く先々に先回りして現われたり、「今家に着きましたね?」と危険な匂いのするメールを送ったりもしていたらしい。これらは以前、古田敦也さんが話していたことなので、すべて事実だと思う。
ちなみに当時フジテレビのアナウンサーだった彩子夫人と結婚した際の会見では、記者に好きな手料理を聞かれ、「生野菜」と答え会場の大爆笑を誘った。しかし家に帰ってからは、彩子夫人に相当叱られたらしい。さらにメジャーに移籍した際には「僕の妻はカリフォルニア人です」と発言し、やはり会場を笑いの渦に巻き込んだ。
そしてゲーム好きでも知られていて、ヤクルト時代は『ウィニングイレブン』、西武では『ボンバーマン』にハマっている。ちなみに西武では現在ボンバーマンが大流行していて、涌井投手や小野寺投手らと一緒にWBC(ワールド・ボンバーマン・クラシック)を開催している。
日本に復帰してからの近年は引退をほのめかす発言も多く、引退後はテレビ局のADや、バンドを結成したいと言っている。しかし最近では、「不況だし、プロ野球選手はお給料も良いのでもう少し野球を続けようと思う」という発言もしている。
こんなお茶目な石井投手であるが、野球となるとやはり真摯な姿勢を崩さない。味方がイージーミスをするとあからさまに嫌な顔をするが、これはミスをなぁなぁに済ますことが勝利には繋がらないと理解してのことらしい。そして全盛期は154kmのストレートを投げていた石井投手だが、近年は140km前後までスピードは落ち込んでいる。しかし奪三振率は依然として高く、これには「三振の奪り方は分かっている」と、自信に満ちたコメントを残している。
2007年オフ、前年から取得していたFA権を行使し、古田プレイングマネージャーの退団を折りにヤクルトから埼玉西武ライオンズに移籍してきた。その際ヤクルトのファンに向け、「埼玉で新しい友達を作ってきます」と発言していたが、どうやら友達はたくさんできたようだ。千葉生まれの千葉育ちでありながら現在では「所沢っ子」を自称しており、その名の通り西武ドームでの勝率は非常に高い。
2008年、ライオンズが優勝できたのは石井投手の功績が大きい。前述した通りおちゃらけているだけではなく、ミスには厳しい姿勢をとることが、若い選手の多いライオンズを引き締めている。今年も優勝するためには石井投手の活躍は欠かせない。西口投手に次ぎ200勝に最も近い選手であるだけに、少しでも長く現役を続け、西口投手と共にライオンズで200勝をダブル達成してもらいたい。

2009年04月21日 03:25
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