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小岩ジェッツ

#10 佐藤友亮

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#10 佐藤友亮 - Tomoaki Satoh
外野手(ライト、センター、入団時は内野手だった)、右投右打
2000年ドラフト4位
慶應義塾高校~慶應義塾大学~埼玉西武ライオンズ
1978年6月13日生、178cm / 72kg
タイトル:2008年アジアシリーズMVP
ニックネーム:エリート、グランドの諸葛亮孔明

佐藤友亮選手は、今でこそライオンズの外野陣を代表する存在になったが、しかし入団当時はまだ内野手登録だった。2001年のライオンズは、高木浩之選手の不調などでセカンドのレギュラーが固定されていない状態だった。そのため当時の東尾監督は、友亮選手を新人ながら、2番セカンドとして開幕スタメン出場させた。その時の布陣は、1番ライト小関、2番セカンド佐藤友亮、3番ショート松井稼頭央、4番DHカブレラ、5番レフト高木大成、6番ファースト鈴木健、7番サードマクレーン、8番キャッチャー和田、9番センター河田、先発ピッチャーは松坂大輔だった。

当初まだ守備が不安視されていた友亮選手だったが、しかしセカンドの守備を無難にこなし、しかも翌日には2番ライトでスタメンに名を連ねた。外野手としても捕殺を記録し、学生時代ピッチャーとして鳴らした強肩も披露している。

そして友亮選手の代名詞と言えばやはり右打ちだ。右打ちさせたら、ライオンズでは友亮選手以上のバッターはいないだろう。右ピッチャーの逃げていく変化球を巧く追っ付け、そして左ピッチャーの向かってくるボールに対しても、肘をたたんでしっかりとコンタクトさせてくる。3塁・1塁にランナーがいる時(1・2塁間が広くなる)には迎えたくないバッターだ。

2004年ライオンズが日本一になった時は、友亮選手と赤田選手の1・2番コンビが大活躍した。当時まだ若かった二人が台頭したことにより、当面はトップバッターに困ることはないと思われた。だが不運なことにその後、両選手とも肩を故障し、低迷してしまう。
(2005年4月2日、Kスタ宮城(当時はフルキャストスタジアム)での楽天戦、外野フェンスに激突してしまい、左肩の脱臼、左足首内踵骨骨折の重傷を負ってしまう。その後9月に戦列復帰)

友亮選手と言えば、プロ野球選手でナンバー1のIQを持っているといわれている。それは学歴からも分かることだが、もしプロ野球選手になれなかったら、本人は弁護士になるつもりだったらしい。とにかく頭が良く、常に状況に応じた柔軟なプレーができるのが、佐藤友亮という選手なのだ。

性格も明るくて、ライオンズカラーにマッチしている。2004年に優勝した際もビールかけの最中のインタビューで、タメ口ではしゃぎ回り、大学の先輩である内田恭子アナが番組中に「(後輩が)バカですいません」と苦笑しながらコメントするほどだった。しかしその時の日本シリーズの友亮選手の打率は.394で、これははしゃぎ回るには十分過ぎるほどの成績だった。

2005年限りで高木大成選手が引退をすると、友亮選手は2006年から背番号を30から10に変更した。これは、大学時代の同期だった吉田翼さんが理由だった。吉田さんは卒業後明治安田生命に入ったのだが、職務中に交通事故により瀕死の重態になり、選手生命を絶たれてしまった。友亮選手は、「吉田の分まで野球を頑張る」という気持ちのもと、大学で吉田さんが背負っていたキャプテンナンバーの10を背負う決意をしたのだった。

人間的にもとても素晴らしい選手である佐藤友亮選手、2009年はベテラン選手としてライオンズの外野陣をさらに強固にまとめ上げてくれるはずだ。

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2009年04月11日 17:27 


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